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146 王の忠臣


 ノアがこの王宮に通された最初の日、狐姿のアシュバルに連れられたこの男は、恭しい礼をしてみせたのである。


『私めはファラズと申します。黄金の鷹を奪還するまで、あなたさまがお力を貸してくださるとは……なんという僥倖』


 そう畏まったファラズは、ノアが少々見上げるほどの長身で、しっかりと筋肉のついた体つきをしていた。

 この地域特有の甘さが立つ香水をつけており、顎周りの髭は洒落っ気のある形に整えられている。


 恐らくは、クラウディアの父王やカールハインツよりも年長者だろう。そんな人物が、半分以下の年齢であるノアに頭を下げている。


 アシュバルが連れてきたとはいえ、この男にとってのノアは得体の知れない存在のはずだ。

 それなのに礼を尽くすファラズの姿に、ノアも誠実に答えた。


『……我が主君よりの命令ですので。互いの利害が一致したまでのこと、そのように畏まっていただく必要はございません。ファラズ殿』

『…………』


 ファラズの肩が震えている。

 それを少々訝しく思いながらも、ノアはこう続けたのだ。


『未熟な身ではありますが、精一杯アシュバル陛下の代理を務めさせていただきます。これより何卒……』

『ぶ……っ』


 そのとき、ファラズがいきなり腹を抱えて笑い始めた。


『ぶわはははっ、あーもう駄目だ!! 慣れねえことはするもんじゃねえな!』

『…………』


 突然の男の豹変に、ノアは思いっきり顔を顰める。足下では狐姿のアシュバルが、ほっとしたようにその尾を揺らして言った。


『驚いたぞファラズ。お前がそんなにそれらしい口調で話すところなんて、初めて見たな!』

『……アシュバル陛下。この男は……』

『ああノア、見ての通りだ! このファラズは親父の代から仕えてくれてた臣下で、友人みたいなものだったらしい。俺からしたらそうだなあ、「悪事を教えてくれる親戚のおっさん」って感覚だ!』

『はー痒い。慣れねえ言葉遣いで腹がむずむずしたぜ! ノアっていったか? 偽物役なんて引き受けてくれる物好きが、まさか本当に現れるとは。お前さん早死にするタイプだぜ、せいぜい気を付けな! ははは』

『…………』


 ばんばんと強く背中を叩かれて、ノアは無言を貫いた。ファラズは屈み込むと、仮にも自身の主君である狐をわしわしと撫でている。


(挙句に酒の臭いもするが。……この男が、国王の臣下……?)


 見るからに不誠実なその態度は、ノアからすれば相容れないものだった。

 わずかに考えを変えたのは、その後のファラズの発言を聞いたからだ。


『坊主、体幹がなかなかしっかりしてるな。生真面目な人間から剣を教わって、その鍛錬を生真面目にこなしたって体だ』

『……』


 ファラズはノアの方を見ることなく、アシュバルの耳の付け根を撫でながら続ける。


『見たところ、魔法と剣を織り交ぜて戦う方式が一番馴染んでるってところか? 随分と餓鬼のころから鍛えてきてるようだな』

『……あなたは』


 ほんの僅かなやりとりで、ノアのことをしっかりと見抜いている。


『――なあんてな』

『……』


 ファラズはこちらを振り返り、にやりと口の端を上げた。


『適当にそれっぽいこと言ってりゃ当たるだろ? ははっ、すっかり信じた顔してやがる! お前さん随分まっすぐに人の顔を見るが、どうやら性根もまっすぐらしい。本当に早死にする気質だな』

『…………』

『悪いノア、許してやってくれ。ファラズは俺に対しても割とこういう男で、ちょっと鬱陶しい奴なんだ!』

『陛下、いま俺のこと鬱陶しいって仰いました!? あーひでえ。慣れない王宮に連れて来られた若者の心を、少しでも和ませようという俺の作戦だったんですがね』


 ノアは眉根を寄せたまま、男から一歩後ろに遠ざかった。そんなノアの様子を見て、ファラズはますます面白そうに笑ったのだ。


『関わり合いになりたくねえって顔だなあ! 残念でしたっと』

『………………』

『くくっ。そんなに冷たい顔すんなよ、どうせなら仲良くやろうぜ?』


 ノアはファラズの軽口を無視することにした。


(……姫殿下や俺の周りにいなかった種類の大人だ。こんなろくでもない大人が、世間には存在しているのか)

『おーい。思ってることが顔に出てるぞ坊主』


 ノアが自分の見聞の浅さについて気を引き締めている間に、アシュバルが口に何かを咥えてやってくる。ノアに渡されたのは、豪奢なルビーの首飾りだ。


『ノア、この首飾りをつけてくれ。そうすれば、ノアが俺の偽物と知らない人間からは、ノアの顔が俺の顔に見えるはずだ』

『……上質な魔法道具ですね。非常に緻密な魔法が掛けられています』


 端的な感想を口にすると、アシュバルが嬉しそうに言う。


『ありがとうな! これは死んだお袋が作ったんだ。なんと声色もなんとなく似るらしいぜ? ノアの正体を知っている俺たちじゃ試せないけどな!』

『ま、大丈夫でしょ。いま王宮にいる人間の大半が、アシュバル陛下のご尊顔を直接拝見したことのない者たちですから』


 王の顔を見るのは恐れ多いという価値観の国は、ノアが知る限りでも珍しくない。

 それに加えてアシュバルが言っていたように、盗賊上がりで日頃から人に顔を覚えさせない習慣がついているのであれば、この魔法道具で偽装は可能だろう。


『俺の部屋は自由に使ってくれ! 後宮についても、クラウディアと話すために開放が必要だよな?』

『……よろしいのですか? 後宮に王以外の男が立ち入るのは、言語道断では』

『ノアが女たちに無体をするような人間じゃないってことくらい、すぐ分かるさ』


 アシュバルはいとも簡単にそう笑い、説明を続けた。


『後宮の外壁の結界は、すべての人間を弾くんだ。入り口にだけは結界がないんだが、内側と外側それぞれから厳重に見張られている。ファラズ、ノアが望んだときに扉を開けるよう計らってくれ』

『まったく。俺は後宮を出入りさせるのは反対ですけどね? あんな美女たちの楽園に立ち入ったら、鋼の理性も解けますって……おい坊主。分かりやすく軽蔑の目で見るんじゃないよ』


 ノアが視線に込めた感情を、ファラズはあっさりと読み取ったようだ。ノアは無言でふいっと顔を逸らし、そのまま話を続けた。


 この王宮で『偽物』のノアが行って許されることや、状況に応じて行わなくてはならないこと。何があってもやってはいけないことなどを彼らに告げられて、ノアからはそれに伴う質問をする。


 そうして『王の偽物』を務め始めてから、ようやく三日が経とうとしているのだ。


 クラウディアに命じられた偽物役を、生半可に実行する訳にはいかない。入念な準備と調査を重ねた結果、後宮に足を運ぶことは出来なかった。


(姫さまの身に危険が及んでいないことは、分かっているが)


 後宮の結界は魔法も遮断するため、ノアとクラウディアが直接やりとりをすることは難しい。


 アシュバルのための玉座の間で、ファラズが不真面目な笑みを向けた。


「なあに、安心しろ。俺も陛下も、お前に国王らしい振る舞いなんて期待しちゃいないさ」

「……」

「お前、高貴な女人の従者なんだよな? せめて主君が男であれば、普段のあるじの真似をして乗り切れたかもしれないが……」


 ファラズはひょいと肩を竦め、呑気にこう続けた。


「これからこの国の要人たちが、王にさまざまな要求をしにくる。お前は一切の決断をせず、『今後議論して判断する』という回答を繰り返せ」

「……分かっています」


 本来ならばそのような態度は、アシュバルの評価を下げてしまうものだろう。

 とはいえ偽物であるノアが、迂闊なことを言う方がまずい。そのことは理解しているので、おとなしくファラズに従う。


「来るぞ」


 そんなファラズの小声のあとに、早速ひとり目の男が現れた。


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