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141 神聖なる狐

【2章】




 その砂漠の中には、忘れ去られた遺跡が存在していた。

 石造りの頑強なそれは、王族のために作られた墓だったのかもしれない。砂の中で野晒しにされても風化が少なく、特殊な魔力を帯びた石材を使われているようだ。


 クラウディアとノアがその遺跡に入ったのは、ふたりの前を歩く一匹の狐に先導されたからだった。


「――俺が王になったのは、いまから三年前のことだ」


 壁も床も石で出来た細い通路に、その狐の声が響き渡る。天井は開いており、太陽の光が強く差し込んでいた。


「この国の王だった親父が死んで、臣下たちに王宮へ連れ戻されたことがきっかけだった。俺の外見から間違いなく親父の血を引いていると認められ、王位継承権があると。ふざけた話だよな」


 狐は真っ黒ですべすべな毛並みと、大きく膨らんだ尻尾を持っていた。

 クラウディアの目の前で、その尻尾がふわふわ揺れている。ランプを手にしたクラウディアは、その尻尾の動きを熱心に見つめながら口を開いた。


「お父さまが王さまだということは、アシュバルはちっとも知らなかったの?」


 すると、クラウディアに「アシュバル」と呼び掛けられたその狐は、振り返ってぴすぴすと鼻を動かす。


「知ってたら母さんが死んだとき、生き延びるために盗賊団の下っ端に入るなんてことはしてねえさ。もっとも、親父も昔は盗賊だったらしいから、臣下たちには親子だって笑われたね」

「私知ってる! 血は争えない、って言うんでしょ?」

「ははっ。そういうこと」


 クラウディアと楽しそうに話すその狐を、ノアが胡乱げに見下ろした。てくてくと歩いている狐は、ノアの顔を見て首を傾げる。


「どうしたノア。色々と聞きたいことがあるって顔だが、少し待っててくれよ。順番に話すが、『王になってほしい』の本題はアジトに着いてからだ」

「……いえ。お聞きしたいのはその件もありますが……」


 クラウディアをエスコートし、足元に注意しながら歩いているノアは、警戒心を隠さない声音でこう言った。


「――何故そのように、狐の姿を取っておられるのですか? アシュバル陛下」

「ふはっ!」


 魔法で狐に変身したアシュバルは、ノアの問い掛けに面白そうに笑う。


「あんたも経験しただろう? 都ではいま、王宮から逃げ出した俺を捜索中だ。十五歳前後で黒髪、背の高い男となると問答無用で捕まっちまう」

「あ! やっぱり兵士さんたちが探してたのは、アシュバルのことだったのね」


 クラウディアは無邪気な少女のふりをしつつ、改めてそう口にしておいた。アシュバルは再び前を向き、遺跡の奥へとクラウディアたちを案内してゆく。


「狐の姿はあいつらの目を欺く変装と、あとは利便性ってやつだな。砂漠を移動するときは、動物の姿の方が歩きやすいんだよ。さっきはあんたらが砂蟲に襲われてると思って、転移と同時に人間姿に戻ったんだ」

「アシュバルを探してる人たち、アシュバルのお顔をよく知らないみたいだった! あれはどうして?」

「お尋ね者の盗賊だった親父は、自分の顔が広く知られるのを嫌った。この国の初代国王だからな、親父の振る舞いが王宮の慣例になって、俺の顔を知るのもごく一部の大臣たちだけだ」


 恐らくは暗殺などの対策も兼ねていたのだろう。顔を知られていなければ危険は減り、影武者などの身代わりも立てやすくなる。


「俺の所為で悪かったなノア。だが」


 果てしなく続くかに見えた通路だが、ある地点を通り抜けると空気が変わる。


「俺と近い要素を持っているあんたが現れたことは、俺にとっちゃ最高の幸運だ」

「――――……」


 結界をくぐった感覚と共に、目の前の景色が一転した。

 無機質な通路にいたはずが、いつのまにか広い部屋に立っている。


 石で作られた遺跡の一室に、極彩色の絨毯が敷き詰められたその空間は、煌びやかな陽光によって照らされていた。それでいて中は涼しく、しっかりと気温の調整がされている。


(……腕の良い魔術師ね)


 結界によって隠されていた部屋には、金の装飾に彩られた調度品が置かれている。二脚が向かい合わせになった長椅子は、赤いベルベット張りだ。


 壁には大きな壁画が飾られており、そこには一匹の大きな狐が、口に金色の鳥を咥えた絵が描かれていた。


「狐は親父が好んだ生き物らしく、この国では神聖な動物って扱いを受けてるのさ」


 狐姿のアシュバルは、ふるふるっと頭を振って体の土埃を払う。


「親父は『狐が黄金の鷹を連れてくる』って言ってたらしいが、俺もこの魔法のお陰でガキの頃を生き延びられた。人間よりも狐の方が、人間から物を盗むのは得意だからな」

「アシュバル、本当に悪い人だったの?」

「もちろん悪人だ。気に食わねえ金持ちから金品を盗んで、それを貧しい連中と分け合いながら暮らしてきた。狙うのは他の人間をいたぶるような奴だけだって決めて、義賊ぶって生きてきたが……罪人は罪人。いまになって罰が下された」

「ばつ?」


 とんっと長椅子に乗ったアシュバルの体が、光を纏って人の姿になる。


 ノアと似た黒髪に、ノアとは違う赤の瞳を持つ青年だ。

 吊り目のまなじりには、朱色と金色によるアイラインが引かれていて、それが彼の肌によく映えている。


 アシュバルは、右手でクラウディアたちに椅子を勧める仕草をしながら口を開いた。


「親父から受け継いだ『黄金の鷹』が、王宮から盗まれちまったのさ」

「……」


 彼の言葉に、クラウディアは僅かに目を眇める。



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