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129 姉と妹

***




 礼拝堂からクラウディアが消えたその瞬間、ノアと剣を交えていたジークハルトが、一瞬だけそちらに気を取られたのを察知した。


 ほんの僅かな隙ではあったが、それを見逃してやるつもりはない。ノアは相手の間合いに踏み込み、迷わずに剣先を眼球に向ける。


「っ、はは!」


 すぐさま集中を戻したジークハルトは、直前でそれをかわした後、わざと面白がるように笑ってみせた。


「従僕が視線を向けもしないのか? 君の主君であるアーデルハイトが、フィオリーナたちの空間に呑まれたぞ!」

「……それが?」

「ふ」


 ジークハルトが振り翳した剣を、すぐさま刃で受け止めた。通常ならばこれで押し返すが、ジークハルトは素早く剣の角度を変え、ノアの力を分散させる。


「随分と、彼女を信頼しているな……!」

(……腕が良い)


 冷静に状況を分析しながら、ノアは間合いを取り直した。


「信頼されている、と言うべきか?」

「両方だ。当然だろう」


 ノアが断言した言葉に、ジークハルトは目を眇めた。


「どうして君だけが、アーデルハイトの傍にいることを許される?」


 ジークハルトの声に滲む感情を、ノアはこれまでにも向けられたことがある。これは、嫉妬と深い羨望だ。

 決して父の仇や、その協力者に向けるような感情ではない。


「あのお方と俺は、お前にとって敵じゃないのか」

「は。まさか!」


 ジークハルトが振り翳してきた剣を、ノアはそのまま弾き返す。


「父上のことなどどうでもいい。僕に家族と呼べる実感があったのは、死んだ妹のアンナマリーに対してだけだ」

「……」


 ノアが僅かに眉根を寄せたことを、ジークハルトは恐らく気が付いていないだろう。


「あの日、屋上庭園から王都を見下ろしたアーデルハイトは、美しかった」


 剣がぶつかり合う音の中、交差した刃越しにジークハルトと睨み合う。


「僕は彼女を手に入れたい。だからずっと、そのための準備を重ねてきたんだ」

「……」

「フィオリーナたちの魔法に呑まれれば、伝説の魔女アーデルハイトの生まれ変わりであろうとひとたまりもないはずだぜ?」

(こいつは)


 強く打ち込み、それを防がれ、同じように挑まれた剣を弾き返す。そんな攻防を重ねながらも、ノアは目を眇める。


(姫殿下がアーデルハイトの生まれ変わりであることに、何故確信を抱いている?)


 間違いなく、クラウディア本人が告げた訳ではない。

 もっともそれを尋ねたところで、ジークハルトが答えるはずも無いだろう。それよりも、礼拝堂の奥から気配を感じる。


(頃合いか)


 そう判断し、剣先を返した。


「!?」

「――あのお方を」


 突然動きの変わったノアに、ジークハルトが目を見開く。ノアは真っ直ぐに間合いへ踏み込むと、ジークハルトの剣を遥か遠くへと弾き飛ばした。


「な……っ」

「手に入れるなどという考えは、すぐに捨てろ」


 突然丸腰にさせられて、ジークハルトが絶句する。ノアはジークハルトの足を払い、その喉元へ剣を突き付けた。

 ノアの背後で光が瞬く。振り返るまでもなく、これはクラウディアの魔法が放つものだ。


「俺の主君は、誰の所有物にもなりはしない」

「……っ、はは……!」


 ジークハルトは、彼に真っ直ぐ剣を突き付けているノアと、フィオリーナの空間魔法を破壊したクラウディアを見て笑った。


「これまでの剣捌きは、加減していたのか……! こっちはそれでも精一杯だったっていうのに、はははっ!」

「嘘をつくな。本当に全力で戦うつもりなら、魔法を使ってこないはずがない」

「……っ、ふ」


 肩で息をするジークハルトが、自嘲気味にノアを見る。


「――保護者の言い付けは守らなくちゃ、だろ?」

「……なに?」


 そのとき、礼拝堂が大きく揺れた。




***




「呪いだなんて、有り得ません……!!」


 フィオリーナの大きな叫び声に、クラウディアはそっと目を伏せた。


「ルーカスが教えてくれたんです。私とラウレッタがこの指輪を付けて歌えば、きっと願いが叶うはずだと……! だから私は、私たちは」

「あなたの本当の願いはなあに?」


 クラウディアが柔らかく尋ねれば、その華奢な肩はびくりと跳ねる。


「たくさんの人を操って従えること? それとも手紙を乗せてこなかった船を空間魔法の中に閉じ込めて、逃さないこと?」

「……それは……」

「お姫さまとして認められたかった? 血筋に相応わしい暮らしをして、敬われたかったのかしら」


 意地悪な言葉を重ねてゆきながら、クラウディアは穏やかにフィオリーナへと尋ねた。


「……そんなものは、ひとつも願ってなどいないのでしょう?」

「……っ!!」


 フィオリーナの双眸が、いっぱいの涙を溢れさせている。


「あなたの願いはただひとつ、父親に迎えに来てほしかっただけではないの?」

「あ……」


 そう告げると、真珠のような涙が両目から零れた。


「そんなささやかな願いを叶えず、あなたの想いを逆手にとって悪意を撒き散らす。それが呪いでなくて、一体なんだというのかしら」

「……それは……」

「本当なら」


 クラウディアはフィオリーナから視線を外し、傍らに座り込むもうひとりの少女に目を向ける。


「あなたの傍にはずっと、ラウレッタ先輩という家族が居たはずなのに」

「……!!」


 フィオリーナが、はっとしたように目を見開く。


「強力な呪いを発動させるため、その条件である『声』を変えさせるために、年齢まで操作して。なんでもないときに誤って発動することを防ぐため、普段は傍に居ないようにするなんて、本当にそれでよかったのかしら」

「……それ、は……」

「お父君があなたたちを遠ざけたように。フィオリーナ先輩は、ラウレッタ先輩を遠ざけて……」

「『やめて』!」

「!」


 そのとき叫び声を上げたのは、フィオリーナではなかった。

 姉の傍で震えていたラウレッタが、姉を庇うように抱き締めている。ラウレッタが泣きそうな顔で見詰めているのは、クラウディアだ。


「おねがい。やめて、クラウディア」

「……ラウレッタ、先輩」


 ぴりぴりとした感覚が、クラウディアの喉を締め付ける。そのことに驚いたクラウディアは、ふっと笑った。


(私の声すら封じそうになるなんて。……想いの篭った魔法は、本来の力よりもずっと強い威力を帯びるものね)


 ラウレッタは勇気を振り絞るかのように、一音ずつ慎重に声を紡ぐ。


「お姉さまは、ずっと私を守って、くれてた」

「ラウレッタ……?」


 不思議そうなフィオリーナが、自分を抱き締めている妹を見上げた。


「お母さまが亡くなる前、街角でお歌を歌って、薬のお金を集めてくれた。私たちの、ごはんも」

「……そんな、昔のこと……」

「お姉さまがいてくれたから、わたし、生きてるの。……お姉さまのためなら、なんだって、手伝う」


 そう言ったラウレッタは、けれども両目からたくさんの涙を溢れさせる。


「う……ご、ごめんなさい、お姉さま」

「ラウレッタ、な、泣かないで。どうしたの?」

「……なんだって手伝いたいの。本当なの。本当だけど、ごめんなさい、お願い」


 涙で顔をくしゃくしゃにし、ほとんど泣きじゃくりながらも、ラウレッタは懸命にこう紡いだ。


「……クラウディアにひどいことするための歌だけは、歌いたくない……!」

「――!」


 クラウディアは僅かに目を見開く。

 するとそのとき、妹の懇願を聞いたフィオリーナも、ラウレッタと同じ顔で泣き始める。


「……ごめんなさい、ラウレッタ」

「う……。うっ、うえ、うええ……」

「あなたのお姉さんなのに。双子なのに。私のために我慢させて、あなたの大切なものを壊させようとして」

「っく、ふえ」

「ごめんなさい、ラウレッタ」


 フィオリーナの華奢なその腕が、ラウレッタのことを力一杯抱き締め返した。


「……あなたが居てくれるのだから、お父さまの迎えなんて来なくてもいい……!!」

「っ、お姉さま……!」


 クラウディアは微笑んで、目を細める。

 振り返って合図をすると、ジークハルトを魔法で拘束し終えたノアが、クラウディアの元へ歩いて来た。


「ジークハルトは捕縛いたしました。姫殿下の事前のご命令通りに」

「良い子ね、ノア」


 クラウディアは再び姉妹に向き直り、彼女たちに告げる。


「その指輪を壊しても良いかしら?」

「――――……」


 泣きじゃくる双子は目を擦り、互いに目を見合わせて頷くと、クラウディアにそれぞれの手を差し出した。


「ありがとう」


 微笑んで、クラウディアはひとつ魔法を唱える。

 彼女たちそれぞれの指に嵌まった指輪が、ほのかに輝いてからするりと抜けた。


 ふたつの指輪は、そのまま礼拝堂の天井までゆっくりと浮かび上がってゆく。


「これで、お終い」


 クラウディアが右手を握り込むと、空中でぱきんと音を立てて弾けた。


「きゃ……っ!!」


 フィオリーナたちの悲鳴が上がった瞬間、礼拝堂を強い光が包み込む。


 ノアがクラウディアを抱き寄せて、その眩さから守ってくれた。

 やがて光が止み、ノアの胸から顔を上げると、フィオリーナとラウレッタは互いを庇うように抱き合いながら眠っている。


「一件落着。これで全てが想定通りね」


 クラウディアはくすっと微笑んで、ノアの腕からそっと離れた。


「空間魔法に閉じ込められていた船乗りたちは、学院のあちこちに散らばっているはずよ。精神操作されていた生徒たちもみんな気を失っているでしょうから、意識があるはずのカールハインツに働いてもらいましょ」

「はい。ですが姫殿下、本当によろしかったのですか? これも姫殿下の筋書き通りではありますが……」


 ノアは複雑そうな顔で、礼拝堂の一角に視線を向けた。クラウディアは微笑んで、ノアの疑問を確かめる。


「ジークハルトを逃したことが、心配かしら?」


 ノアには事前に命じていたのだ。


 クラウディアが知りたいことを確かめるまで、ジークハルトの足止めをすること。

 最後にはジークハルトに勝つものの、捕縛は甘くした上で、わざと逃げられるようにしておくことを。


「あいつは姫殿下を欲していました。そのために何をしでかすか、行動が読めません」

「それでいいの。お前の従兄弟は、もっと行動を読みたい相手と繋がっている可能性があるのだから」


 先ほど空間魔法の中で、フィオリーナは言っていた。あの指輪をフィオリーナたちに与え、どう使うべきかまで囁いたのは、フィオリーナの転入前から接してきていたジークハルトだと。


「呪いの魔法道具は、各国の王族やその血筋を引く人々に与えられる。それが恣意的なものであることは疑っていたけれど、ついに片鱗が掴めたわ」


 ジークハルトは間違いなく、呪いの魔法道具を利用している人間と接しているのだ。


「姫殿下がアーデルハイトさまの生まれ変わりであることを、ジークハルトは知っていました。それから俺と剣を交える際も、魔法を一度も使っていません」

「あちらにもまだまだ思惑があるわね。私がアビアノイア国の王女であることを分かっていながら、これまで接触してこなかったことも」


 けれど、とクラウディアは伸びをする。


「……いまは考えても仕方がないわ。それよりも久し振りに呪いを砕いて、なんだかとっても疲れちゃった」

「姫殿下。まさか」

「だからノア、はい」


 にっこり笑って両手を伸ばし、クラウディアはいつも通り口にする。


「もう眠いの。抱っこして?」

「…………」


 ノアは額を押さえたあと、大きな溜め息をついた。


「承知いたしましたので、せめて子供の姿にお戻りください」

「ふふっ、ありがとう! ノアに抱っこされていると安心するから、きっと良い夢が見られるわ」


 上機嫌でそう言いながら、クラウディアは後ろを振り返る。

 纏っていた制服のローブを脱ぐと、互いに抱き締め合って寝息を立てている双子の上にやさしく掛けた。


「子守唄はきっと、必要ないわね」


 そしてクラウディアは、自分だけ小さな子供の姿に戻ると、ノアに抱き抱えられて眠りに就くのだった。




【エピローグに続く】


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