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130 さよならの窓辺にて

【エピローグ】



 八月を終わりに迎えた短期入学の最終日、制服とローブを鞄に仕舞ったクラウディアは、鮮やかな黄色のドレスを身に纏っていた。


「短い期間だったけれど、これで学院生活もおしまいね」


 大きな帽子を被り、片手で帽子を上から押さえて、もう片方の手はノアと繋ぐ。

 ノアも制服は着ておらず、クラウディアの従者としての礼服姿になっていて、クラウディアはしみじみと呟いた。


「学院での授業は新鮮で、とっても楽しかったわ。とうさまにもお土産話が出来たでしょう?」


 そう言いながら、ノアと反対側に立っているカールハインツを見上げる。


「ね? カールハインツ」

「……姫殿下にとって、ここが掛け替えのない学びの場になったということであれば、陛下も大変喜ばれることでしょう……」


 そう返事をしたカールハインツは、いつもの涼やかな美貌の中に、疲労の色をありありと残していた。


「とうさまには内緒にしないといけないけれど、カールハインツの活躍もすごかったわ。学院中あれだけの人数が倒れているのを、ひとりで介抱するだなんて」

「戦場ではあれしきのこと、日常茶飯事と言えますので。それよりもよほど苦心したのは……」

「間違いなく、呪いによる損害を誤魔化すためのあれこれでしょうねえ」


 クラウディアが微笑みながらそう言えば、カールハインツは沈黙でそれを肯定した。


「私たちとっても尊敬しているのよ。ねえノア」

「はい。学院長がフィオリーナの父親の寄付金を巡って、多額の不正を働いていたことをあっさり暴かれたのには驚きました。その事実を盾に脅し、偽名で入学していた謎の生徒『ルーカス』が呪いを解いたと発表させるとは……」

「しかも学院長に対しては、本当はカールハインツが解決したように見せ掛けてくれたわ。これで学院長の視点から見ても、事件を解決したのはカールハインツであって、十歳の王女クラウディアちゃんだとは気付かれないわね」


 大満足の結果に落ち着いて、クラウディアはほくほくだ。カールハインツは心底不本意そうだが、クラウディアのためにと英雄の座を引き受けてくれている。


「ノアといいカールハインツといい、心から信頼できる臣下を持てて嬉しいわ」

「……まったく、あなたというお方は」


 クラウディアが微笑んでそう言えば、カールハインツの表情が和らぐ。

 魔法で従えているわけでもないのに、褒賞はクラウディアの言葉ひとつで構わないと言い切ってくれる彼らの存在は、クラウディアにとっても大切だ。


「ちゃんとしたご褒美はあげるから、何が欲しいか考えておいてね。そうだわノア、セドリック先輩にも」

「すでに連絡は取り付けてあります。あちらも退学手続きが終わって帰国次第、秘密裏に連絡をしてくるかと」

「ふふ。さすがはノアね」


 政争のために潜り込んでいたセドリックも、王太子『ジークハルト』の去った学院に用は無くなるのだ。クラウディアが彼にお礼をしたかったのは、今回の情報提供だけが理由だけではない。

 年齢操作の魔法が見抜けなかったセドリックは、心底悔しそうにしながらも、今後の協力を約束してくれた。


(レミルシア国王室の状況や、ジークハルトがどう動いているか。ジークハルトに関与する存在も……)


 ジークハルトが学院を辞めたのは、かの国の筆頭魔術師が決定したことだと言う。


(レミルシア国の筆頭魔術師は、本当にただの忠臣かしら? ……どれほど疑わしくとも、準備なく攻め込むのは得策ではないわ)


 ただでさえジークハルトたちには、クラウディアがアビアノイア国の王女であることを知られている。

 それは昨今のことではなく、恐らくは随分前からだろう。にも拘わらずジークハルトは、この学院でしか接触してこなかった。


 それなのに正体が見抜かれれば、開き直ってクラウディアに求婚してみせる。

 ジークハルトが学院に居た理由すらも、どんな目的があったものか分からないのだ。


 ぼんやりと考えるクラウディアに、カールハインツが声を掛けた。


「転移先の船が用意できる頃合いです。私が荷物と共に向かって準備を整えますので、姫殿下は後からノアと転移を」

「ありがとうカールハインツ。いってらっしゃい」


 手を振ってカールハインツを見送ったあと、クラウディアは隣のノアを見上げた。


「……それにしても驚いたわね。フィオリーナ先輩たちのお父君は、娘を切り捨てるかもしれないと思ったけれど」


 数日前、カールハインツから報告されたことを思い出しながら、ノアにそっと微笑む。


「意識を取り戻した各船の船員や、船の持ち主に対しての十分な補填を約束した上で、各国にも誠意ある謝罪を始めるだなんて。国王としての責任と同時に、父親としての責任を果たそうという気概を感じたわ」

「それが成されれば一件落着、という問題ではありませんが。……少なくとも、フィオリーナやラウレッタだけでは背負いきれない多くのものを、父親が肩代わりしたと言えるのでは」


 父親という生き物に対して、ノアは少しだけ手厳しい。クラウディアは笑い、校舎の方を振り返った。


「ラウレッタ先輩からもセドリック先輩に、約束通り謝罪の手紙を書いたそうよ。セドリック先輩のことはまだ怖いけれど、退学になって会えなくなる前にって。フィオリーナ先輩とふたりで、全校生徒に手紙を書くみたい」

「おふたりで、ですか」

「そう、ふたりで。ラウレッタ先輩ひとりに押し付けたけれど、本当は双子ふたりの問題だったからって」


 この件についての話はすべて、ラウレッタからではなくセドリックから聞いた。

 呪いの指輪を壊したあの夜以来、クラウディアは一度として、ラウレッタと顔を合わせていないのだ。


 ラウレッタはあの後の騒ぎの中、大人たちに呼ばれて帰って来なかった。

 フィオリーナも同様だったらしく、学院内にはたくさんの噂が飛び交った。生徒たちの交換する情報は、半分以上が想像の範疇を出ていないものだったが、ひとつだけ真実らしきことがある。


 それは、これまで滅多に会話を交わさなかったフィオリーナとラウレッタが、いまはずっとふたりで過ごしているという点だった。


「カールハインツからの合図ね。船の準備が整ったんだわ」


 この海域を渡る船はもう二度と、突然消えたりはしないはずだ。

 そのことに安堵しながらも、クラウディアは歩き出そうとする。だが、ノアが立ち止まったままでいるので、不思議に思って振り返った。


「ノア? どうしたの?」

「……何でもありません。ただ」


 繋がれているノアの手が、クラウディアの手を繋ぎ直す。


「姫殿下が、名残を惜しんでいらっしゃるように感じましたので」

「!」


 そういえば、いつもはクラウディアから冗談めかして繋ぐ手は、今日はノアの方から繋がれたのだ。


「……そうね。いまは少しだけ、寂しいわ」

「……」


 心の内を声に出して、クラウディアは歌うように言葉を紡いだ。


「けれどもそれで当然なの。だって今世の私はもう、やりたいことしかしないのだもの」

「姫殿下」

「学院にずっと通う日々は、私のやりたいことではない。だから、お別れがあるのは当然のこと。――それでいいの」


 クラウディアが今日で学院を去ることを、生徒の誰にも伝えていない。これまでも、呪いを壊すために立ち寄った場所では、そういう風にして過ごして来た。


「さあ、行きましょうノア」


 クラウディアはそう言うと、自ら転移魔法を発動させた。

 最近はノアに任せることも多かった魔法だが、クラウディアは元より転移魔法が得意だ。ふわりと光に包まれた瞬間、ノアが何かを見付けて顔を上げた。


「……姫殿下」

「!」


 突然ノアに抱き上げられ、予想外の出来事に息を呑む。

 クラウディアを右の腕に乗せ、目線を高くしてくれたノアは、自由な方の手で校舎を指差した。


「あちらを。……あれは」

「……」


 少し離れた二階の窓から、ふたりの少女が身を乗り出している。

 同じ紫色の髪を持つ少女たちは、離れた場所からでも瓜二つだ。けれど、どちらが姉で妹なのかは、本来の姿であるふたりが並んでもよく分かった。


「……クラウディア……!」


 これまでで一番大きなラウレッタの声が、クラウディアの耳にはっきりと届く。


「…………っ! 『あり、がとう』……!!」

「――――!」


 ラウレッタの声は呪文となり、クラウディアの周囲をふわりと舞う。

 水のような、泡のような透明さで出来たその魔法は、寮の部屋で繰り返し遊んだものだった。


「魔法の、お魚」


 ラウレッタの生み出した魚たちが、クラウディアとノアの肌や服を軽くつつく。

 じゃれるようなそんな戯れが、ふわりと体に暖かい魔力を流し込んだ。この暖かな心地良さは、治癒にまつわる魔法が混ぜられているのだろう。


(『元気で』と、そう言ってくれているのだわ)


 クラウディアにはそれが分かったけれど、同じ魔法は使わなかった。

 魔法の魚を残していかない代わりに、ふたりの方に大きく手を振る。


「ラウレッタ先輩、フィオリーナ先輩! ……ばいばい!」

「――――!」


 ふたりが泣きそうな顔で頷いてくれた瞬間に、転移魔法が発動する。

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