140 思わぬ懇願(第4部1章・完)
ノアが転移先に選んだのは、王都の外に広がる砂漠だ。大きな岩影に降り立つと、抱き上げていたクラウディアをふわっと降ろす。
「姫殿下。靴などに砂は入っていませんか?」
「平気よ、お前の魔法がよく効いているわ。それにしても」
陽避けのヴェールをノアに掛けられながら、クラウディアは遠くの王都を見上げた。強い陽光を受けて輝く街は、遠目からだとよりいっそう眩い黄金色に見える。
「いまのは一体なんだったのかしら? 明らかにノアと誰かを間違えて、捕まえようとしていたわね」
「あの雰囲気は、以前にもこの国で感じたもののように思えますが」
それについては同感だ。この国で起きつつあることを想像し、クラウディアは目を眇める。
「それにしても」
「!」
ノアの正面に立ち、ずいっと下からその顔を覗き込んだ。
「よくも私のノアに触れようとしてくれたものだわ。『整った顔』と称したのは評価するけれど、ノアは唯一無二なのに」
「っ、姫殿下」
「他の人間と間違えるなんて、まったく許せないわね」
クラウディアは手を伸ばし、ノアの頭を撫でるようにして前髪を上げる。黒曜石の色を持つその瞳は、強い日光の下でも美しい。
「あの距離では、瞳の色はよく見えなかったのかもしれないけれど。探し人はお前に近い年頃で背格好、それから黒髪――……」
「姫殿下。俺の顔を検分なさりたいのでしたら、跪きますので」
大きな岩に背を付けたノアは、後ろに退がることも出来ない状態だ。向かい合ったクラウディアがぐいぐいと近付くものだから、身動きが取れないのだろう。
「外見の年齢か、髪の色を変えておく?」
「すべて如何様にも、仰せのままに。ですから姫殿下、少し離れ……」
「!」
その瞬間、それまでどうにか体を離そうとしていたノアが、反対にクラウディアを抱き込んだ。
ノアの纏うローブへ迎え入れるように、クラウディアの体が隠される。背中をぎゅっと抱き寄せられたクラウディアは、振り返って背後の砂漠を見据えた。
直後、どこんっ!! と地面が揺れる。
砂漠が割れるような地響きと共に、砂の中から何かが飛び出した。砂煙を引き連れて顔を出したのは、この地域特有である魔物だ。
「砂蟲……」
それは、巨大な蛇のような体を持っていた。
牛の一頭は平気で飲み込めそうなサイズの頭は、大きな口だけが付いている。目を持たず、潜っている砂の振動だけで獲物を探る、獰猛な肉食の魔物だ。
「転移で急に現れた獲物に、混乱と興奮を抱えているのね」
砂蟲はこちらに狙いを定め、醜い口を開いていた。頭を揺らすその動きは、捕食行動とされているものだ。
「見た目があんまり好きではないわ。ノア」
「はい」
ノアが淡々と手を翳した。けれどもそのときクラウディアは、咄嗟にノアを制止する。
「――待って」
「姫殿下?」
「やはり、いま動いては駄目」
クラウディアが止めた理由について、ノアはすぐさま気が付いたようだ。
「あれは……」
クラウディアを抱き込んで守るノアが、砂蟲の上に視線を向ける。後ろに大きく頭を引いた砂蟲が、揺れ戻った反動でこちらに襲い掛かろうとした、そのときだった。
「――――っと!」
流れ星が爆ぜるときのような光を放ち、上空から人が現れる。
転移魔法で落ちてきたのは、ひとりの青年のようだった。
纏ったローブで身を隠しており、その姿ははっきりとは分からない。けれどもノアと同じくらいの体格で、その手には大きな湾刀を持っている。
「潰れろ、砂ミミズ!」
青年は威勢よくそう叫ぶと、落下しながら真っ直ぐに湾刀を振り下ろした。
その斬撃が光を帯び、巨大な衝撃波となって放たれる。それが砂蟲の首に直撃すると、大きな悲鳴が響き渡った。
「よし、討伐完了!」
砂蟲の頭が落下して、重い振動が伝わってきた。砂の上に降り立った青年は、湾刀を振ってから背中に仕舞う。
「あんたら怪我は無いか? この時間に砂漠を歩くときは、こいつらに気を付けた方がいい。ここ数日は特に日照りが強くて、砂蟲が都に近付いちまうんだ」
「ありがとうございます。親切なお方」
ノアの腕から離れたクラウディアは、青年に向かって礼をした。ノアはクラウディアの後ろで跪き、見知らぬ相手への敬意を示している。
「突然大きな魔物が出てきて、驚いてしまいました。助けていただき……」
「おや。あんたのお連れさんは、魔法で対処しようとしていたように見えたが」
(ふふ、見抜くわよね。この青年も見た所、かなりの魔法の使い手だわ)
クラウディアは微笑み、ノアのことを振り返った。
「ノア、お前もお礼を」
「はい。姫殿下の危機を救っていただいたこと、心より――……」
「おい、あんた」
ノアの言葉を遮って、青年が目を見開いた。
「その黒髪。身長に体格。年齢……」
「……?」
嫌な予感がしたらしく、ノアが目を眇める。青年はなんだか慌てた様子で、跪いたノアの前に膝をついた。
「頼む!! どうかあんた、俺の頼みを聞いてくれないか!」
「……? 頼み、とは」
「そこのお姫さまみたいな女の子、あんたが彼の主人だな!? となれば話を付けるのはあんたの方か、あんたにも頼む!!」
青年が砂に額をつけるので、クラウディアも目を丸くした。
「剣士さま? どうかお顔を上げてください、一体どうなさって……」
クラウディアが言い切る前に、青年は顔を上げてローブを脱いだ。そこで彼の外見に気が付いて、納得する。
その青年は、ノアと同じ黒髪を持っていた。
その指には黄金の指輪がいくつも輝き、彼が高貴な身の上であることを示している。
(ノアと同じ年頃。高い魔力を持ち、身分が高くて――恐らくは、あの兵たちに行方を探されていた張本人)
そして青年は、クラウディアが予想していた通りの名乗りを上げる。
「俺の名はアシュバル・カディル・ハミド。この国の王だ」
青年王アシュバルは、ノアを見上げて真摯に言った。
「どうか俺の話を聞いてくれ。そこの兄さん、あんたに改めて頼みがある」
アシュバルは、ノアに向けてこう懇願するのだ。
「俺の代わりに、この国の王になってはくれないか」
「――――は?」




