14 魔術師の思惑
「さて」
そうして、人差し指でふわりと宙を撫でる。
まるで指揮でもするかのような仕草のあと、ぽんっと音を立てて現れたティーセットに、カールハインツは息を呑んだ。
クラウディアが操るポットが、ティーカップへとお茶を注ぐ。柔らかな湯気と共に、こぽこぽと音を立てるそれを、ノアが静かに眺めていた。
「お茶におさとうは必要かしら? おきゃくさま」
「……いいえ。どうぞ、お気遣いなく」
クラウディアは微笑み、カップのひとつをカールハインツの眼前に浮かばせる。
彼がカップを受け取ったのを待って、魔法の浮力を解除した。自分のカップにも手を伸ばし、ふうふうと息を吹きかける。
カールハインツは、ためらうことなく紅茶を飲んだあと、カップをテーブルに置いてから無表情で言った。
「――無から有を生み出すのは、非常に高度な魔法です。加えて、これほど繊細な動きの制御と温度の調整。それら一連の魔法を、無詠唱で発動させるとは」
赤い瞳は、淡々とクラウディアを見つめている。しかし、次に告げられたその賛美は、正真正銘の本心だろう。
「お見事です。姫殿下」
「ありがとう」
優雅に微笑んだクラウディアは、六歳の少女の演技をやめている。
このカールハインツに対しては、取り繕っても意味がない。
筆頭魔術師を冠しているだけはあり、他の魔術師たちとは明らかに違っていた。ほどよく熱い紅茶を飲みながら、クラウディアは目を伏せる。
(誤魔化せないのなら、違う方法を使うしかないわよね。――この男が、私の邪魔にならないように)
クラウディアの小さな体では、椅子に座ったままテーブルに手が届かない。
ノアに「置いて」と命じれば、彼はカップとソーサーを受け取り、そっとテーブルに置いてくれた。
「それでは、おきゃくさま。本題をきこうかしら」
もちろん、カールハインツの目的なら知っている。
伯父とカールハインツの会話について、クラウディアは全部聞いていたのだ。だが、敢えてカールハインツの口から語らせる。
「国王陛下は国防のため、新たな戦力を求めていらっしゃいます。そして、それにはまず王族をとのお考えから、王族の皆さまの魔力についてを改めて調査なさっている」
「では、水晶をわたしてちょうだいな。わたしの魔力をはからせてあげる」
微笑んだままのクラウディアは、飴玉をねだる子供のように、華奢な手を前に差し出した。
「『やっぱり欠けている』とわかったら、おとうさまは放っておいてくださるのでしょう?」
「……」
物言いたげな視線を向けてきたのは、椅子の斜め後ろに立っているノアだ。
そこに呆れが含まれているのは、振り返らなくても分かった。もちろんクラウディアだって、そんな要望が通るとは思っていない。
「姫殿下。私はこの国に仕える身です」
案の定、カールハインツは生真面目に言った。
「国を護るために、国王陛下が施策を講じられたのであれば、それに従わなくてはなりません。あなたが、水晶の鑑定結果をどのように操作なさろうとも、この目で見たものを報告する義務があります」
「こまったわ。わたしはまだ六歳の、ほんのちいさな子供なのに。せんそうのための武器として利用されるなんて、いけないわよね」
クラウディアは目を細め、くすっと笑った。
「姫殿下におかれましては、陛下へのご報告後、王都にお戻りいただくことになるでしょう。そこでしかるべき教育を受けていただきながら、来たる戦いに向けての準備をしていただき……」
「カールハインツ」
ここにきて、初めて男の名前を呼ぶ。
そこに込めた意味を、カールハインツは感じ取ったはずだ。
クラウディアは、ふわふわのクッションを膝に抱きながら、あくまで穏やかに告げる。
「わたしがその気になった場合、おとなりの国をどれくらいの時間で壊せるか、当ててみて?」
「――……」
カールハインツは短く息を吐き、慎重に答えた。
「……敵の王を討つだけならば、数秒とかからず。魔術兵を壊滅させるには数分、王都を破壊するには一時間、国をすべて焼き払うのであれば三日といったところでしょうか」
「ふふ。あなた、ほんとうに優秀なのね」
こちらの魔法のうち、ほんのわずかな片鱗しか見せていないにもかかわらず、カールハインツの見立ては正解に近かった。
(けれど、近くても正解ではないわ)
その情報を得られたことに満足しつつ、カールハインツを見つめる。
「では、ここにいるノアはどう?」
「粗削りですが、非常に優秀な魔法の才能を持っています。――それこそ、大国の王族にも匹敵するほどに」
「そうなの。ノアはね、わたしとおなじくらいの魔力をもっているのよ」
黙って立っているノアの視線に、もはや異論の気配は無い。クラウディアがやりたいことを、すでに見抜きつつあるようだ。
(ノアに才能があるのは本当。だけど、私と同じ魔力量という話についてはさすがに嘘。……とはいえ今のノアは、眷属契約によって私の魔力を共有しているわ)
クラウディアの魔力を調べたときと、ノアの魔力を調べたときでは、実のところひとつの貯蔵庫を覗いているだけに過ぎない。
しかし、カールハインツからは、同じ大きさの貯蔵庫がふたつあるように見えるはずだ。
(カールハインツは優秀。……だからこそ、『私とノア』ふたりを合わせた場合、どれほどの脅威かを明白に想像するでしょう)
クラウディアは、悠然とした笑みを向ける。
「わたしをつれていきたい理由は、国をまもるためなのね?」
「……仰る通りです」
「では、はなしは簡単よ」
小さなくちびるの前に、人差し指を立てて言った。
「――そのいちばんの方法は、私のじゃまをしないこと」
「…………」
カールハインツが、そこでゆっくりと目を閉じる。
「そのようなお言葉は、国に害成すと取られかねないものです。姫殿下であらせられようとも、看過するわけには……」
そのとき、歩み出たのはノアだった。
カールハインツがノアを見遣る。ノアはきっと、漆黒の瞳で静かに睨んでいるのだろう。
心の中で、『いい子』とノアを撫でてやりながら、クラウディアは微笑んだ。
「わたしはね。やりたいことしかしないの」
抱き込んだクッションに顎を乗せて、彼に告げる。
「カールハインツ。……あなたほんとうは、おとうさまのためにわたしを連れていくべきだなんて、それが本心ではないのでしょう?」
そう告げると、カールハインツがわずかに目を見開いた。
些細な変化だが、すでに勘付いていたことへの確証を得るためには、その反応だけで十分だ。
「この国が、ちかくの国と仲がわるいのはどうして?」
「……急激な緊張状態となりつつある原因は、国境付近の緊張状態が続いたことによるものです。両国民の小競り合いも起き、治安が乱れ、それをいさめる立場の魔術師同士で争いになることもあります」
「こくみんが、おとなりの国とけんかをする理由は何かしら」
「国境付近に流れ着いたこの国の民は、貧しさに苦しむ者が多い傾向にあります。明日の暮らしに困った結果、国境を侵して盗みに入る」
「では、そのひとたちがおなかを空かせているのは、だれがわるいの?」
「……姫殿下」
記憶を取り戻す前のクラウディアは、ぽつんとして人形のようだった。
それでも、何も見聞きしてこなかったわけではない。
入ってきていた情報を、いま改めて整理すれば、おおよその事情くらいは分かる。
「おろかな王に、一国をもかんたんに滅ぼせる『兵器』を与えたらどうなるか、誰だってかんたんに分かるでしょうに」
カールハインツが眉根を寄せる。
国に仕える身である彼は、ここで軽率に言葉を発することが出来ないのだ。
「ようく考えてね。この国をまもるために、一体なにがひつようかを」
「……」
「――さて!」
クラウディアはぴょんと椅子から降りると、幼い少女の笑みを浮かべた。
「おきゃくさまがお帰りだわ、ノア。お見送りをしなくちゃね」
「ああ」
そう返事をしたノアの声には、カールハインツへの牽制が滲んでいる。
カールハインツは立ち上がると、クラウディアに向かって一礼した。
「今日のところは、これにて失礼いたします。我々は近隣の村に滞在しておりますので、また日を改めて」
「筆頭魔術師がいつまでもこんなところに滞在して、怪しまれたら迷惑だ」
カールハインツにそう告げたのは、ノアだった。
溜め息をついたカールハインツは、ノアを見下ろす。
「……黒色の瞳か」
「いいでしょう? でも、あげないわ」
「……」
クラウディアが口を挟めば、カールハインツは無礼を詫びるように再び礼をする。
そして、部屋を出ていった。
(ふう)
クラウディアはもう一度椅子に腰を下ろすと、クッションを抱きながら考える。
(この先に起こることも、きっと大体は想像通りかしら。つまらないけれど、仕方ないわ)
目を瞑っていると、傍らに立っていたノアが動いた気配がした。
クラウディアは瞼を開き、そちらに視線を向ける。すると、神妙な面持ちをしたノアが跪き、クラウディアの頬に手を伸ばすのだ。
そして、尋ねてくる。
「……魔力をまた、消耗したんだな」
「カールハインツには、わたしのちからを理解させておかないとね。それに、おちゃがのみたかったの」
「俺やあんたの服を、魔法で作り出してみせるのは、やっぱり高度な魔法なのか」
「そう。高度で、とてもかちのある魔法よ。きちんとした装いをしているだけで、ことばや振る舞いに、たくさんの説得力がでるの」
微笑んでそのことを説明すると、ノアはぐっと眉根を寄せたあとに言った。
「……茶の淹れ方は、俺が覚える」
「……ノア?」
予想していなかったその言葉に、クラウディアはぱちくりと瞬きをした。
「着替えも用意する。髪も俺が梳かして、毎朝あんたの着飾りたいようにさせてやる」
「……」
「従僕として、やるべきことはなんだってやる、だから」
そして、真剣な顔で言うのだ。
「そんなに、自分を削るようなことを、するな」
「――……」
これには、本当に驚いてしまった。
魔力と体力はとても似ていて、枯渇してくると疲れたり具合が悪くなる。クラウディアが眠気に抗えないのも、すべてはその消耗によるものだ。
けれどもまさか、こんなに真っ向から心配されるなんて思わなかった。
前世の魔女アーデルハイトだって、こんな言葉を掛けられたことはない。
アーデルハイトが強大な魔法を使い、一国の運命すら左右することなど当たり前で、アーデルハイトが消耗していることなんて、誰も考えもしなかっただろう。
だというのに、目の前の九歳の少年は、真摯にクラウディアを案じている。
あんまりに驚いて、しばらく何も言えなかった。そのうちにノアは、ばつが悪くなってしまったのか、気まずそうにふいっと視線を逸らす。
「……いや。的外れなのかも、しれないけど」
「……おまえが」
クラウディアは、きょとんとしたままノアに尋ねた。
「おまえが、わたしの支度をしてくれるの?」
「!」
漆黒の目を丸くしたあと、ノアはすぐさま真摯に頷く。
「ああ」
「……ふふ」
クラウディアはにこりと笑い、心からの言葉を口にした。
「それは、とてもうれしいわ」
「…………」
ノアの方も、ふっと綻ぶように笑ってみせる。
そうと決まれば、まずは何から教えるべきだろうか。クラウディアはわくわくした気持ちになりながら、ノアの教育プランを考えることにする。
それは、これまでに一度も想像したことのなかった、不思議な展開なのだった。




