159 異変の共有
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ノアによって更に厳重な結界を張ったのち、ファラズに状況を説明してから、魔力が噴き出した周囲の調査を行う。
クラウディアたちが一通りの確認を終えた頃、東の空は暁に白み始めていた。
「……あの淀んだ魔力は、間違いなく呪いによるものだわ」
王の寝所に戻ってきたクラウディアは、寝台に寝転がってそう呟く。ノアが同じく寝台の上、クラウディアの隣に腰を下ろしているのは、そうねだって命じたからだ。
「恐らくは、魔法に触れたものを黄金に変えるという代物のはず。だけどこの国に来たときも今も、あの禍々しい気配は感じられない……」
ノアの分の枕を抱き締めて、クラウディアはむにゅむにゅとそう呟く。ノアはクラウディアの肩まで上掛けを上げながら、クラウディアの思考の続きを口にした。
「大地や海の中、自然の中にも魔力の流れは存在していて、それは地脈や海流などに沿っているとあなたに教えていただきました。しかし、あの禍々しい魔力は……」
「大自然の大きな流れで循環しているというよりは、意図的に歪められた地脈に渦巻いている印象を受けたわ。存在を感じていられた時間が短くて、細やかには追えなかったけれど」
しかしあのときは、咄嗟に結界を張って封じ込めたノアの対応が正解だ。
火竜の巨体が障害になっていたから良かったものの、噴き上がった魔力を浴びていれば、ノアだって体が黄金に変えられていた。
竜のような大きな魔物は、強い魔力の吹き溜まりに集まる傾向がある。恐らくあの竜は、飛行中に呼び寄せられたのだろう。
「それにしても」
クラウディアはむうっと頬を膨らませ、可愛くて勇敢な従僕を見上げる。
「お前ったら。火竜のところに転移した直後にはもう、異常事態に気が付いていたわね?」
「……まずは火竜を留めることか先決かと思いまして。砂の下から何かが来ていることは分かっていたので、竜の体で蓋をするように倒しました」
何事もなさそうに言い切るが、それなりに危うい戦闘だったはずだ。ノアの無茶を叱る代わりに、クラウディアはお仕置きでこう告げる。
「寝返りで髪が乱れたわ。お前の手で撫でてちょうだい」
「……姫殿下」
「私が良いと言うまでよ? 早く」
袖を引いて命じれば、ノアは溜め息のあとに手を伸ばした。シーツの上に散らばっていたミルクティー色の髪が、久し振りにノアに触れられる。
「それと、ファラズおじさまにお願いして、魔術師たちに改めてもらった結界内の状況ね」
ノアの方にころんと寝返りを打ち、クラウディアは続けた。
「結界の中には火竜以外にも、黄金に変えられた生き物たちが居たとのことだけれど……」
「流砂ウサギや砂漠ネズミなどが、結界越しに見える砂中に見受けられるそうです。恐らくは火竜以外に、噴き出した魔力に触れた小動物の類かと」
「つまるところ、黄金に変えられてしまうのは生き物だけ。それでいて、対象は魔物だけではないことを意味するわね」
大きな手に髪を撫でてもらいながら、クラウディアは呟く。
「あの魔力は呪いに起因するもの。けれどいまは、その気配を見事に消してしまっているわ」
「……盗まれた『黄金の鷹』が呪いの魔法道具で、それによる事象と考えるのが妥当に思えますが」
「いずれにせよ、困ってしまったわね。人のいない砂漠のただ中で、ノアがいたからこそ誰も死なずに済んだけれど……」
ノアの指のあいだから、クラウディアの髪がさらさらと零れる。ノアはゆっくりと梳きながら、クラウディアの言葉の続きを汲んだ。
「あの魔力が噴き出す範囲が広がれば、後手の対応では間に合いません」
「そうね。黄金に変えられた瞬間、グリフォンも火竜も絶命してしまったわ」
クラウディアは緩慢な瞬きをして、悪い未来を口にする。
「あれがこの都まで広がれば、夥しい数の人が犠牲になる。……いずれは国ひとつ、そして大陸中を飲み込んでしまっても、おかしくないわね」
「……」
そうなれば、生きているものはいない死の世界だ。
人も動物も魔物もみんな、物言わぬ黄金に成り果てる。そんな黄金郷は、誰にとっての楽園でもないだろう。
「まずは、んん……」
とろとろとした眠気に苛まれ、クラウディアはぎゅっと枕を抱きしめる。
それを我慢して目を擦ろうとすると、ノアの手がクラウディアの頬に触れた。
「……のあ……?」
クラウディアが小首を傾げると、ノアは少し苦しそうに眉根を寄せるのだ。
「……魔力切れになってはいけません。どうかもう、お休みください」
「……朝までしかノアと一緒にいられないわ。すでに、日が昇ってしまっているもの……」
朝の四時を過ぎたばかりだというのに、窓辺に垂らした帷帳の隙間から光が差し込んでくる。それを開ければ、正午と錯覚するばかりの日差しが部屋を満たすだろう。
「あまり時間は、残されていないわ」
「…………」
黄金化の呪いへすぐに対処しなくては、取り返しのつかない事態が起こる。
「それでも」
クラウディアをあやすようなノアの手は、とても緩やかに頬を撫でる。
あんなに小さな子供だったのに、ノアがいま紡いでいる声は、大人の男性のそれだった。
「ただでさえ、ずっと大人の姿をなさっているのです。魔力使用の限界点は、幼少の砌より変わっていらっしゃらないでしょう」
「んん……。ちいさなころよりちょっとは、成長……」
「いけません」
今日のノアは少し厳格なようだ。
先ほどさり気なく掛けてくれた上掛けも、どうやら作戦の一環だったらしい。焚かれた香や部屋の温度といい、クラウディアが眠くて仕方なくなるように、あらゆる工夫が施されている。
「俺のいない場所で眠ってしまわれるくらいなら、束の間だけでも守らせてください」
「…………」
そんな懇願を向けられて、クラウディアは手を伸ばす。そしてノアの服を掴むと、ぐっと引っ張って隣に横たわらせた。
「近くに来て。……眠りに落ちる寸前まで、話をしていたいの」
「…………」
そんな我が儘を口にするのは、これが初めてのことではない。けれどもノアはぐっと眉根を寄せたあと、観念したように溜め息をつく。
「……姫殿下のお命じになるままに」
「んん……」
クラウディアはあくびをしながら手を伸ばすと、この忠実な従僕のお願いを聞く代わりに、彼を抱き枕にして目を閉じるのだった。
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