153 王のご指名(第4部2章・完)
内心で微笑ましく思いつつも、クラウディアは無邪気なふりをして続けた。
「おねえさんが王さまのこと大好きなの、すっごくわかったよ! お話ししてくれてありがとう!」
「待ってくれ。あいつのことが大好きだなんて、私は……!」
「ちがうの?」
「う……っ」
そうだと偽るには抵抗があったのだろう。ナイラが真っ赤な顔で俯いたので、追撃はしないでじっと待った。
「……友人の、つもりだったんだ。あいつと並び立つのを夢見て、弓の練習を重ねていたのに……」
恥ずかしそうに呟いたナイラが、噴水の水に浸していた指をぎゅっと丸めた。
「数年前に突然王宮に呼び出されて、まさかあいつが新しい王だなんて。……後宮の代替わりが行われたと思ったら、婚約者に決まってしまうなんて思わないだろう……?」
(なるほどねえ……)
幼馴染同然に育った少年が、夫になってしまったのだ。ナイラが動揺し、恥ずかしがるのも仕方がないだろう。
(その話を聞く限りでは、アシュバルも彼女のことを……)
とはいえ、そちらはまだ推測でしかない。クラウディアはふむふむと頷いたあと、ナイラの真似に見せ掛けて、噴水の水に触れた。
「おねえさん、ほっぺ真っ赤! あつい? おみず、つめたくて気持ちいいよ?」
「あ、ああ。ありがとう……」
ナイラは火照りを隠すように、濡れた手で自分の頬を押さえる。にこにことそれを見上げながら、水から伝わるものを分析した。
(やっぱり)
クラウディアは、子供の姿になってまでこの庭にやってきた最大の目的に目を眇める。
(この後宮。……私の宮と彼女の宮に流れる水にだけ、とても強い魔力を帯びているわ)
後宮にやってきた最初の日に、クラウディアは自宮の水浴び場で気が付いたのだ。あのときも、指に触れた水から伝わってきたものは、この宮と同じ性質の魔力だった。
(この砂漠の国で、水は自然に湧き出るものではない。国が魔術師を雇って、その力によって潤沢な水を巡らせているのだから、水から魔力を感じられるのは当然としても……)
この二箇所の水場から感じられるのは、それとは異質の魔力だった。
(先ほどまでの彼女のお話。後宮にやってきた三日ほどで、おおむね調査はしたつもりだったけれど)
クラウディアは目を輝かせ、ナイラに尋ねる。
「おねえさん。わたしも、『女神像』見てみたい!」
「え……」
クラウディアはその『女神像』なるものを、後宮内で見たことがなかった。
「だってその女神像のところに、おねえさんの『うんめいのひと』がいたんでしょ? だから私もそこに行ったら、わたしの王子さまに会えるかも!」
「……ふふっ」
ナイラは微笑ましそうに笑い、クラウディアに言い聞かせた。
「連れて行ってあげたいのは勿論なのだが。残念ながらその女神像は、王宮に運ばれていってしまったんだ」
「えーっ!」
後宮に見当たらなかった理由は、どうやらすでに存在していなかったためらしい。
「女神さま、どうしてつれていかれちゃったの?」
「なんでも本来の設置場所ではなかったそうだ。アシュバルにも聞いていないから、王宮でどうなったかは分からない」
ナイラはそこで、少しだけ寂しそうにこう続ける。
「……私たちは王に呼ばれない限り、王宮に足を踏み入れることも、後宮から出ることも出来ないからな」
「…………」
この後宮には、王を迎えるための特別な寝所が設けられている。姫たちは夜伽に呼ばれると、その寝所で王を迎えるのだそうだ。
あるいは護衛をつけた上で後宮を出て、王宮にある特別な寝所に入ることが許されるのだと聞いた。
「もしかしておねえさん、王さまとずーっと会えていないの?」
「そんなことはない。時々この後宮にやってきて、子供の頃となんら変わらない話をしていくよ。――こそこそ忍び込まなくとも、堂々と正門から入ってこられるようになったからな」
(それなら……)
クラウディアはふむふむと納得して、噴水のふちから砂の上にぴょんと降りた。
「もうすぐディアねえさまが起きちゃう! わたし、そろそろかえらなきゃ」
「随分と時間が経ってしまったな。ミラを助けてくれた上に、話し相手になってくれてありがとう。アーデルハイト」
ナイラも立ち上がると、クラウディアに目線を合わせるようにして屈み込む、
「また遊びに来てくれないか? 君といるとつい饒舌になってしまう。嫌でなければだが」
「うん! わたしもまた、おねえさんにあそんでほしい!」
「ふふ、ありがとう。……壁の穴は魔法で塞いでしまったから、正面から帰るといい。送って行こうか?」
「だいじょーぶ! またね、ナイラおねえさん!」
クラウディアは大きく手を振ったあと、宮の外まで駆け出した。自分の宮と対になっているから、案内がなくとも道が分かる。
そして自分の宮につくと、ぽんっと音を立てて魔法を解いた。
完璧な大人でも完全な子供でもない、いまの実年齢である十三歳の姿に戻ると、大きく伸びをする。
(さて、と)
魔法で紡いだドレスを解き、短いインナードレス姿になって水浴び場に向かった。腰までの浅さになっている部分にちゃぷんと浸かる。
人魚のように水の中で足を伸ばし、ゆらゆらとスカートの尾ひれを動かしながら、クラウディアは指に魔力を纏わせた。
(ノアにお手紙を書かなくちゃ)
そして指先を空中に滑らせ、文字を綴る。
(『愛しい陛下へ』)
クラウディアは少し考えたあと、率直に要求を示すことにした。
(――『どうか今宵、私をあなたの夜伽役に選んでください』)
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第4部3章に続く




