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152 幼馴染

 それはつい先ほど、クラウディアがこう尋ねたことに起因するものだった。


『ナイラおねえさんは、ディアねえさまのことがきらいじゃないの?』

『ん? ……ああ。私は君の姉君のことを、嫌っても憎んでもいないよ』


 彼女の声音は落ち着いていて、自分の感情を誤魔化している様子はない。


 クラウディアに嫌がらせをしてきた女性たちの様子を見れば、『王が外で見付け、気に入って連れて来た』という触れ込みのクラウディアが、後宮の女性たちにとって脅威であることは明白だ。


 ましてや数日前に来たばかりの身でありながら、ナイラと対になる宮に通されている。新入りが王の婚約者と同じ待遇を受けている状況は、誰の目にも異質に映るはずだった。


 それなのにナイラは動揺していない。その上で、クラウディアにこう尋ねてきたのだ。


『ひとつ尋ねてもいいか、アーデルハイト。君はここに来る前に、陛下とお会いしただろうか』

『……うん! 会ったよ!』

『陛下はどのようなお姿だった?』

『くろい髪で、背がたかくて、かっこよかった!』


 トパーズの金色をしたナイラの双眸が、クラウディアを見てふっと細められる。


『それなら、瞳の色は?』

『……』


 そう尋ねられて、クラウディアはにこりと笑った。


『あんまり、おぼえてない!』

『…………』


 アシュバルの瞳は赤い色で、ノアの漆黒の瞳とは違う。ナイラはそれを確かめるために、クラウディアに問い掛けてきたのだ。


(髪色は魔法や薬品で染められても、瞳の色を変えるのは、多くの人にとっては難しいもの)


 ナイラはいま王宮にいる人物が自分の婚約者でないことを、なんらかの理由で悟っているのだ。

 けれど確たる証拠はなく、幼い子供に対してならば怪しまれないで済むと考え、王の瞳の色を聞いたのだろう。


『そうか。妙なことを聞いてしまったな、すまない』


 そんな先ほどまでのやりとりを思い出しながら、クラウディアはナイラを見上げる。


「ナイラおねえさんは、王さまのおともだち?」

「少し違うよ。……いいや、昔は確かにそうだったか……」


 ナイラは懐かしそうに目を眇め、傍らの蛇を撫でながら言った。


「かつての私は君のように、この後宮にやってきた姉の同行者だったんだ。歳の離れた姉は、先代国王陛下のために後宮入りして――私は後宮で姉の身の回りのことを手伝いながら、淑女の振る舞いを学んでいた」

「おねえさん、私といっしょ!」

「ああ、一緒だ。だけど私は、後宮のような煌びやかな場所で暮らすよりも、砂漠を駆け回る日々に憧れていてね」


 少しだけ自嘲を交えてナイラは立ち上がり、庭を彩る噴水の方に歩いてゆく。クラウディアもそれについていき、ふたりで噴水のふちに座った。


「この宮から逃げ出して、後宮の隅でこっそり泣いていたんだ。――そんなとき、アシュバルを見付けた」


 ナイラの手が、噴水の池に溜まった水へと触れる。

 彼女が視線を向けたのは、庭の東側にある壁の方だ。


「子供とはいえ、後宮に陛下以外の男は入れない。結界が張られていて侵入も不可能なはずなのに、当時まだ王ではなかったアシュバルはそこにいたんだ。足から血を流して、苦しそうで」


 そのときのことを思い出すだけで胸が痛むのか、ナイラが顔を顰める。


「女神像の足元が真っ赤に濡れていてな。……あの光景は、忘れられそうにないよ」


 女神像という言葉が引っ掛かりつつも、クラウディアは問い掛けた。


「ナイラおねえさんが、たすけてあげたの?」

「ろくな手当は出来なかった。けれどあいつはなんとか回復して、私が差し出した水と食べ物を本当に喜んで……」


 かつてのアシュバルを思い出したのだろうか。くすっと笑ったナイラの横顔は、心の底から愛おしげだ。


「怪我が治って姿を消したあとも、あいつは時々こっそり私のところに尋ねてきて、外のいろいろな話を聞かせてくれたよ。私が外に行ってみたいと呟くと、『駄目だ。お前は弱いからすぐに死ぬ』なんて言ってな」

「お外のさばく、こわいのいっぱいいる!」

「そう。だからあいつは、弓を私に教えてくれたんだ」


 ナイラがそっと指差したのは、的らしきものが彫り込まれた木だった。


「最初は的を射抜くどころか、弓を震えずに構えることも出来なかったな。でも、アシュバルは根気よく教えてくれた。『もし弓が上手にならなくても、いつか外に出られたときは、俺が守ってやる』と約束してくれて……」

「王さま、かっこいい!」

「あいつが聞いたら喜ぶよ。そんな昔の話を人にしたのかって、恥ずかしがるかもしれないが」


 噴水の傍を吹き抜ける風が、冷たくて心地良い。ナイラは青く長い髪を手で押さえつつ、やさしく微笑む。


「あいつの隣に並びたいと思った。守られる姫ではなく、互いに背中を預けられるような存在に」


 ナイラの凛とした雰囲気は、そんな一心から来ているもののようにも思える。クラウディアはにこりと笑い、無邪気な子供のそぶりで尋ねた。


「おねえさんのきれいな弓は、王さまにもらったの?」

「……ふふ。内緒だぞ?」

「…………」

「なんだか君と話していると、ついつい昔のことを思い出してしまうな。あの頃は確かに、私たちは友人だった」


 けれど、と彼女は俯く。


「いまは婚約者といって、やがて結婚しなければならない者同士なんだ」


 ナイラが苦笑してみせたので、クラウディアは首を傾げる。彼女の口ぶりが、あまり前向きとはいえない物言いだったからだ。


「ああ、そうか」


 しかしナイラはその様子を、別の疑問によるものだと捉えたらしい。


「異国から来た君には、私という婚約者がいることと、姉君が後宮に呼ばれた現状があまり結び付かないかな。なんというかこの国の王さまは、何人もの妻を持つことが出来るんだよ」

「んーん。変なのはそうじゃなくて、おねえさんが王さまとけっこんするの、ざんねんそうだったから」

「……それは。アシュバルと私は友人だったから、あいつのことを夫として見られなくて、違和感があるんだ」

「でも」


 クラウディアはまっすぐにナイラを見上げ、率直に尋ねる。


「ナイラおねえさんの『好きなひと』は、王さまでしょう?」

「〜〜〜〜……っ!」


 その瞬間、これまで凛として大人びていたナイラの顔が、突如として真っ赤に染まってしまった。


「っ、そ、それは……!」

(あらあら。かわいい)


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