145 後宮からの歓迎
薄衣のドレスを纏っていたクラウディアは、指輪に込められた魔法を発動させる。しゅるしゅると生まれた光の帯が体に纏わり、外出着のドレスに姿を変えていった。
(黄金の鷹を知るにあたって、ノアに宮殿側を調べてもらうのは勿論だけれど。もっと確認したいのは、アシュバルのお父君である先代王についてだわ)
鮮やかなオレンジが透き通ったドレスは、風に揺られた裾が軽やかに膨らむものだ。
更にはその上から日焼けを防ぐ魔法と、冷たくて涼しい空気を纏う。ノアの指輪に込められた魔法は、クラウディアが望むものを熟知していた。
(先代王は、呪いの魔法道具である黄金の鷹をどうやって手に入れたのか。渡した人間はその後にどうなったのか。受け継いだ息子となるアシュバルに、接触していないのか……)
閉じていた目をゆっくりと開き、クラウディアは薬指の指輪に口付ける。
「いい子ね、ノア」
ここにいないノアにお礼を告げて、クラウディアは水浴び場から宮の中に戻る。その途中も仕上げのアクセサリーがぽんぽんと生まれ、クラウディアの耳や胸元を宝石が彩った。
(ノアに任せておけば問題ないわ。私も今日のお散歩で、後宮内の状況把握は終わるわね)
昼間の日差しがとても強いが、ノアの魔法に守られていれば問題はない。クラウディアが宮のエントランスに向かい、両開きの扉を押し開いたそのときだった。
「あら」
上からぼたりと何かが降ってきて、瞬きをする。
視線を足下に向ければ、そこには胴体がクラウディアの太ももよりも大きな蛇が蠢いていた。
その蛇は首をもたげ、クラウディアを威嚇するように口を開ける。耳を澄ませると、クラウディアの宮を囲う壁の向こうから、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
「ふふっ、悲鳴すら聞こえてこないだなんて。どうやら蛇に驚いて、恐怖に震えているようね」
「頃合いを見て、中に入ってみませんこと? 気を失って倒れでもしていたら、さぞかし滑稽な姿をしているはずですもの」
(…………)
後宮に来てから今日までの間に、何度か耳にした声である。ここにいるのが『伝説の魔女』であることを、彼女たちが知るよしもないのだった。
(さて、困ったわね)
人差し指を顎に当てて、クラウディアはううんと考える。
(――この蛇が私に怯え、そのために必死で威嚇していることを、彼女たちは気付いていなさそうだわ)
生き物は人よりも敏感だ。クラウディアの魔法ひとつで跡形もなく消し炭になってしまうことを、この蛇は恐らくは察している。
クラウディアはふっと目を細め、蛇の方に手を伸べた。
「おいで」
その言葉に、蛇が警戒してびくりと身を強張らせる。
「あの子たちに、魔法で捕まえられてしまったの? 怖かったでしょう。あなたは危ない子ではないのにね」
「……」
「私の周りがとてもひんやりして涼しいの、分かるかしら? こっちにいらっしゃい。大丈夫よ」
クラウディアはゆっくりと語り掛けながら、ノアの指輪によって纏う冷気の範囲を広げた。
その冷たさを感じ取ったらしい蛇が、ゆっくりとクラウディアに近付いてくる。遠慮がちにちらりと見上げてくるので、クラウディアは頷いた。
蛇はするすると身を滑らせ、クラウディアの隣で頭を持ち上げる。クラウディアがそっと頭の上を撫でてやると、安堵したように目を細めた。
壁向こうの少女たちが覗き込んできたのは、ちょうどそのときのことだ。
「あ……っ!? 嘘でしょ、あの子、あの蛇を……!!」
蛇とたわむれるクラウディアの姿に、ふたりの少女が真っ青になった。クラウディアはくすっと笑い、彼女たちに告げる。
「可愛い蛇を見せてくれてありがとう。あなたたちのお友達なら、こちらで一緒に遊びましょ?」
「ひっ……」
再び警戒心をあらわにした蛇が、少女たちを睨むように頭の位置を低くする。
「ほら。この子もこっちに来て欲しいって」
「そ、それは……」
彼女たちは顔を見合わせると、震える声でこう叫ぶ。
「あなたが悪いのです! 急に後宮へとやってきて、陛下の寵妃などと……!!」
「身の程を知りなさい! あなたなんか、ナイラさまの足元にも及ばないのですから!」
そう言い捨てたふたりの少女は、慌てて走り去っていった。クラウディアは少しくちびるを尖らせ、蛇の頭をよしよしと撫でる。
「後宮に来て掻き回しているのはこちらなのだから、彼女たちの言い分は甘んじて受けるけれど……それはそれとしても、嫌がらせにあなたを巻き込むのはいただけないものね?」
ひんやりしたクラウディアの手を当ててやると、蛇は心地よさそうに目を細めた。クラウディアは再び自分の宮の扉を開き、蛇を中へと案内してやる。
「このエントランスを抜けたところに水浴び場があるからいらっしゃい。あなたが外から後宮に迷い込んだのだとしたら、やっぱり生き物はここの結界を通り抜けられるのね」
クラウディアによる今日までの調査で、この結界はあらゆる人間と魔物を拒むが、動植物や虫、鳥が除外されているのは分かっていた。ただでさえ退屈な後宮暮らしが更に味気ないものにならないよう、そういった配慮がされているのだろう。
この蛇は砂漠でも珍しく、非常に頭の良い種類のはずだが、それでも魔物ではない。
「確か夜行性だったわよね? 暗くなったらお外に逃してあげる」
クラウディアが窓の外を指差してそう告げると、蛇はまるでそれを不要だと言わんばかりに、窓から見える別の建物へと頭を向けた。
「あれは……」
***
「――以上が今日のご公務です。『陛下』」
「…………」
原色の絨毯が敷き詰められた玉座の間で、王の身分を偽ることになったノアは目を伏せた。
「陛下が出奔から戻られて三日。ようやく王宮も落ち着いて参りましたので、少しずつお仕事に戻っていただきませんとね」
ノアの傍に立っているその男は、四十代くらいの見た目をしている。
はっきりとした彫りの深い顔立ちで、顎に少しの髭を生やした彼は、含みのある笑みを浮かべながら小声で言った。
「坊主が偽物だとバレたら俺も殺される。くくっ、せいぜい上手くやってくれよ? 『陛下』」
「……分かっています」
アシュバル曰く『協力者』だという男の皮肉に、ノアは静かに溜め息をつく。




