139 清らかな都
いつもはある程度の格式を重んじ、タイトな衣服を着ていることの多いノアだが、砂漠ではゆったりとした服を選ぶようにクラウディアが命じた。
そのため今日のノアは、白を基調とした刺繍入りの衣服を身に付けて、ローブを纏っている。
けれども彼の関心ごとは、クラウディアただひとりのようだった。
「そちらのヴェールを外してしまわれては、暑気がお体に障ります」
「平気よ。ノアの氷魔法が、ドレスにもちゃんと掛かっているもの」
そう言って笑い、建物の陰でひらりと両手を広げた。
クラウディアが着ている今日のドレスは、鮮やかなターコイズ色の青緑だ。
肌触りのよく透き通った生地で、袖口が大きく開いている。裾がひらひらと広がり、全体的に軽やかなデザインで、氷魔法の冷気が通りやすくなっていた。
下に行くにつれて色が濃くなるドレスの裾には、赤や黄色のビーズで模様が縫い込まれている。
ノアが魔法で作った今日のドレスも、砂漠を過ごしやすい装いでありながら、クラウディアによく似合うものだ。
「それにこの国も、三年前より過ごしやすくなっていそうだわ。見て」
クラウディアがまなざしで示したのは、大通りの両脇に作られた水路だった。
この砂漠では貴重なはずの透き通った水が、王都に張り巡らされた水路を勢いよく流れている。その水は、王宮と王都を隔てる大門の向こう側から流れてきているようだ。
「街中の水路を流れる水があるお陰で、外の砂漠よりも王都の方が涼しいみたい。魔法が使えない人たちが、少しでも快適に過ごせるよう工夫されているのね」
「オアシスから引いた水ではなく、魔法によって生み出されたもののようですが」
「腕の良い魔術師を、大勢仕えさせているみたい。この環境でこれほどの水量を出せる魔術師を雇うには、さぞかし費用が嵩むでしょうけれど……」
この国には、それを賄うだけの財力があるということだ。
「二十年前には、ちっぽけなオアシスしか存在しなかった場所だとは思えないわね」
この場所はかつて、水たまりのような水場がある他には、一面に砂の景色が広がるだけの土地だったらしい。短い雨季にだけ現れるオアシスで、晴れ間が続けば消えてしまうほどだったそうだ。
この砂漠地帯にはいくつかの小国が点在しているが、それは枯れないオアシスがある場所に限られていた。
「本来だったらこの土地に、こんなに大きな国が出来上がるはずもなかったのだわ。……盗賊だった先代の王が、宝物を手にしない限りは」
「……」
クラウディアたちがその話を聞いたのは、三年前にこの国を訪れたときだった。
『亡くなられた陛下は、俺たち砂漠の民を虐げていた憎い連中から、「黄金の鷹」を奪ったのさ!』
『黄金の鷹?』
大人の姿を取ったクラウディアは、酒場で酔客の言葉に耳を傾けていた。
『なんでも砂漠の神の加護が宿った、財を生み出す宝なんだと。陛下はそれを自分のために使うんじゃなく、自分が王になって国を作り、貧しい砂漠で必死に生きていた俺たちを迎え入れて下さったんだ』
ひとりの男がそう言えば、他の客も集まってきて口々に言う。
『魔術師を雇い、オアシスを広げて、水を買う金に苦しむ民に無償で振る舞った!』
『オアシスの傍で生きられるようにと、俺たちの家を魔術師に作らせた』
『砂漠を渡る商人たちを呼び寄せるために、市場や宿を作って街を築いた!』
けれども彼らのその顔は、すぐさま悲しみに歪んでしまう。
『本当に素晴らしい王だったんだ。……あの方が死んでしまったこの国で、俺たちはどうしたら……』
『……陛下の御子がいらっしゃるんだ。王子殿下が、必ずこの王都のどこかで暮らしている。俺たちは陛下の御恩に報いるためにも、国民総出で王子殿下を探し出すぞ!』
『おお、当たり前だ!!』
威勢の良い声が上がる酒場で、クラウディアは果実ジュースの入った器を手に尋ねた。
『黄金の鷹とは、一体どういうものなのですか?』
男たちは互いに顔を見合わせたあと、「そりゃあ……」と積極的に教えてくれる。
『確かその鷹は一日に一度、黄金の卵を産むんだぜ』
『いやいや違う! 俺がじいさんから聞いた話では、「鷹」は巨大な黄金の塊だそうだぞ。あのでっかい王宮は鷹を覆うための建物で、陛下はそれを少しずつ削って……』
『陛下がそんなみみっちい真似をするか! いいか「黄金の鷹」ってのは比喩でな、実際はこの砂漠に埋まった金脈を表した地図のことで……』
男たちが口にする説明は、それぞれにまったく異なるものだ。クラウディアがあらあらと首をかしげると、カウンターの隅に座っていた男がぽつりと呟いたのである。
『……持ち主が狙った生き物を、黄金に変えちまう魔法だよ』
『!』
無口な男がそう言って、酒器に入っていた酒を飲み干す。カウンターに金貨を置いて、彼はそのまま立ち上がった。
『そこのおじさま。よろしければそのお話、もう少しお聞かせいただけませんか?』
クラウディアが微笑んで声を掛けるが、男は店の出口まで歩いて行ってしまう。
『俺が知るのもこれだけだ。これ以上、聞かせられることはない』
『……あら。残念です』
言葉に嘘は無かったようなので、クラウディアはそのまま彼を見送った。
それが三年前、最初にこの国を訪れたときの出来事だ。
「ノアはあのとき大人姿になれなくて、宿でお留守番だったのよね。『国にいる十五歳前後の男子は全員、たとえ旅人であろうとも、行方知れずの王子でないかを確かめる』というお触れがあったから」
「……改めて、姫殿下が酒場に行かれる必要は無かったのでは?」
「酒場じゃないと聞けないお話というものがあるでしょう。情報収集は大事だって、常日頃ノアに教えている通りよ」
クラウディアとノアはこうやって、世界各国を旅して回る。その際に噂話を集めることで、後々起こる呪いの騒動に備えているのだ。
三年前にこの国を訪れたのも、決して呪いの兆候があったからではない。
「平和な土地を見回って、安全であることを確かめる程度のつもりだったのに。……あのとき引っ掛かった『黄金の鷹』について、入念に調査はしたつもりだったけれど、気が付けなかったのは失態ね」
「当時はあくまで、噂話という程度でした。呪いの気配が何処にもなかったことは確かですから、存在しないものを見付けることは出来ません。……今もそうです」
ノアは言い、太陽を背にした王宮を見据える。
「依然として、この国に呪いの気配はありません」
「……」
クラウディアの国の城に落ちてきたグリフォンは、不快な呪いの気配を纏っていた。
けれどもシャラヴィア国の王都には、決してそんなものは感じられない。
「あのグリフォンが呪われて黄金になったことに、この国は無関係なのかしら」
「……」
クラウディアがぽつりと呟いた、そのときだった。
「おい、見付けたぞ!!」
「!」
手に槍を持った数人の男たちが、ノアのことを見付けて声を上げる。その正装らしき衣服を見て取るに、彼らはこの国の兵士のようだ。
「年頃と背格好。あの黒髪、端正なお顔立ち。間違いない、肖像画の通りだ!!」
「逃すな、だが丁重にお連れしろ!」
彼らはそう言うと、ノアを目掛けて走り出した。ノアは眉根を寄せ、怪訝そうに男たちを見遣る。
「なんだ、こいつらは……」
「ノア」
「はい。姫殿下」
クラウディアが手を伸ばすと、命じるまでもなく察したノアが抱き上げてくれる。ノアは兵士を相手にすることもなく、その場ですぐさま転移魔法を使った。
「な……っ!?」
目の前でクラウディアたちが消えたことに、兵士たちが声を上げる。




