16 にこやかな村
この村に来る頻度は、ノアよりもクラウディアの方が少ない。
クラウディアは、状況によっては魔力切れで眠ってしまうことがあり、そういうときはもちろん塔でお留守番をしているからだ。
けれど、この村に出入りするようになって一か月ほどで、クラウディアとノアはすっかり有名人なのだった。
この日も早速、とことこ歩くクラウディアに対し、声を掛けてきた男性がいる。
「お姫さん! お姫さん、ノア、来てたのかい!」
見ればそこには、いくつかの木箱を囲むようにして、数人の男性たちが集まっていた。
呼びかけられたクラウディアは、魔術師たちの前でそうしたように猫を被る。六歳相応の、とても可愛らしくて純粋そうな、邪気のない子供の笑みを作るのだ。
「こんにちはあ、おじちゃん!」
「……」
ノアが物言いたげにクラウディアを見るが、その男性は気にする様子もない。他の仲間たちが、不思議そうにしているのを他所に、クラウディアたちに話し掛けてくる。
「お前さんたちは相変わらず、どこから来るのか分からない不思議なチビさんたちだね。ひょっとして、さっき着いた行商の馬車に乗ってたのか?」
「えへへ、それはひみつ!」
「そうかそうか。まあいい、お姫さん、ちょっとこれを見てくれないか?」
「なあに?」
男性が、木箱の中にあるチーズの箱を取り出すと、他の男性たちが戸惑った顔をした。
「お、おいダニエル。こんな子供に何を聞く気だ?」
「このお姫さんはな、不思議な子なんだ。うちの子の夜泣きがひどくて弱り果ててたころに、お姫さんが通り掛かって頭を撫でたら、その日からぴたっと夜に起きなくなってな」
男性の言う通り、以前この村に来たときに、クラウディアは彼の抱いていた赤子に興味を持ったのだ。
その子供に、魔力の乱れが生じていたからだ。魔術の素質がある子供には珍しくないのだが、周囲の大人に馴染みがなければ、赤子はずっと煩わしい疼きを感じることになる。
クラウディアは無邪気なふりをし、機嫌が悪そうな赤子を撫でさせてもらって、その流れを密かに整えたのである。
「だからってなあ……それに、赤ん坊と牛じゃあ全然違うだろ?」
「まあまあ。お姫さん、このチーズなんだが」
見せられたホール型のチーズを前に、クラウディアはしょんぼりしてみせる。
「……おいしくなさそう……」
「ははは、分かるかい? 元は王都にも卸してた自慢のチーズなんだが、最近どうにも品質が悪くてね。というのも、牛に元気がないんだよ」
「うしさん?」
「そうだ。大好きな牧草もいっぱいあるし、お日さまもいーっぱい浴びてる。それなのに、なんで牛がうまい牛乳を出してくれなくなったんだと思う?」
「ダニエル。せめて牛を見てもらわねえと、どうにもならねえんじゃねえか」
クラウディアは、じっとチーズを見つめたあと、ふいっと視線を逸らして歩き始めた。
「お、おーいお姫さん? チーズはこっちで……」
「子供ってのはそんなもんだよ。お嬢ちゃん、あんまり木箱に近付くと危ないぞ」
「ねえねえノア、みてー!」
クラウディアが呼ぶと、ノアは素直についてくる。そして、クラウディアが指差した木箱の角を、一緒に見下ろした。
「もんだいです。このはこ、ここについてるガリガリしたあとは、なんでしょーか?」
そう声を上げると、大人たちの顔色がにわかに変わった。
顔を顰めたノアが、少し考える素振りを見せたあとに、ぼそりと答える。
「……牛が噛んだ跡ですか?」
「ぶー、はずれ!」
クラウディアは指でバツ印を作ったあと、にこっと笑った。
「せいかいは! こわーいくまさんが、目印にしたのでしたー」
「熊……」
「熊だって!?」
顰めっ面をしたノアの後に、男性たちが木箱を取り囲む。そして、木箱の角についた爪痕のようなものを見付けて顔を見合わせた。
「確かに魔獣の爪痕だ! マーキングされている。おい、この木箱は?」
「牛舎の横に積んでる箱だ! ひょっとして夜の間、牛舎の周りをうろついてるのか? 牛たちはそれで眠れていないんだ」
「すぐ魔術師を手配してもらおう。俺、村長の所に行ってくる!」
男性たちが忙しそうにし始めた傍らで、ノアがそっと尋ねてくる。
「姫さま。これは、どのように?」
「まじゅうが目印をつけるときは、びりょうなまりょくが残るの。それをみつければいいだけ」
「魔力……」
ノアは難しいものを見るような目で、魔獣がつけた爪痕を睨みつける。
「こんなこと、ノアはできなくてもいいのよ」
「いいえ。あなたの従僕ですから、覚えます」
「ふふ」
真剣な顔で言ってのけるノアに笑うと、ひとりになった男性が、ほっと息を吐きながら歩いてきた。
「あれえ? おじちゃん、ほかのおじちゃんは?」
「牛舎の様子を見に行ったよ。それと、村長の所に行って、魔術師の手配をしたりだな。それよりも、さすがだお姫さん! そんな低い位置に爪痕があるなんて、気付かなかったよ。背の低いおチビならではの発見だ!」
「えへへー」
実際は身長など関係ないのだが、クラウディアは嬉しそうなふりをしておく。
「お礼にこっちのマフィンを持って行ってくれ! うちの奥さんが焼いてくれたんだが、まだまだ沢山あるんだ」
「わあ、おかし! だいすき、おじちゃんありがとう!」
「こちらこそありがとうだ、ノアもいっぱい食えよ? 隣のばあさんが、次お前に会ったら、荷物を運んでくれた礼がしたいって言ってたぜ」
「……別に。改めて礼を言われるようなことは、何もしてないです」
(あら。私が村に来ていないときは、そんなことをしていたのね)
特に報告を受けていないので、そんなことがあったとは知らなかった。ノアは気恥ずかしいのか、しかめっ面でそっぽを向いている。それをくすくす笑いつつ、クラウディアは、籠に入ったマフィンを受け取った。
「姫さま、俺が持ちます。籠をこちらへ」
「はい、ノア。じゃあ、おかいものにいきましょ!」
クラウディアは、「ばいばーい」と男性に手を振った。ノアも小さく礼をして、ふたりで歩き始める。
後に残った男性は、それを見送りながら呟いた。
「ははは。ノアのやつも、大真面目な顔をして『姫さま』だもんな。まったく、こんな辺鄙なところに本物のお姫さまがいるはずもないっていうのに……」
「おーいダニエル!」
「おお、早かったな! 村長はなんて?」
「すぐに魔術師を手配してくれるそうだ。……それにしても、驚いた」
息を切らしながら戻ってきた男性は、遠くなったクラウディアたちの背中を見つめて呟く。
「あのお嬢ちゃんたち、何者だ?」
「さあ? ――なんにせよ、不思議な子供たちだよ」




