15 可愛い従僕
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森の中を吹き抜ける冷たい風に、白いレースのリボンが揺れる。
小さなクラウディアは、ミルクティー色の髪をさらさらと泳がせながら、三十センチほどの短い杖をひゅんっと振った。
「えい」
軽やかな声で言い放てば、裏腹に凄まじい雷鳴が爆ぜた。
小規模な落雷の繰り返しが、地面に牙を突き立てるように進んでゆく。そして、その合間を掻い潜るように、小柄な人影が走り抜ける。
それは、雷の剣を手にしたノアだった。
クラウディアは迷わずにノアを狙うが、素早い体捌きがそれをかわす。身を翻し、同属性の剣で弾いて、時には地面に手を突くことで体勢を直した。
ノアが一心に向かってくるのは、クラウディアの元である。
物怖じせず、勇猛果敢に、それでいて慎重さを残しながら。『本気で来るように』と命じた通り、黒い瞳は真剣だ。
そうして迷わずに踏み込むと、クラウディアに剣を振り上げた。
「は……っ」
(……筋が良いわ)
クラウディアを斬ろうと思うなら、これ以上ないタイミングだろう。
(でも)
クラウディアはそれを見上げながら、手にしていた杖をくるんと振った。
「だめね」
「……っ!?」
咄嗟に何かを察したノアが、攻撃のために翳した剣を斜めに構える。その刃がなんとか盾となって、氷柱の直撃を避けることが出来た。
「ぐあ……!!」
がきん! と衝突の音がして、ノアが後ろに飛ばされる。クラウディアはついでに杖を振って、第二、第三の氷弾を差し向けた。
「く、そ!!」
「あら」
ノアは腹部を押さえながら、それでも剣を真横に薙いだ。
氷が弾かれ、なんとかノアには当たらずに済む。その動きには驚いたので、素直にぱちぱちと拍手をした。
「えらいわ、ノア。いまのを止めるとはおもわなかったわね」
クラウディアが手にしているその杖は、先端に丸い石がつき、リボンの結ばれた可愛らしい杖だ。
もちろん、クラウディアが魔法を使うのに道具は必要ないのだが、見た目が気に入っているのだった。
その杖を魔法で仕舞い、地面に膝をついた従僕へ近づく。
背中を丸め、荒く息を切らしたノアは、声を絞り出すようにこう言った。
「っ、少しは、加減を」
「されたいの?」
「冗談じゃない……!」
そう言って、汗だくになりながらもクラウディアを睨みつける。
漆黒の瞳はまっすぐで、視線を受けるのは心地が良い。クラウディアは上機嫌で頷いて、従僕に告げた。
「とはいえ、ほんとうにたいしたものだわ。みじかい期間で、こんなにつよくなるなんて、ノアがいっぱいがんばった証拠よ」
するとノアは、恐らく意識して緩やかな呼吸を重ねつつ、まっすぐに言う。
「……このくらい、努力して、当然でしょう」
出会ったときよりも丁寧なその口調は、彼が最近使うようになったものだった。
「あなたの従僕である以上、誰にも負けないくらいの強さが必要です」
「……ふふっ」
自分の従僕として完璧なその答えに、クラウディアは頬を綻ばせる。
「いいこ。だけど、きょうはもうおしまいね。おなかがすいちゃうから」
「……このあと買い物に行きますからご安心を。村のパン屋のじいさんが、あのパンをまた焼いておくと言っていました」
「すてき! ねえ、卵もいっぱい買ってかえりましょ? それで、ノアのおおきなおむれつにするの」
「それは良いですが、魔力の残量は? ……俺を鍛えるためだけの訓練なのに、湯水のように魔力を使い過ぎです」
「まだへいき。それに、かわいい従僕のためだもの、惜しみなくつかうにきまっているわ」
そう言うと、ノアは途端に不貞腐れた顔をするのだ。
「……頼むから、可愛いはやめろ……」
「ふふ」
丁寧だった言葉遣いは、稽古中で余裕がないときや、拗ねたときにだけ崩れて戻る。
けれどもノア自身は、そうやって口調が乱れてしまう度、ますます顰めっ面になるのだった。
(精神的には私より年下であることを、随分気にしているのよね)
そういう未熟さが可愛らしいのだが、本人はきっと気付いていない。そんな風に思いながら、口元を手で覆ってあくびをする。
(それにしても、この生活に馴染んで来たものだわ)
クラウディアが前世の記憶を取り戻し、この可愛げある少年ノアを従僕にしてから、おおよそ一か月が経っていた。
森の中に高く聳え立つ塔では、ノアとふたりだけの暮らしを続けている。
そしてクラウディアは、長らく奴隷だったノアに対し、魔術の使い方を含めた稽古をつけているのだ。
前世では『魔女アーデルハイト』として、大勢の弟子を従えていた。
頼まれればすぐに弟子にしてやって、徹底的に教育をし、脱落する者は決して追わないというやり方だ。
結果として常に二十人ほど、それがかなりの頻度で入れ替わっていて、全員の顔と名前は思い出せないほどだった。
歴代の、累計で数百人を超えるであろう弟子たちの中でも、ノアにはひときわ高い才能がある。
その上、クラウディアが完膚なきまでに叩きのめすような稽古をしたとしても、ノアは泣き言ひとつ漏らさないのだ。
クラウディアの方から中断してやらなければ、いつまでも食らいついてくるその気概に、ついつい可愛くなってしまうのは無理もない。
それに、とクラウディアは微笑んだ。
「ほどけそうだわ。むすんで、ノア」
髪のリボンに触れてから言うと、ノアはまた眉根を寄せるのだった。
「……俺がいま触れると、汚れるでしょう」
「いいから」
「はあ……。こちらへ」
ノアの傍に立って背を向ければ、緩んだリボンを解いたノアが、もう一度朝のように結い直してくれる。
とても簡単な編み込みだが、最初は今よりも苦戦していた。
クラウディアの細くてさらさらとした髪は、ノアには扱いにくかったらしい。けれどこちらも、恐るべき向上心と努力によって、随分とさまになりつつある。
「……出来ましたが」
「ありがとう。かわいいわ」
そう言うと、自分は納得がいっていないという顔で、ノアはそっぽを向くのだった。
クラウディアはにこにこしながら、ノアの手を取る。
「それじゃあ、おかいものにいきましょ!」
「は? いえ、あなたはここで留守番を――……」
焦ったノアが言い切る前に、クラウディアは転移魔法を発動させた。
溢れた光が収まったころには、ノアとクラウディアは手を繋ぎ、いつもの村の片隅に転移している。
それなりの規模がある大きな村だが、大通りから一歩外れれば、放牧された動物たちが歩き回っているような農村だ。転移が村人たちに見つからないよう、人気のない場所を選ぶので、転移直後はたいてい動物たちに囲まれている。
「――……」
メエメエと寄って来た羊たちを押しやりながら、ノアが静かに抗議した。
「……姫さま。何度も申し上げますが、魔力の無駄遣いはやめてください」
「おるすばん、たいくつなんだもの。ほら、いきましょノア」
そうしてクラウディアは、顔馴染みになってきた羊のもこもこを撫でたあと、ノアと一緒に歩き出すのだった。




