121 姫君の秘密
「ですから私、クラウディアちゃんと今のうちから仲良くしておきたく思いまして。クラウディアちゃんは本物の王女さまで、この学院には短期入学であり、すぐにアビアノイア国に戻るのですよね?」
「……はい、そうです。せっかくお友達が出来たのに、寂しいですが……」
「あら。私たちがこうして、仲の良いお友達になったではありませんか」
フィオリーナが首を傾げると、妹と同じ色の髪がふわりと揺れた。
「これから学院の外に出ても、『王女同士』仲良くしましょうね」
「ですが、フィオリーナ先輩」
クラウディアは少し心配そうなふりをして、フィオリーナのことを見上げる。
「ルーカス先輩のことは、いいんですか?」
「まあ、クラウディアちゃんったら……!」
その途端、フィオリーナの頬がぱっと赤く染まった。
「ルーカスはそんな、その……!! ど、どうしてクラウディアちゃん、そのことを……?」
「えへへ。だってフィオリーナ先輩、ルーカス先輩の前ではいつもよりもーっと可愛いですもん!」
耳まで赤くなったフィオリーナは、心の底から可愛らしい。クラウディアが本心の微笑みを浮かべていると、フィオリーナは俯く。
「実はお父さまが迎えに来てくださった後……ルーカスとの婚姻を、おねだりしようと思っています」
「わあ! それってつまり、婚約ですか? だけどルーカスって、お姫さまとの結婚は出来ないんじゃ……」
「私、なんとなく感じているのです。ルーカスは身分を隠しているだけで、彼も王族の血を引くのではないかと」
「ルーカスが?」
フィオリーナは人差し指をくちびるの前に翳し、小さな声で囁いた。
「特級クラスの魔力を持っている以上、きっとルーカスも高貴な血筋に生まれているはずです。これは想像なのですが、ルーカスの父君は王族で、一方の母君は身分の低い出身のお方なのではないかと……たとえば、歌姫や踊り子のような」
(まさしく『私』がその生まれであることまでは、フィオリーナ先輩は知らないのね)
クラウディアは心の中で考えつつ、なるほどと驚いたふりをする。
「それなら、お姫さまのフィオリーナ先輩と結婚できるかもしれないということですか?」
フィオリーナは恥ずかしそうに俯いたあと、こくりと頷いた。
「私を迎えに来て下さったお父さまは、きっと仰るはずです。『長い間、我慢をさせてすまなかった』と」
「……フィオリーナ先輩」
「『可愛い娘の恋ならば、誓って応援してやろう』と。その後は、学院を卒業したルーカスを私が迎えに行って、結婚式を挙げるのです。幸福が訪れると言われる満月の日に、みんなに祝福されて」
フィオリーナは嬉しそうにそう言って、ティーカップの中のお茶を見下ろした。
「そうなった暁にはラウレッタとも、仲良くお喋りすることが許されるはずです。いまは近付いてはいけないけれど、きっと……」
「……フィオリーナ先輩。ラウレッタ先輩に近付いてはいけないというのは、一体誰が?」
「ふふっ」
フィオリーナは、美しい微笑みを浮かべて言う。
「それは、まだ秘密」
くちびるの前に翳された彼女の人差し指には、銀色の指輪が輝いていた。
***
フィオリーナと別れたあとのクラウディアは、紙袋を手にして廊下を歩きながら、空中に指で線を書いていた。
その線は光り輝く文字となり、尾を引くように消えてゆく。これは手紙の機能を持っており、宛先は陸のアビアノイア国だ。
(伝言はこれでいいわ。あとは――……)
扉の前で立ち止まったクラウディアは、音を立てないよう慎重にドアノブを回し、そうっと部屋を覗き込む。
けれどもそのとき、ひとりの少女がクラウディアに抱き着いてきた。
「わあ」
「〜〜〜〜っ!」
クラウディアを抱き締めたのは、同室のラウレッタだ。
クラウディアは驚いたふりをして、ラウレッタを抱き締め返しながら尋ねる。
「ラウレッタ先輩、どうしたの?」
「〜〜〜〜っ、…………!!」
「あ! ひょっとして起きたらクラウディアがベッドに居ないから、びっくりしちゃった?」
ラウレッタがこくこくと頷いた。彼女は涙目になっていて、拗ねたようにクラウディアを見ている。
「ごめんなさい、ラウレッタ先輩。あのね、実はね……」
クラウディアは声を顰めると、魔法で取り出しておいた袋を開ける。
しゅるりとリボンを解いたら、バターを使った焼き菓子の甘い匂いが広がった。袋の中に入っていたのは、狐色の焼き目がついたクッキーだ。
「実はお腹が空いたから、ノアに頼んで焼いてもらったの。ラウレッタ先輩の分もある!」
「!」
「えへへ。先生たちに気付かれないよう、内緒のクッキーパーティーしましょ!」
そう言うとラウレッタは目を輝かせ、その頬を染めるのだ。
(抜け出した目的が、呪い調査のための校内探索だなんて言えないものね。……フィオリーナ先輩と出会って、お茶を飲んだことも)
心の中でそう思いつつ、クラウディアはラウレッタと並んで寝台に座る。クッキーはこんなこともあろうかと、あらかじめノアに頼んでおいたものだ。
その味は二種類あり、プレーンとチョコレートだ。それぞれにチョコレートチップが練り込まれていて、うさぎの形と星形がある。
クラウディアとラウレッタは、それぞれ好きなクッキーを手に取るものの、それを自分で食べるのではない。
「せーの」というクラウディアの合図と共に、それぞれ相手の口へと放り込んだ。
「んー!」
「……っ」
ふたりで思わず頬を押さえ、クッキーの味を噛み締める。
今回ノアが焼いてくれたクッキーは、焼き菓子というよりもまるで粉砂糖のような食感だ。口の中でほろほろと崩れる中、バターの風味と絶妙な甘さが広がった。
「……っ、ん!」
「美味しいでしょ、美味しいでしょ? ノアのクッキーはすごいの! 今日みたいなサクサクだけじゃなくて、しっとりもちもちクッキーのときもあるし、ジャムを挟んであるやつも!」
全力で従僕の自慢をしつつ、真夜中のお菓子を存分に楽しむ。
『ラウレッタ先輩が起きていたとき、部屋に居なかった理由を誤魔化すため』という名目で用意してもらったクッキーだが、我ながら本当に素晴らしい作戦だった。
「おいしい。……好き」
ラウレッタは小さな声で呟く。
このところ聞けるようになった彼女の声は、鈴のように可愛らしく、姉のフィオリーナによく似ていた。
「それにしても。ラウレッタ先輩は、どうして起きていたの?」
「……」
クラウディアが部屋を出たとき、彼女は寝息を立てていたはずだ。言いにくそうに俯いたラウレッタを見て、クラウディアはしゅんと肩を落とす。
「ひょっとしてクラウディア、先輩のこと起こしちゃった……? ごめんなさい」
「!!」
そう言うと、ラウレッタは慌てて首を横に振った。
「ちが、う。クラウディア、起こしてない」
「じゃあどうして?」
「……」
ラウレッタは少し悩む様子を見せながらも、おずおずと口を開く。
「おねえさま、が」
「フィオリーナ先輩?」
「歌ってた、から。……呼んでるの」




