120 歌姫とのお茶会
「まったく……」
セドリックは溜め息をついたあと、ゆっくりと物置の扉を閉ざす。
「いつまでも扉が壊れたままにしておくなんて、困ったものだな」
かちゃんと扉が閉まったあと、物置は完全な暗闇になった。
少しずつ足音が遠ざかり、セドリックの気配も無くなると、物置の中は耳鳴りがするほどの静寂に包まれる。
「ノア――……」
「………………」
小声で名前を呼び掛けたのと同時に、ノアの転移魔法が発動した。
クラウディアは瞬きのあと、先ほどノアと待ち合わせた森の中に転移して、地面の上に立っている。
「お疲れさま。ノアのお陰で見付からずに乗り切ることが出来たわね、ありがとう」
「……このくらいは、当然の、ことですので……」
物凄く疲れた様子のノアは、木の幹にごつりと拳を押し当てて息を吐いた。
クラウディアはその傍に寄っていくと、手を伸ばしてノアの頭を撫でる。髪色はやはり、黒色だ。
「……髪色を染めた私の魔法が、完全に解除されているわね。けれど、ノアが使った年齢操作の魔法はそのままだわ」
「何者かに強制転移された際に、姫殿下が解除なさった訳では無いのですね」
「ええ。恐らくは、強制転移の主によるものよ」
クラウディアは目を細め、自らの指先を見詰めた。
(私の魔法が、対策されている)
「……」
ノアは眉根を寄せ、礼拝堂のある方を見遣った。
「もう一度、礼拝堂に行って参ります。姫殿下はここに」
「無駄よ。恐らく音楽会はお開きになって、きっともう誰も居ないはず」
それに、とクラウディアはノアの腕を引く。
「次は戦闘になるわ。戦うだけならいつでも良いけれど、ここは特殊な環境下だもの。生徒たちを守りながらとなると、準備が足りないわね」
「……」
目を伏せたノアは、素直に頭を下げる。
「姫殿下のお言葉に従います」
「良い子。それと、セドリック先輩の探し人だけれど」
先ほどのセドリックは、焦りに満ちた独白を零していた。
セドリックは、正体を隠した何者かを探している。そして彼には、それほど時間が残されていないようだ。
「消灯時間厳守の校則がある学院で、この時間にお部屋に居なかった悪い子が、そう何人もいるとは思えないわね?」
悪戯っぽくノアを見上げるが、ノアはクラウディアを見て呆れ顔だ。
「……姫殿下は、その探し人に心当たりがおありでしょう」
「あら。ノアもそうなのに」
くすくすと微笑みを零しつつも、ノアの手に触れて魔力を流した。
ぽんっと軽やかな音を立て、ふたり分の体が子供の大きさに戻る。クラウディアはふるふると頭を振り、少し乱れた髪を直した。
「とはいえ確証は欲しいわね。それに実力行使に備えて、守りを任せられる人も必要だわ」
「任せられる人? ……まさか」
「ね。ノア」
「……」
にこっと微笑んで尋ねると、ノアは頷く。
「姫殿下の仰る通りかと」
「それではあの人にお手紙を書きましょう! 楽しみね。衣装にもこだわってもらわないと!」
ぱちぱちと拍手をしたあとで、クラウディアは寮へと歩き出した。
「帰りましょうか。抜け出したことが気付かれないうちに寝台に居ないと、寮監に見付かったら叱られちゃうわ」
「姫殿下。本当に、寮のお部屋に戻られるのですか?」
「向こうが私に気が付いているのであれば尚更、これまで通りの生活を送る方がいいわ」
くすっと微笑んだクラウディアは、ローブの裾を翻して振り返る。
「たとえば敵が私を殺しに来るつもりでも、ね」
「――――……」
***
ノアと別れたクラウディアは、誰もいない女子寮の物置に転移した後、制服のローブから魔法で着替えた。
勿忘草の色をしたナイトドレスは、部屋を抜け出したときに着ていたのと同じものだ。続いて別の魔法を使い、何も無い空間からとある袋を取り出すと、それを抱えて足音を忍ばせる。
ぴたりと足を止めたのは、廊下を曲がったその先に、人の気配があったからだ。
「……」
クラウディアは紙袋を抱え直すと、今度は自然な歩調のまま、わざと無防備に飛び出した。
「きゃ……!」
「あっ!」
クラウディアとぶつかりそうになり、短い悲鳴を上げたのは、魔力の気配から想像していた通りの人物だ。
「フィオリーナ先輩!」
「クラウディアちゃん?」
クラウディアを抱き止めたフィオリーナが、きょとんと目を丸くする。彼女が身に纏っているのは、白いナイトドレスだった。
「消灯時間は過ぎているのに、どうしてこんな所へ?」
「ご、ごめんなさい! フィオリーナ先輩!」
「まあ。ひょっとして、寮を抜け出そうとしていたのですか?」
「うう……!」
実際は帰って来たところなのだが、それを隠して図星のふりをする。
「……『幽霊』の話を聞いたんです。怖くて眠れなかったけれど、ラウレッタ先輩に聞かせても怖がらせそうな気がして」
目を潤ませ、怯える子供そのものの演技でこう続けた。
「ノアに会いたいなって思ったから、ノアにお土産を持って抜け出そうとしました。でも、寮の外も真っ暗だったから、外に出られずに引き返してきたんです……」
「まあ。そうだったのですか?」
フィオリーナは少し考える素振りを見せたあと、にこりと微笑んだ。
「それではクラウディアちゃん。談話室で少しお茶を飲みましょう」
「フィオリーナ先輩と? いいんですか?」
「落ち着く香りのお茶を淹れますね。そうすれば怖くなくなって、眠れるかもしれません」
「……」
クラウディアは笑顔を作り、嬉しそうに頷く。
「はい! ありがとうございます、フィオリーナ先輩……!」
***
そして向かった談話室は、各寮の一階に作られた憩いの場だ。
フィオリーナの私物だという茶器で彼女が淹れてくれたお茶は、甘い香りと軽やかな口当たりを持つ、癖のない味わいのものだった。
クラウディアはそのお茶をゆっくり飲んだあと、ほうっと息を吐いて目を細める。
「……すごく美味しいです、フィオリーナ先輩!」
「まあ。気に入って下さって良かったです、クラウディアちゃん」
フィオリーナは満足そうに微笑みつつ、テーブルに両手で頬杖をついた。
「うふふ、とっても可愛い。クラウディアちゃんが美味しそうにしてくれている所を見るのは、私も幸せな気持ちになりますね」
その穏やかな声音は、優しく包み込んでくれるかのようだ。
フィオリーナが同年代の生徒のみならず、下級生にも好かれていることに、違和感を抱く人物は少ないだろう。
「このカップも、クラウディアちゃんのイメージで選んでみました。可愛らしいのに上品で素敵でしょう? カップとソーサーを重ねると、ほら」
「わあ!」
ソーサーの上に描かれていたのは、蔦のように細やかな模様だった。
カップの側面に描かれているのは、美しい花の模様だ。
カップをソーサーに置くことで、別々に描かれていた絵が一体化し、薔薇園の景色を描いたようなものに変わる。
「可愛い……!」
「ふふ。それぞれ別々でも綺麗なのに、重ねることで一層美しいものに変化するなんて素晴らしいですよね。たくさん重ねて作り上げる……まるでお歌のハーモニーのようで、こういった仕掛けは大好きなのです」
「クラウディアも大好きになりました! 教えて下さってありがとうございます、先輩!」
クラウディアを見守るフィオリーナが、「よかった」と呟く。
「クラウディアちゃん、もう幽霊は怖くなくなったみたいですね?」
「あ!」
そうだった、と驚いたふりをした。そのあとでクラウディアは、照れ臭そうな演技をする。
「……でも、フィオリーナ先輩。お話できて嬉しいから、もう少しここに居てもいいですか?」
「まあ、もちろんですよ。お茶のおかわりはどうですか?」
「やったあ! いただきます!」
「では、少し待っていて下さいね」
フィオリーナは嬉しそうに笑ったあと、茶器にまだ熱いお湯を注いでゆく。
そして、彼女にとってごく自然なことであるかのような様子で、小さな歌を歌い始めた。
「――――……」
(……美しい歌だわ)
クラウディアは先ほど、礼拝堂で歌声を聞いたときと同じ感想を抱く。
(誰かを誘うような歌。懐に手招き、受け入れて、そっと抱き締める優しい歌声……)
クラウディアは目を瞑った。その声を聞いていると、穏やかな眠りに落ちてしまいそうだ。
「先輩の歌、とっても素敵です。クラウディアもお歌を覚えたら、フィオリーナ先輩と一緒に歌ってみたいなあ……」
そう告げると、フィオリーナは嬉しそうな声音で言った。
「私も是非、クラウディアちゃんと一緒に歌いたいです。違う音階のハーモニーも、同じ音階を重ねる斉唱も素敵ですね」
「たくさんの人数でお歌を歌うときは、別々のメロディを重ねるだけじゃないんですか?」
「色んな技法があるのです。クラウディアちゃんが音楽を始めたら、きっとお父君が色んな先生を付けて下さるんじゃないかしら」
フィオリーナはクラウディアを見下ろして、少しだけ抑揚の少ない声音で言う。
「だって、お姫さまなのですものね」
「……」
クラウディアは差し出されたカップを受け取ると、微笑んだままフィオリーナに尋ねる。
「先輩もお姫さまなんですよね? クラウディアとおんなじ!」
「……はい。皆さんには内緒にしていますが、本当はそうなのです」
フィオリーナは自らのカップを両手で包み、その温かさを手のひらに移すようにしながらも、柔らかく目を閉じる。
「私とラウレッタは、とある国の国王陛下の血を引いておりまして」
「王さまの……」
「ラウレッタも制御が苦手なだけで、とても魔力が強いでしょう? それにお勉強もよく出来る、王家の血筋に恥じない自慢の妹。ですが理由があり、私たちはいまはその身分を隠しているのです」
セドリックも以前言っていた通り、ラウレッタはとても優秀だ。『二年生なのに八年生の問題を難なく解ける』というのは嘘ではなく、その好成績のお陰もあり、魔法授業にほとんど参加しなくても厳しい罰が与えられなかったらしい。
「先輩たちがお姫さまなのを内緒にしているのは、どうしてなんですか?」
「お父さまは私たちを守ろうとして下さっているのです。諸事情によって後ろ楯が無い身ですから、王女であると気付かれて命が狙われないようにと。……私たちを愛して下さっているが故の、深いご配慮ですね」
フィオリーナはその言葉を大切そうに噛み締めながら、自らの淹れたお茶を飲んだ。
「私が卒業するまでに、お父さまは迎えに来て下さいます」
「……」
フィオリーナはゆっくりとカップをソーサーに戻し、優雅に微笑む。




