122 頼れる保護者
ラウレッタの小さな小さな声は、ほとんど独り言のように響く。
「フィオリーナ先輩が歌っていると、ラウレッタ先輩は行かなきゃいけないの?」
尋ねると、ラウレッタは肯定を示して頷いた。
「それは、お歌を聞きに行くため?」
「……」
今度はそっと俯き、否定とも肯定とも取れない反応が返ってくる。
(やはりあのとき、礼拝堂で歌っていたのは――……)
クラウディアは目を伏せると、先ほどのフィオリーナを思い出す。
『それは、まだ秘密』
微笑んだフィオリーナの人差し指には、銀色の指輪が嵌められていた。
上品なデザインだが古めかしくもあり、長い時間を受け継がれてきたような指輪だ。
(フィオリーナ先輩の指にあったのは、紛れもなく呪いの魔法道具だったわ)
けれど、それを暴くにはまだ尚早だ。
クラウディアは顔を上げて、俯いたラウレッタに微笑み掛ける。
「ねえ、ラウレッタ先輩」
「?」
そして笑みの形を作ったまま、ラウレッタにそっと囁いた。
***
それから一週間ほどが経つ間、クラウディアとノアはこれまでと変わらない学院生活を送っていた。
クラウディアの考えをノアに話した際、ノアはそれほど驚いた様子を見せず、ただ「そうですか」と呟いただけだ。
呪いの主が見付かったからといって、すぐに動くのは得策でないということを、ノアもこの四年で理解している。
呪いの魔法道具は、主の強い願いが発露した後でなければ、上手く砕くことが出来ないのだ。
だからこそノアとクラウディアは、毎日健やかに食べて勉強をした。
学院の生徒たちもそれは同様で、この辺りの海域から『船が消える』という怪異が起きていなければ、平穏な日々そのものである。
けれども今日は、特別だ。
生徒たちの転入は時々あれど、教師陣の顔触れはそれほど変わらない学院に、臨時教師がやって来たのである。
「もう、せっかく授業が早く終わったのに! 見学希望の生徒が溢れて、特級クラスの使ってる講堂に入れないなんて……!」
講堂の周辺は人垣に囲まれているようで、ちょっとした騒ぎになっていた。
「あっちの窓に回り込んだら、少しは見えるんじゃないかしら!?」
「そこにいるの中級クラスの生徒だろ、そろそろ交代しろよ! こういうのは俺たちみたいな上級以上のクラスが聞いてこそ意味があるんだぞ!」
「静かに!! 漏れ聞こえる声の邪魔になるだろ!」
そんな大声の聞こえる中、その臨時教師は溜め息をつく。
銀色の美しい髪を後ろで結い、手に魔導書を携えたその人物は、普段は掛けていない眼鏡のブリッジを指で押さえていた。
なんだか頭の痛そうな彼に向けて、見学者の最前列に座ったクラウディアは大きく手を振る。
「カールハインツせんせえ、頑張ってー!」
「……姫殿下……」
そんなカールハインツのことを、特級クラスの生徒であるノアは、ほのかに同情したまなざしで眺めていた。
***
「卒業生としてのお仕事お疲れさま、カールハインツ! 眼鏡もよく似合っていたわ、百点満点よ!」
「……お褒めに預かり光栄です、姫殿下……」
応接室のふかふかしたソファに腰掛けて、クラウディアはぱちぱちと拍手をした。
向かいに座るカールハインツは、生徒たちに揉まれて疲れ果てた顔をしている。
なんとも生真面目な話だが、授業後に押し寄せてきた生徒ひとりひとりの質問すべてに答えていたので、精神的な疲れが出たのだろう。
「私の作戦通りだったわね。適当な口実でカールハインツを呼び出すだけでは、用件が済んだらすぐに追い返されていたはずだわ。学院に留まってもらうには、臨時講師として名乗り出てもらって正解ね。ねえノア」
「アビアノイア国の筆頭魔術師ともなれば、教師陣の食い付きも良かったですね。卒業生が母校の後輩のために講義をしに来ることは、これまでにも時折あったようですし」
「カールハインツは生徒からも大注目よ。見た目も二十代半ばくらいに見えるからか、八年生のお姉さんたちが今にも求婚しそうな雰囲気だったわね」
クラウディアがにこにこ言う正面で、カールハインツはますます深く俯いた。
「疲労回復のお茶でもお淹れしましょうか? カールハインツさま」
「……頼むノア。改めまして姫殿下、こたびのご命令についてですが……」
ノアが魔法でお茶の用意をしている間、カールハインツは手早く応接室に防音魔法を掛ける。辺りに人の気配は無いが、念のためといったところだろう。
「まずは、レミルシア国の件のご報告から」
「ええ。お願いするわ」
ノアの故国についての名前が出て、椅子に掛けたクラウディアは悠然と微笑んだ。
(ノアがレミルシア国の王族に関係することを、カールハインツは恐らく察しているでしょうけれど)
信頼に足る筆頭魔術師は、それについて深く探ったり、改めて尋ねてくるような真似はしない。
ノアはクラウディアの従者であり、絶対的な忠誠を誓っている、その事実だけで十分だと考えているのが伝わって来る。
「レミルシア国の王太子殿下は、確かにこの学院に通っているようです。ただし、公には広められていない様子でした。学院に通っている間の安全性を高めるため、通っている間は素性を伏せておき、卒業後に経歴を出すことは珍しくありません」
「そうね。海の外側からは守られていても、結界の内側が安全とは限らないもの」
「そして密偵いわく、王太子ジークハルト殿下は、じきに学院を辞めて戻ることになっているようです」
その言葉に、カップを並べていたノアが眉根を寄せる。
「レミルシア国の王子さまは、これまでずっと学院で学んできたのでしょう? 卒業を待たずに辞めちゃうなんて、勿体無いわね」
「なんでも、王室の決定があったとか」
「決定?」
クラウディアは目を眇める。
あの国の国王であるノアの叔父は、そんな決定を下して息子に告げることも出来なくなっているはずだ。
「レミルシア国の筆頭魔術師が、国王陛下に代わって決議なさったとか」
「……」
クラウディアが思い出したのは、先日セドリックが呟いていた言葉だ。
『くそ。この学院にもあまり長居出来ないというのに、僕は一体何をやっているんだ……!』
(……あの焦りと苛立ちは、レミルシア国筆頭魔術師の決定というのが原因ね)
これではっきりと分かった。
(レミルシア国の王太子さま。ノアの従兄弟であるジークハルトは……)




