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117 異なる髪色


 クラウディアは両手で頬杖をつき、じいっとノートを見詰めながら呟いた。


「学院の幽霊は、船を攫う呪いと共に現れる……」


 ノアの綴る文字は無骨だが、雑なところがなく読みやすい。その文字を眺めながら、時系列を整理した。


「最初に船が消えたのは、一年と少し前のこと。去年の四月六日ね」


 するとノアは、クラウディアが考えていたのと同じことを口にする。


「いまの二学年が、この学院に入学した直後の時期となります」

「……」


 クラウディアは眼前に右手を伸ばすと、人差し指で空中に線を引いた。

 そこに現れたのは、光の文字だ。クラウディアが魔法で書いたその文字は、おおよそ三十日ごとの日付だった。


「ノア。この日付がなんだか分かる?」

「……昨年の四月六日。五月六日。六月五日、七月五日……」


 書かれた日付を読み上げていったノアは、そこではっとした。


「すべて満月の日になるかと。しかしこれは……」

「そう。船が消えて幽霊が現れた日付はすべて、満月の日の出来事なの」


 クラウディアが魔法を解けば、光の数字はふっと消えた。

 ノアは眉根を寄せたまま、再びノートに視線を落とす。


「……次の満月は二週間後の、八月二十八日です」

「消えた船は全部で十隻。毎月事件が起こっている訳ではないけれど、警戒すべき日程よね」


 二週間以内に問題を解決しなければ、新たな犠牲が生まれる可能性がある。迫り来る期日に、クラウディアは目を眇めた。


「呪いの主の候補者が絞れているとはいえ、厄介ですね。呪いの魔法道具を破壊するには、主の『強い願い』が何かを知らなければ困難です」

「願いに対する感情が強く発露しているときが、最も負荷が掛かっているタイミングだもの。暴いて揺さぶりを掛けるとしても、フィオリーナ先輩とラウレッタ先輩のどちらが主か確定していなくては、実力行使にも出られないわ」


 図書室から見える窓の外では、ぷわぷわとクラゲが泳いでいる。クラウディアはそれを眺めながら、ノアに尋ねた。


「ラウレッタ先輩が願うなら、どんな望みがあると思う?」

「……月並みな想像の範囲であれば、魔力の暴走に関するものではないかと。あるいは自身のコンプレックスを克服したい、といったところでしょうか」

「では、フィオリーナ先輩の方はどうかしら」

「こちらも表面的な意見ならば、フィオリーナは現状で何かを願うまでもなく、ほとんどの願いが叶っている立場に見えます。――教師からの信頼も厚く、同学年からは一目置かれていて、下級生からは憧憬を寄せられている」


 ノアが答えてみせたのは、まさしく大多数の意見だろう。負い目と劣等感を抱えている妹に対し、あらゆる環境に恵まれて幸せそうな姉という構図であれば、強い願いを抱えているのは妹のラウレッタにも見える。


 けれどもクラウディアは、ぽつりと口にした。


「焦がれるものがあるとしたら、どうかしら」

「……?」


 ノアが不思議そうにこちらを見たので、クラウディアは小さく笑った。


「ふふ。やっぱり想像を巡らせるだけでは駄目ね、無意味だわ」

「姫殿下。一体それは……」

「これを見て。ノア」


 クラウディアは制服であるローブの下から、小さなカードを取り出した。

 甘い匂いが漂うのは、香水の香りがうつされているからだ。レースのような切り込みが入れられたカードには、こんなメッセージが綴られていた。


『八月の終わりに、真夜中のお茶会を致しましょう。クラウディアちゃんにお歌を聞いていただけるのを、とても楽しみにしています』

「……フィオリーナからの、手紙ですか?」

「八月の終わりというのなら、満月の夜かもしれないわね」


 ノアが眉根を寄せるものの、クラウディアはそれを宥めるように笑う。


「私が大人しく誘いに乗ると思う? ノア」

「……いいえ、姫殿下」


 溜め息をついたあと、黒曜石の色をした瞳がこちらを見据えた。


「招待された夜など待つことなく、御自ら出向いて行かれることかと」

「大正解よ。今夜の十時半、消灯時間が過ぎた時間に、秘密の待ち合わせをしましょうね」


 クラウディアがにっこり笑って言うと、ノアはすべてを諦めたように目を伏せて、「姫殿下のお命じになるままに」と返したのだった。




***




 この学院では十時の消灯時間になると、魔法によるランプの灯りが全て消える。


 その時間は当然ながら、生徒の出入りは許されない。出入り口には寮監となる職員が配置され、厳しく監視されているほか、定期的に寮内の見回りもされていた。


 それでも建物の扉自体が施錠されないのは、何かあったときに避難が容易になるよう、そんな配慮がされているからだ。


 だから時々、深夜にこっそりと寮を抜け出す生徒が現れる。

 たとえば『幽霊』を目撃した生徒たちや、今夜のクラウディアとノアのようにだ。


「こっちよ。ノア」


 待ち合わせをした森の中で、クラウディアはノアに合図を送った。

 暗闇の中で足元を照らすのは、蛍のように小さな光の球だ。こちらに歩いてくるノアも、同じ灯りを従えている。


「そういえば、転移魔法は問題なく使えたのね。さすがは私のノアだわ」

「姫殿下に教えていただいた通り、魔法の術式を組み替えれば容易でした。……この学院の仕組みを創ったお方だからこそご存知でいらっしゃる、文字通りの『抜け道』ですね」

「ふふ。だけど、万が一見付かったら叱られちゃうわ」


 クラウディアはそう言って、ノアの方に両手を伸ばす。

 命じたいことを心得ているノアは、お互いの指を絡めるようにクラウディアと手を繋ぐと、小さく呪文を詠唱した。


「――――……」


 ふわりと体が温かくなり、ノアの魔力が流れ込んでくる。次にクラウディアが目を開けたときには、先ほどまでと視界が変わっていた。


「いい子」


 そう言って微笑んだクラウディアの姿は、十六歳ほどの大人の姿になっている。

 身長が伸び、体は柔らかな曲線を描いて、均整の取れた女性らしい見た目に変わっていた。


 向かい合っているノアの外見も、十九歳の青年の姿を取っている。

 先ほどまでより背が伸びて、顔立ちの精悍さが増したノアは、クラウディアと繋いでいた手をぱっと離した。


「……ご体調に問題はありませんか」

「ええ。すごいわノア」


 弟子でもある従僕の成長が嬉しくて、クラウティアはぱちぱちと拍手をする。


「肉体の年齢を操作する魔法は、本当に難しいものなのに。ノアはすっかり完璧ね」

「五百年前のあなたの弟子、ライナルトも使えた魔法なのでしょう? その子孫が年齢操作の魔法を使えることくらい、当然です」

「あら。お前がライナルトの子孫であっても、努力や才能無しに習得出来る訳ではないわ。それに五百年前の弟子たちでも、この魔法が使えるのはほんの僅かだったのよ?」


 ノアはなんだか物言いたげだ。クラウディアはその理由が分かっていながらも、わざと微笑んで触れずにおく。


「とはいえ姫殿下。今回は学院内という閉ざされた環境ですので、大人姿を『変装』とするには心許ないかと思われますが」

「そうね。大人と子供では、同一人物であっても異なる顔立ちになるけれど……」


 顔というのは成長するにつれ、それぞれのパーツの比率も変わり、同じ人物の顔でも子供と大人では印象が変わってくる。

 大人の姿で記憶している相手の顔は、子供の頃の肖像画を見たところで『別人』あるいは『似ている兄弟』にも感じられ、本人そのものの顔に見えることは少ないものだ。


 そのため普段はそれを利用し、大人の姿になることで変装を兼ねているのだが、閉鎖された学院内では少々危うい。


「私たちの髪色や組み合わせを見て、一年生のクラウディアちゃんと四年生のノアくんをすぐに連想されてしまうかもしれないわ。だから……」


 クラウディアはくすくす笑いながら、ノアの黒髪に触れる。

 ノアは僅かに肩を跳ねさせたが、クラウディアが触れることには逆らわない。クラウディアはノアの頭を撫でながら、小さく呪文を唱える。


「――これでいいわ」


 そうしてクラウディアが手を離すと、ノアの黒髪は魔法によって、銀色の髪に変わっていた。


「ノアには銀髪もよく似合うわね。もちろんいつもの黒髪が一番だけれど、これも素敵」

「……姫殿下」

「そう。私は前世と同じ色」


 クラウディアは微笑んで、自らの長い髪を指で梳いた。

 普段はミルクティー色をしたその髪は、一部に青の混じった紫色に変わっている。


 お互いのこの姿を見ても、普段のクラウディアたちとは結び付かないだろう。ただでさえ年齢を変える魔法は、この時代には失われていると言ってもいい。


「それでは探検に行きましょうか。『レオンハルト』」

「はい。……『アーデルハイトさま』」





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