115 姫君の招待
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クラウディアが転入してから、十日目の午後のこと。
この日は魔法の授業がなく、すべてが通常授業の日で、クラウディアはつつがなく一日を終えた。
ホームルーム後の教室からは、どんどんクラスメイトが減ってゆく。みんなはそれぞれ校庭で遊んだり、図書室や遊戯室に向かったりして、思い思いの放課後を過ごしているのだ。
そんな中クラウディアは、教室の窓に設けられた手すりへと顎を置き、校舎の下を行き交う生徒たちを眺めていた。
(……のんびりとした時間だわ)
ふわあと小さくあくびをし、学院を覆う結界を見上げる。遥か頭上を泳いでいるのは、小魚を追い立てているエイだった。
(今日で十日目。学院内の様子が分かってきて、私の存在も馴染み始めた頃)
この十日の間に、クラウディアは同室のラウレッタと随分仲良くなった。
クラウディアと一緒に行くのなら、魔法の授業にも顔を見せてくれる。まだ授業そのものには参加せず、見学のみではあるものの、これは大きな変化と言えるだろう。
(ラウレッタ先輩の肉声を聞けることが増えてきて、これも良い傾向だわ。セドリック先輩も、ラウレッタ先輩に謝罪の手紙を書いたそうだし……)
その上で、ラウレッタに直接会って謝りたいということも文章に綴られていた。
ラウレッタは悩んだ顔をした末、短い返事を書いている。
いわく、『私がセドリック先輩を怖くなくなったら』だそうだ。
続いて、『私も、暴走でみんなを怖がらせたことをもう一度謝りたいです』とも綴られていた。
(ラウレッタ先輩とは、お部屋で秘密の特訓もしているものね。魔法で作ったお魚さんの追いかけっこは、魔力制御の練習にぴったり)
クラウディアは指先で、小さな魔法の魚を作り出す。その魚はクラウディアの鼻の頭をつんと突ついた後、ふわふわと泳いでいって消えた。
(次に調べるべき『対象』は、八年生の――……)
「わあっ、見て見て!」
廊下から聞こえてきた声に、クラウディアは後ろを振り返る。
クラウディアがいる教室の前で、他のクラスの一年生たちが手を取り合い、なんだか色めき立っているようだ。
「フィオリーナ先輩よ。低学年の校舎に何かご用なのかしら!」
「一度だけでもお話してみたいわ。行ってみましょ!」
ぱたぱたと駆けていく彼女たちを追って、クラウディアもひょこっと廊下を覗き込む。
すると向こうには、周囲に十人ほどの生徒たちを連れたフィオリーナが、談笑しながら歩いてくる姿が見えた。
「――それで私たち園芸部は今度、中庭に花を咲かせる魔法を試すんです! フィオリーナ先輩にも見てもらいたいなって思ってて……!!」
「ふふ、とっても素敵です。魔法が上手に出来たときは、必ず中庭に見に行きますね」
「フィオリーナ先輩、俺たち乗馬部も凄いですよ! 三年生はまだ馬の世話しかさせてもらえないですけど、どの馬もよく懐いてて! 俺が餌当番の日に、先輩も一緒に来ませんか?」
「まあ、お馬さんにご飯をあげられるのですか? 楽しみですけれど、ちょっぴり怖いかもしれません……」
「怖くなんかありません!! フィオリーナ先輩は、必ず俺が守ります!!」
「頼もしいですね。では一度、お邪魔にならないときに遊びに行ってもいいでしょうか?」
一年生から三年生の生徒たちは、きらきらした瞳でフィオリーナに話し掛けている。その様子は童話を読んだ子供が、その中のお姫さまに寄せる憧れそのものだ。
「是非!! フィオリーナ先輩が来てくださったら馬たちも……」
「……あら」
そのときフィオリーナのまなざしが、クラウディアの方に向けられた。
「クラウディアちゃん!」
「……フィオリーナ先輩!」
クラウディアはぱっと笑顔を作り、ととっと廊下を駆けてゆく。そんなクラウディアに、周りの生徒たちは少し顔を顰めた。
「初級クラスの一年生だ。フィオリーナ先輩に軽々しく……」
「でもあの子、王女なんでしょ?」
「ふん、僕だってフレスティア国の十三王子だぞ! この学院では全員が平等。王族だからってフィオリーナ先輩に近付けると思ったら、大きな間違……」
そんな囁き合いを遮るように、フィオリーナはクラウディアをぎゅっと抱き締める。
「会いたかったです、クラウディアちゃん!」
「!?」
その瞬間、生徒たちが驚愕に目を見開いた。
「な……っ!! 誰にでも分け隔てなく接する、女神のようなフィオリーナ先輩が……」
「あの一年生を抱き締めた……!?」
廊下がざわざわと動揺に満ちる中、フィオリーナはクラウディアから少し身を離して見下ろす。フィオリーナから漂う上品な香りは、薔薇から作られた香水のものだろう。
「クラウディアちゃんとお話ししたいのに、なかなか機会が無かったでしょう? ついつい会いに来てしまいました」
「えへへ、嬉しいです! フィオリーナ先輩、いつもみんなに大人気だから、お傍に行っても大丈夫かなって心配で……」
「もちろん遠慮なんかせず、いつでも話し掛けて下さい。クラウディアちゃんと過ごせるのを、私も楽しみにしていますので」
フィオリーナのそんな言葉を聞いて、他の生徒たちがまた驚く。
「あの一年生、フィオリーナ先輩と一体どういう関係なんだ……?」
(……疑問を持たれるのも当然よね)
表面上はにこにこしつつ、クラウディアは内心で考えた。
(フィオリーナ先輩の言葉は不可思議だわ。彼女に特別扱いされる理由なんて、私には無いもの)
「妹のラウレッタとも同室で、仲良くしてくれているのでしょう? 本当に、ありがとうございます」
フィオリーナはクラウディアの両手をくるむと、大切そうにぎゅっと握る。
「大切なラウレッタ。とても心配しているのですが、私はあの子の傍に居ない方が良いと言われていますので……」
他の子供たちには聞こえないであろう、とても小さな声だ。
クラウディアは微笑んで、同じように小さな声で言う。
「ラウレッタ先輩は、とっても大好きなお友達です! 昨日もふたりでパジャマパーティーをしたの。先生たちに内緒で、クッキーやマシュマロも食べちゃいました」
「ふふっ。すごく楽しそうですね、素敵です」
フィオリーナはくすくすと笑いながら、制服のローブから何かを取り出した。
「クラウディアちゃんに、この招待状を渡したくて」
「招待状?」
手渡されたのは、小さなカードだ。
「私もクラウディアちゃんと、もっと仲良くなりたいのです。……ですからどうか、遊んで下さいね」
フィオリーナはそう言って立ち上がると、紫色の髪を指で梳き、耳に掛けた。
「合唱部の練習に行きませんと。クラウディアちゃん、さようなら」




