143 後宮の寵姫
そこからのノアの反論は凄かった。
どちらかというと口数の少ない青年であるノアが、一度にこんなにたくさん喋るところを、クラウディアは久し振りに見たような気がする。
ノアの話した内容は、『クラウディアを後宮に入れず、王宮に招く合理的な手段について』だ。
彼は理路整然と、効率よく、それでいてクラウディアに負担の少ない方法をたくさん考えてくれる。
「姫殿下が魔法で男性の姿になり、髪を黒くして王の振る舞いをなさっては。俺がアシュバル陛下のふりをするよりも相応しいです」
「王さまの真似なんて嫌。それより私、ノアが王さまのふりをする方が見たいの」
「王宮に入る際、魔法で姿を消すのはいかがでしょうか」
「せっかくこの地域ならではのドレスをたくさん着られる機会なのに、透明になるなんて勿体無いわ」
「……俺が王宮内を探っている間、姫殿下にはご自宅でお待ちいただくのがよろしいかと……」
「それも嫌」
クラウディアはにこっと微笑んで、困り果てている従僕に告げる。
「ノアの傍に居られないと、さみしいもの。私とノアは、ずっと同じ所にいなきゃ駄目でしょう?」
「…………っ」
ノアはぐっと言葉に詰まったあと、額を押さえて俯いた。
「俺があなたのそれに敵わないのを、分かっていてやっていらっしゃる……」
「ふふっ、そうよ。私のさみしさの為なのだから、ノアは私の後宮入りを我慢してね」
従僕が一国の王のふりをし、その従僕の主君である姫が、後宮にいる妃候補となる。すべてが引っ繰り返ったような状況は、ノアにとって頭の痛いものだろう。
「話はついたか?」
「ええ、アシュバル」
クラウディアは返事をして、自分たちを覆っていた防音魔法を解く。こちらの会話がアシュバルに聞こえないよう、ノアが張った音の結界だ。
「ノアが俺に成り代わるために、必要な手配をすぐに進める。王宮内に協力者も配置するから、気軽に国王をやってくれ」
「……」
「クラウディアが後宮に入る流れだが。王宮を抜け出して留守にしていた『俺』が、出先で見初めて連れ帰ったって体裁が良いだろうな」
クラウディアは笑い、アシュバルに尋ねる。
「あら、それで信用してもらえるなんて。アシュバル『陛下』は日頃から奔放なのね」
「おっと、誓ってこれまでに女を泣かせたことはないぜ。だが、あんたの可憐さは説得力になる。これほど美しい娘が居たとあれば、一目惚れして口説き落としたと話しても疑われはしないだろう。問題は……」
アシュバルは胸の前で腕を組み、クラウディアをしげしげと眺めた。
「いかんせん幼過ぎる所だよなあ……十三歳って言ってたっけ? それも小柄な所為か、十歳か十一歳くらいにしか見えな……」
ぽんっと軽い音を立てて、クラウディアは煙の中から歩み出る。
「へ」
「この姿ならいいでしょう?」
大人になったクラウディアの姿は、すらりとした長い手足に、女性らしい豊満な身体つきを持っている。
纏っているドレスが薄手のものだった所為か、ノアがすぐさま歩み出た。魔法で作られた、砂や日光避けになる薄手のローブが、クラウディアの肩に掛けられる。
「……驚いた。後宮に入れるための説得力どころか、あんたを連れ帰らない理由が無いな」
「ありがとう。問題がなさそうでよかったわ」
ノアを振り返ると、やはり物言いたげな顔をしていた。クラウディアはくすくす笑いながら、従僕のさまざまな表情を楽しむ。
「名前はどうする?」
「では、『ディア』と」
大人姿でアーデルハイトの名前を使うと、さほど遠くない地にいるジークハルトの耳に届いてしまう可能性もある。アシュバルは頷き、てきぱきと進めた。
「それじゃ、これからふたりを俺の味方になる家臣の所に連れて行く。俺を偽装するための魔法道具を揃えてあるから、出し惜しみなく使ってくれ」
(ノアはやっぱり、アシュバルを信用しきっていない顔ね)
それを決して隠さないのが、ノアの誠実で真っ直ぐな所だ。
一筋縄で信じてもらうことは難しいと、アシュバルだって理解しているだろう。であればノアのように懐疑的な様子を崩さないでいてくれる方が、却ってノアのことを信頼しやすいはずだ。
クラウディアは、にこりとノアに微笑み掛けて言う。
「それでは行きましょう、『陛下』」
「――――……」
ノアが何かを言う前に、クラウディアは彼の口元へと指を翳した。
「ふふ。きちんと呼べる?」
「…………」
ノアは眉根を寄せたあと、ものすごく低い声で口を開く。
「………………『ディア』」
「いい子!」
クラウディアは大満足で、ノアの頭をよしよしと撫でるのだった。
***
ここ数日、密かに慌しかった王宮の中は、ようやく平穏を取り戻していた。
なにしろ姿を消していた国王が、先ほど無事に戻ったのだ。あちこちを捜索していた兵たちも、その知らせに胸を撫で下ろしたことだろう。
そんな中、一部の家臣が慌てた理由は、戻ってきた王が旅の歌姫を連れていたからだという。
惚れ込んだ彼女を後宮に入れると言い出し、家臣を驚かせたのだが、それくらいなら無理難題という訳ではない。
むしろ家臣の中には、これまで後宮の女性たちに熱心な興味を示さなかった王が、やっと真剣に世継ぎ問題を考えるようになったと喜ぶ者たちも多かった。
『――それと同時に』
石造りの水浴び場に座ったクラウディアは、アシュバルの光の文字による報告を読みながら、つまさきでぱしゃりと水を跳ねさせる。
『後宮に突如現れた寵姫に対し、正妻の座を狙っている他の女性たちが、並々ならぬ敵意を抱いている模様――……』
「まあ、大変ねえ……」
まさしくその『寵姫』であるクラウディアだが、後宮の庭に差し込むきらきらした日差しの中、のんびりと新鮮な果物を楽しんでいた。




