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154 会いに行く支度

【第4部3章】




「………………」

「……坊主……」


 己に割り振られた『公務』をすべて終わらせ、謁見の間から執務室へと移ったノアは、クラウディアからその手紙を受け取ってしまっていた。


 執務机の上に両肘をつき、組んだ手の上に額を乗せたまま、どれくらい口を噤んでいただろうか。

 ノアがずっと無言でいる様子に、後ろへ控えるように立ったファラズが、僅かな同情を向けてくる。それでいてその声音には、隠しきれない愉快さが含まれてもいた。


「ふっ、くく……元気出せって。後宮にいる新入りの姫君こそが、お前の惚れてる主人なんだろ? 『閨に呼んで』とねだられるなんて、男冥利に尽きるってもんだ」

「……恋慕ではないと申し上げたでしょう」


 ノアは深く俯いた姿勢のまま、地を這うように低い声で反論した。


「第一に。このお呼び出しはただの業務連絡でしょうから、あなたに面白がられるようなことは何もありません」

「いいじゃねえか、業務連絡で上等。寝所で内緒話が出来る状況なんか、役得だろ?」

「…………」

「この国の閨着は艶っぽいぞー。後宮の他の姫たちを誤魔化すために、それなりの格好をして来てくれるかもしれん。よかったなあ坊主! そうなったら……」


 揶揄い混じりだったファラズの声音が、本気で沈黙しているノアを見てぴたりと止まった。


「……………………」

「……わ、悪かったよ……」


 ファラズから面白半分に励まされた所為で、頭の痛さがなお増した。ノアは深く溜め息をつき、後宮の遣いから受け取った手紙を横目に見る。


『愛しい陛下へ。どうか今宵、私をあなたの夜伽役に選んでください』

(……姫さま……)


 彼女がどんな表情でこれを書いたのか、ノアの脳裏には容易に浮かんだ。

 あのくちびるに微笑みを宿し、心の底から楽しそうにして、上機嫌な鼻歌を歌いながら綴る様子だ。おまけに先ほどのファラズの発言のせいで、余計な邪念が浮かんでしまう。


『三日ぶりにノアに会うのだから、可愛い格好をして行かなくちゃ』

「…………っ」


 ノアはぐっと自分の前髪を握り込み、執務机への頬杖をずるりと崩して、思わずこう独りごちた。


「……助けてくれ……」

「坊主……。さすがに本気で可哀想になってきたぞ、おじさんは」


 だが、この状況に振り回されてばかりでもいられない。


(これはまさに『業務連絡』だ。姫殿下が後宮で収集なさった情報と俺の情報を擦り合わせ、共有を行う場)


 ゆっくりと身を起こし、豪奢な椅子に背中を預け、もう一度大きく溜め息をつく。


「……ディア姫を、王宮の寝所にお招きする準備をしていただけますか」

「そっちでいいのかい? アシュバル陛下から、お前さんの後宮への出入りは許可が出ているが……」

「女性だけが暮らす場所です。偽の王である男が出入りするのは、その方たちの安心を裏切る行為でしょうから」


 するとファラズは肩を竦め、「承知」と笑う。


「待ってろ坊主。王の忠実なる臣下たちによって、寝所を全力でロマンチックに仕立てさせてやるからな」

「本気でやめていただけますか」


 こうしてノアは、三日ぶりのクラウディアとの対面を、凄まじい気苦労と共に迎えることになるのだった。



***



 すっかり夜も更けたころ。

 侍女を使わず、ひとりで湯浴みを済ませた大人姿のクラウディアは、ふわふわのガウンを纏って鏡台に向かっていた。


「さて、と」


 湯上がりの体にクリームを塗りこんで、くちびるも肌もぷるんとしている。


 ミルクティー色の髪を梳く櫛は真珠製で、髪の美容にぴったりな魔法を掛けた上、月光をたっぷりと当ててあった。

 つやつやとした輪のような輝きを放つ髪は、邪魔にならない程度の華やかさが出るように、一部だけを緩く編み込んでおく。


(ナイトドレスは折角だから、この国の後宮らしい衣装にしましょうか)


 ノアにもらった指輪の魔法道具から、着替えのドレスが生まれる指輪を選ぶ。けれど、指輪はいつもと違う反応を示した。


(ふふ、やっぱり)


 オパールの指輪は魔力を帯びて光るものの、いつものようにドレスが生成されることはない。


(ノアの指輪に、夜伽の用途に使われるものがインプットされている訳はないわね)


 魔法によって作り出される衣服は、頭の中でデザインなどを考え、その上で出力しなくてはならないのだ。

 この指輪も同様で、クラウディアのための衣装がたくさん登録されている。


 ノアがそこに、夜伽用のドレスを入れるはずもないのだった。


(それなら、私の自由に作ってしまいましょう)


 クラウディアは鏡台の椅子から立ち上がると、纏っていたガウンをするりと肩から落とす。


「――三日ぶりにノアに会うのだから、可愛い格好をして行かなくちゃ」


 クラウディアの上機嫌を、きっとノアは何もかも予想しきっているだろう。

 こうしてクラウディアは、頭の中に描いたイメージのドレスを、完璧な魔法によって纏うのだった。


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