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118 魅惑の歌声




 普段と違う髪色をしたクラウディアとノアは、足元に光の球を従えたまま、僅かな明かりを利用して校舎の中を歩いた。


 装いは制服のローブ姿だ。みんな同じデザインの制服は、こんな調査に都合がいい。

 万が一のときに撹乱出来るよう、学年の色を示すリボンやネクタイは締めないまま、小さな声でひそひそと会話を交わす。


「夜の学院は不思議な雰囲気ね。辺りに人の気配もなくて、しいんとして」


 ごうごうと風のような音がするのは、結界の向こう側にある海の音だ。


「鯨は夜に眠るのよ。今頃この学院のすぐ上で休みながら、何かの夢を見ているかもしれないわ。ここから見えるかしら?」

「今夜は細い三日月です。そうでなくとも月明かりでは、海の中を見ることは難しいかと」

「どんなに大きな月の夜でも、この学院の夜は真っ暗だものね」


 とりとめのない会話を交わしながら、クラウディアはとある教室の中を見回した。


「ここが、フィオリーナ先輩の教室ね」

「……」


 この学院の教室内には、生徒ごとに決まった席というものは無い。ローファーの靴音をこつこつと鳴らしながら、クラウディアは教室の真ん中に立った。


 そして空中に手を翳し、魔力を込める。


「――――……」


 クラウディアの手から広がった光が、まるで星屑のように教室の中へと散らばった。

 天井や壁、窓際のカーテンに浮かび上がってちかちかと瞬く。この光は、魔法の使われた痕跡を調べるためにクラウディアが生み出した、解析魔法の一種だった。


 すぐ傍に呪いの気配を察知すると、赤い星が灯るように構築されている。白い光の星空に染まった教室内で、ノアは周囲を見回した。


「どの光にも、赤い反応は出ていません。転入初日、聞こえてきた歌は紛れもなく呪力を帯びていましたが、この教室に呪いの痕跡はないようです」

「そうね。歌の欠片も聞こえてこない……」


 クラウディアはそっと目を瞑る。どれだけ耳を澄ましても、聞こえてくるのは微かな海の音だけだ。


「お前の教室は中庭を挟んで向こう側、この教室の向かい側にあるわよね。休み時間にフィオリーナ先輩の歌声を聞いたことがあるのでしょう?」

「はい。フィオリーナは掃除の時間や移動中など、半ば無意識に歌っている様子です。……ですがそれらの歌にはすべて、呪いの気配や魔力を帯びていた様子はありませんでした」

「フィオリーナ先輩の『普段の歌』については、魔法も呪いも関与していない、ということで間違いが無さそうね」


 クラウディアが教室内に散らした光は、何度か瞬いた後で消えていった。

 けれどそれから暫く経っても、なかなか消えない光がある。教室に片隅にある机の上で、それは仄かに光っていた。


「アーデルハイトさま?」

「見て。魔法の名残だわ」


 それは、小さく書かれた文字である。


「フィオリーナ先輩の字では無いわね。これは……」


 クラウディアは目を眇め、光に炙り出された文字をなぞった。


『今夜、礼拝堂にて』

「……礼拝堂……」


 五百年前には無かった建物だ。果たして何処に建てられていたかを思い出すべく、クラウディアは学院の見取り図を脳裏に描く。


「確か、学院の東端にあったはずね」


 転移魔法は原則として、自分が行ったことのある場所にしか飛ぶことが出来ない。どのくらい歩くかを計算しようとしたとき、ノアが黙ってクラウディアの手を取る。


「!」


 辺りが光に包まれて、クラウディアは地面の上に降り立っていた。

 振り向けば、そこには石造りの美しい尖塔がある。周囲を木々に囲まれたその建物は、まさしく礼拝堂だった。


「礼拝堂に来たことがあったの?」

「学院内は一通り歩き回り、地図を頭に入れています。……このようなときに、アーデルハイトさまのお役に立てると思いましたので」


 しれっと涼しい顔で言い切るが、この学院は広大だ。恐らくそれなりの労力があったはずなのに、ノアはこれまでおくびにも出さなかった。


「……さすがは私の良い子ね。ありがとう」

「従僕として当然のことです。それよりも」


 クラウディアは優雅に頷いて、礼拝堂を見遣る。


「――歌が聞こえるわ」


 ノアと繋いでいた手を離そうとすれば、引き留めるように繋ぎ直された。

 微笑んでそれを窘めたあと、ちゃんと離れてから歩き出す。


 礼拝堂の扉は、ほんの僅かに開かれていた。

 クラウディアたちは足を止め、こちらの存在が気取られない場所から、囁く声でやりとりを交わす。


「この中に人の気配があります。……軽く見積もっても百人以上」

「それだけの数の生徒が、寮から抜け出せると思えない。幽霊かもしれないわね?」

「アーデルハイトさまはこちらでお待ち下さい。俺が扉を」

「いいえ、一緒に行くの。気配遮断の魔法は、まだ効いているわね」


 それを確かめた後、クラウディアたちはそっと両開きの扉に手を触れる。

 隙間から溢れていた細い光が、少しずつその幅を広げていった。飛び込んできた礼拝堂の光景に、クラウディアは瞬きをする。


「!」


 光の満ち溢れた礼拝堂は、大勢の人で埋め尽くされていた。


 この学院の生徒たちではない。彼らの年齢はまちまちだが、恐らくは大半が成人している。

 子供や孫がいそうな年齢に見える人や、歳若くとも学生というより、労働階級の立場であるように見受けられた。


 例外なく日に焼けていて、簡素な服を身に纏い、会衆席で頭を下げている。

 そのさまは祈りを捧げているというよりも、主君に忠誠を誓う騎士のようだ。


 彼らが頭を下げる先、礼拝堂の最奥では、ひとりの女性が歌っている。


(……美しい歌)


 こちらに背中を向けて跪く彼女は、豊かな長い髪を持っていた。

 まるで波のような曲線を描くその髪は、『アーデルハイト』と同じ紫色だ。


 歌声は甘く、柔らかい。伸びやかで、心地の良い歌である。


「…………」


 クラウディアが一歩踏み出すと、会衆席の人々が一斉に顔を上げた。

 一階のみならず、二階のバルコニー席までをも埋め尽くす彼らは無表情で、その目に感情は宿っていない。一言も発することは無く、ただクラウディアとノアの方を見詰めている。


 それはまるで、幽霊のように。

 そんな中、荘厳で美しい歌声だけが、止むことなく響き続けている。


「これは……」


 その異様さにノアが顔を顰めた。クラウディアは微笑んで、女性の背中に話し掛ける。


「こんばんは。とても素敵な歌声ね」

「……」


 その歌声が、ぴたりと終わった。

 歌姫が沈黙してしまえば、この礼拝堂に残るのは静寂だけだ。紫色の髪をした女性は立ち上がると、ゆっくりこちらを振り返ろうとする。


 そうして、まさにその顔が見えそうになった、その瞬間だった。


「!」

「アーデルハイトさま!」


 クラウディアが気配を察知したのと同時に、ノアもクラウディアの手を掴む。

 その直後、誰かの魔法がクラウディアたちを包んだ。


「ん――――……っ」




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