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149 臣下の想いは


「……おいおい。そんな怖い顔で、睨むなよ」


 ファラズは多少の余裕を見せつつ、それでも身構えながら肩を竦める。

 ノアは深い牽制を込めてファラズを見据えたあとに、ふいっと顔を逸らした。


「失礼いたしました。冗談では聞き流せないお言葉でしたので」

「冗談ねえ……」


 物言いたげな視線が刺さるも、知ったことではない。しかしファラズは尚もこう続けるのだ。


「なら、真面目な問い掛けなら答えてくれるってか?」

「国の有事のさなかだというのに、俺の事情など些事でしょう。そんなことを尋ねる理由がない」

「お前さんの原動力を確かめておきたいのさ。悪事が出来るような人間には見えねえが……俺はアシュバル陛下ほど、己の直感は信じない性質でね」


 扉の外に、次の謁見者を待たせているはずだった。問答をしている場合ではないだろうと思うのだが、ファラズも譲る気配がない。


「俺は元々、先代陛下が盗賊だったころからの右腕だ」

「…………」


 その告白はつまり、ファラズもかつて盗賊だったことを意味する。

 軽薄に笑いながら明かされた過去に、ノアは目の動きだけで彼を見上げた。


「先代がここに国を作るまで、この一帯の砂漠は無法地帯でな。無理やり人を攫って売り飛ばすのも、孤児どもを纏め上げて商売をする大人がいるのも当たり前! 餓鬼だった俺は悪どい金持ちから盗もうとしてとっ捕まり、両手と舌を斬り落とされるところだった」


 ファラズはべっと舌を出す。そしてノアが顔を顰めると、不意に柔らかい表情を作って目を眇めるのだ。


「……俺を助けたのが、先代さ」

「……」


 その言葉にノアは顔を上げ、改めてファラズのことを見据えた。


「残念ながら俺は、死ぬまであのお方と息子のアシュバル陛下に恩を返さねばならん」

「……ファラズ殿」

「黄金の鷹の奪還まで、この宮殿を預けられた身だ。お前のことをそれなりに警戒もするし、信じるための材料を欲しもする。……これで分かったか?」


 そう言って苦笑するファラズを前に、溜め息をつく。


 数日前、ノアの目を見ただけで『信用できる』と断じたアシュバルに対し、警戒心が無さすぎると感想をいだいた。

 しかし今のノア自身も、ファラズの言葉に嘘は無いのではないかという、根拠のない想像を抱きそうになってしまっている。


「俺が我が主の命令に従うのは、ファラズ殿の考えていらっしゃるようなものではありません」

「惚れてはいない、と?」

「幼い頃に命を救っていただき、信念と誇りを賜りました。生きるための手段も、己が守りたいものを守る方法も、世界のすべてを」


 クラウディアがノアに願うことは、何もかも成し遂げてみせると決めた。


 クラウディアはいつも微笑んで言う。この人生では自由に生き、やりたいことしかやらないのだと。


 けれども本当のクラウディアは愛情深く、誰のことも見捨てることはない、そんな慈愛を世界中に注いでいる。

 自身に救えるものは何もかも救おうと、そのためにさまざまな場所に温かな手を伸べるのが、ノアの主なのだ。



「――俺の恋慕は、あのお方の望む生き方の邪魔になる」



 その事実を、幼い頃から分かっていた。


 傍にいることさえ叶うのであれば、その形がなんであっても構わない。

 クラウディアのために生きる許しを、クラウディアから貰えていればそれでよかった。


「……だから、これは懸想の類ではありません」


 はっきりと言い切ったノアに対し、ファラズが驚いたように目を見張った。

 それから顔を顰め、なんだか物言いたげに煮え切らない態度を見せる。


「……おいおい坊主。あのな、そういう感情こそが……」

「失礼いたします。恐れながら陛下、ファラズさま……」


 扉の向こうから遠慮がちな声が掛けられて、ノアは口を開く。


「待たせて悪かった。入室を許す」

「は。ありがたく存じます」

「……やれやれ……」


 本来であればファラズが促し、王が直接許可の声を発することは無いらしい。しかし問答が長引きそうだったため、この場合は仕方がないと判断した。


(不毛なやりとりをしている場合じゃない。……代理の仕事は早く片付けて、姫殿下に賜った調査を続ける)


 ノアはもう一度だけ、窓の向こうに見える後宮の方を一瞥したあとに、与えられた役割を淡々とこなしてゆくのだった。




***




 ノアが王宮でアシュバルの代理を続けているころ、後宮で悠々自適に過ごすクラウディアは、先ほど出会った大きな蛇と一緒に歩いていた。


 とはいっても、その『散歩』はとてもゆっくりなものだ。

 速度があまり出ない理由は、正午の高さに近付きつつある日差しがとても強いことや、後宮のその場所が少し入り組んでいることだけではない。


「ヘビさん、ちょっとまっててね? んしょ……」


 クラウディアが作り出す影は、普段よりとても小さかった。


 砂に埋め込まれた石畳を踏む足も、歩きながら壁をぺたぺた触る手も同様だ。

 とことこ歩くクラウディアに合わせて、大蛇も緩やかに進んでくれている。クラウディアはふふっと笑いながら、蛇の頭を撫でてお礼を言った。


「それにしても、ひさしぶりだわ。……六歳の、ちいさな子供のすがたになるなんて」


 後宮を歩くクラウディアは、先ほどまでの大人姿からも十三歳という実年齢からも掛け離れた、六歳の女の子の姿を取っていた。


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