148 王の素養
ノアはあくまで平然としたまま、考えていることを淡々と告げる。
「アシュバル陛下は快活な振る舞いをなさっておられますが、聡明なお方だというのはすぐに分かります。陛下がこの玉座に座っていたとしても、恐らく俺と同じようなことをお尋ねになったのでは?」
「……我らが王のことを、よく見ていやがる」
アシュバルという人間は、ノアにとってある人物を思い出させる。
明るく人好きのする振る舞いで懐に入り、それでいて聡く、他人の本質を見抜いて笑う男だ。
(ジークハルト。……あの国に結界を張って閉じ籠もり、お前は何を考えている?)
混ざってしまった雑念を振り払うために、ノアは瞑目してこう続けた。
「俺が王としての決断を下すことが出来ないのは大前提ですが、判断を先延ばしにするだけの印象を与えることは出来ません。なおかつアシュバル陛下がお戻りになった際には、検討材料がすべて揃っている形が望ましいと判断しました」
もっとも見聞きさせられる内容によっては、ノアの知識や能力でどうにもならない場合もある。そのため安易に出来るとは言わないつもりでいたが、先ほどの内容程度であれば問題はなさそうだ。
ファラズは納得したように、何やら深い溜め息をつく。
「あの大臣は隙を見ては、自分に都合の良い方にさり気なく誘導する悪癖がある。他国の有力貴族の血縁者だから無碍には出来ないが、さっきのも何かしら中抜きの目論見があったんだろう」
「そうでしょうね」
「この三日間、寝る間を惜しんで書庫に籠っていると思ったら……陛下のふりをするために、熱心にお勉強してたってことか?」
(……)
もちろん他にも目的がある。ノアが最優先するのはいつだって、クラウディアの命令を守り、益となることだ。
(黄金の鷹がこの国に渡った経緯を探るにも、王宮内を調べる建前は必要だ)
アシュバルの身代わりになるためという名目は、ノアの目的を上手く誤魔化してくれる。
とはいえ、年若くして王になったアシュバルに対する敬意も持ち合わせていた。
「俺がアシュバル陛下の代理を務めている間、陛下の御名を貶める訳には参りませんから」
「…………」
そう告げると、ファラズはふっと目を眇める。
「お前さんを従者に持っていると、主人は相当楽だろうな」
「……?」
脈絡なくクラウディアに言及されて、ノアは少々警戒した。ファラズは大臣が退室していった扉の方を顎で示し、皮肉たっぷりに言う。
「さっきの連中を見ただろう? 文官は内容を確かめただのなんだのと宣うが、右から左の伝言役としてしか機能していない。何人もが目を通して大仰に持ってきた書類だが、その内容は不足だらけ。それなら間を受け持つ人間が立たない方が、伝達の速度も上がるってなもんだ」
そんな人間を要職に置いておくしかないのも、入り組んだ事情やしがらみがあるからなのだろう。
クラウディアの父王は容赦なく人間を切り捨てるが、王だけがそれほど強い権力を持つ国は限られていることを、クラウディアに学ばせてもらって知っていた。
「坊主は右から左に伝言を回すだけでなく、自分の言伝を受け取った人間が、その次にどんな情報を求めるかを考えて動いている。一を言えば十を用意して待つ、そんな奴を傍に置いて動かすのはさぞかし快適な日々に違いない」
「……」
ファラズが自分に下す評価を聞いていても、ノアが脳裏に描くのはクラウディアのことだ。
『いいこと? ノア』
クラウディアと出会ったばかりのころ、彼女に忠誠を誓ったノアに対し、六歳のクラウディアはこう言った。
『お前は次期国王としての教育を受けた経験も、奴隷としての経験もある稀有な存在だわ』
ノアの物心がついてから、両親が叔父に殺されるまでの期間は、父の命令によって厳しい帝王教育を叩き込まれてきている。
それが未熟なものだという自覚はあったが、クラウディアはそうは思っていなかったらしい。
『私の従僕として生きていくのだとしても、その経験を決して無駄にしては駄目。――たとえば』
当時九歳だったノアのみぞおちを、クラウディアが小さな指でとんっと触れた。
『私や父さまが何かを命じたとき、お前は自分が王になったつもりで考えるの。忠実なる臣下が、自分のためにどう動けば嬉しいかをね』
『……従僕が、王の視点でですか?』
『ええそうよ。――せっかく王としての素養があるのだから、その才覚を枯らしては駄目。活かすことが私のためになると思って、頑張ってね?』
クラウディアは『私のため』などと笑っていた。
けれどもそれが何処までの真意なのか、ノアに掴めはしない。
「従者として不足のない動きを取れるのは、我が主から賜った教育あってこそです。俺自身の功績ではありません」
「へえ?」
(王らしい振る舞いについて惑わずに済んだのも、姫殿下があのお言葉を与えて下さったからこそだ。……かつての王族だった俺の過去を、捨てるなと仰った)
ノアの視線は無意識に、窓から見える後宮の方へと向いていた。
「ははあ」
ファラズはそれを見て、得心がいったように笑う。
「お前、その主人に懸想しているのか」
「――――……」
ノアが静かにファラズを睨んだ際、もはや殺気でしかない険を滲ませた自覚はあった。




