134 従僕の本懐
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叙勲式を終えたあと、大聖堂の控室でマントを外したクラウディアは、いつも通り従僕にそれを差し出した。
十三歳の華奢な肩には、刺繍糸や宝石をふんだんに使ったマントは重すぎる。ほうっと息を吐き出すと、白いマントを受け取った従僕がこう述べるのだ。
「先ほどは素晴らしいお姿でした。姫殿下」
「まあ。素晴らしいだなんて」
ふたりっきりの控室で、おかしくなってクラウディアは笑う。
「あの式の主役は私じゃないわ。お前こそ本当にすごく立派で、とっても誇らしかったわよ」
そう言って彼の方に手を伸ばすと、その頭をよしよしと撫でてやった。毛先の跳ねた黒髪は、子供の頃から変わらずに触り心地が良い。
「騎士爵の叙任、おめでとう。――可愛い可愛い、私のノア」
「……姫殿下のお言葉、有り難く賜りますが……」
目の前に立っているノアは、少し眉根を寄せていた。
先月十六歳の誕生日を迎えて以降、ノアは日に日に大人びている。多くの国で成人とされる年齢になり、心構えが変わったのだろう。
元々寡黙で物静かな少年だったが、その雰囲気が成熟しつつあるのだ。
まだまだ発展途上な一面を感じるものの、恐らくノアの胸中に、自分が子供であるという言い訳は存在していない。
「地位も称号も、俺にとってはさほど重要ではありません。あなたの従僕であろうと騎士であろうと、やるべきことに変わりはない」
「あら、それはなあに?」
「あなたにすべてを捧げるだけです。――その許しをいただけるのであれば、俺には他に何もいりません」
その真っ直ぐなまなざしは、少年だった頃よりも一段と研ぎ澄まされていた。
出会ったばかりのクラウディアであれば、この忠誠をはっきり拒んでいただろう。ノアにはノアの生きるべき人生があり、クラウディアに費やすものではないと叱ったはずだ。
けれどもいまのクラウディアは、ノアの『すべて』を受け入れると決めている。
惜しみなくノアの命を使い、クラウディア自身の命を預けることが、ノアにとって爵位以上の誉れだと知っているからだ。
だからこそ、ただ彼の成長を祝うだけではなく、このところの懸念事項についても共有しておく。
「叙勲式の最中に、あなたの祖国の情報が入ったわ」
「……」
微笑みながらそう告げると、ノアが静かに目を伏せた。
「レミルシア国に転移出来なくなったのは、やはり国王崩御後に国境を封鎖したからよ。大喪のためだという名目で結界を張って、国への出入りを極端に制限したみたい」
「あの国では確かに大昔、そういった儀式が存在したようですが……」
「あなたたちの先祖であるライナルトが、なにかの魔法を残したのかもしれないわね」
レミルシア国の異変を察知したのは、いまからほんの一週間ほど前のことである。
そもそもノアはその国の王族であり、かつての王太子だった。
九歳の頃に確執を葬り去り、その地位を捨ててクラウディアの従僕になったものの、二年と数ヶ月前にとある出来事があったのだ。
それはノアの従兄弟である少年、ジークハルトとの出会いだった。
ジークハルトは呪いの魔法道具に関与しており、その他にも怪しい動きを取っている。
そのことが判明したものの、かの国にさまざまな思惑があるのは明白だ。迂闊な動きを取る訳にもいかず、間接的かつ入念な準備を重ねている中で、ノアの叔父だった国王が亡くなったとの報せが届いたのだ。
それは即ち、ジークハルトが国王になることを意味する。
そしてかの国は、三年という長期期間の喪に服すと同時に、国境を結界によって封鎖したのだ。
「結界を張られる前に、『服喪期間中は国への出入りが出来なくなる』と通達があったそうよ。セドリック先輩はおうちの判断で、先輩だけが国外に出ることになったのですって」
「……その結界は、外敵を阻むものなのでしょうか? それともかつて奴に出会った、海底にある学院のように……」
「国民を中に閉じ込めるため。――そんな機能を持っていても、おかしくはないわね」
そう告げるとノアは息を吐き、クラウディアに尋ねてくる。
「いかなる結界であろうとも、ご命令をいただければ俺が破ります。ですが、強行突破をなさるおつもりはないのでしょう?」
「いまは時期尚早だわ。あの国が世界中に『呪い』をばら撒いているのであれば、一歩間違えると無関係の民に犠牲が出てしまうもの。……それも、か弱くて幼い存在から順番に」
どれほどまだるっこしく感じても、順番に手数を踏んでゆくしかない。
クラウディアが少しだけ俯くと、ノアがクラウディアの前に跪き、こちらを見上げながら手を取った。
「ひとつずつではありますが、『呪い』は確実に破壊されています。この七年間で尽力なさっている姫殿下が、そのようなお顔をなさる必要はありません」
「……ノア」
ノアは真摯なまなざしを向け、クラウディアに告げる。
「すべての準備が整えば、万事が姫殿下の思うままになります。ですから今は少しだけ、ご辛抱を」
「――――……」
ノアが大人びた表情をするようになったのも、それは当然のことなのだ。
出会ってから七年が経ったということは、七年ずっと支えてくれていたということなのである。クラウディアは微笑んで、ノアの頭を再び撫でた。
「さっきの叙任式。私の剣にキスをしたでしょう?」
「……ああ。そうですね」
「ノアったら。何処であんなことを覚えたのかしら」
儀式の際にどう振る舞うかは、ノアの自由にしていいと告げていた。
ノアはシンプルな物事を好む。簡素なもので終えると想像していたのに、思いのほか情熱的で驚いたのだ。
「とっても格好良かったから、少しどきどきしてしまったわ」
「…………」
冗談めかしてそう告げれば、ノアはクラウディアを真顔で見詰める。
数年前までのノアであれば、こうして揶揄うと顔を赤くしていたはずだ。けれども最近のノアときたら、随分と余裕を身に付けてしまったのである。
たとえばこんなとき、少しだけ挑むような笑みを浮かべるくらいには。
「姫殿下のお心を乱せたのであれば、慣れないことをした甲斐があります」
(あら。ノアが少しだけ生意気ね)
クラウディアがくちびるを尖らせると、ノアは「それに」と付け足した。
「騎士としての叙勲など不要だと感じていましたが、あの儀式は受けてみれば僥倖でした」
「?」
僅かに笑みを浮かべたまま、目を伏せたノアが言う。
「――俺が姫殿下のものであると、国中に証明出来たような気分です」
「ふふっ」
仕方のない子供をあやすような心境で、クラウディアは小さく微笑んだ。




