112 過去の暴走
ノアは静かに立ち上がると、静かな声でセドリックに問い掛ける。
「姫殿下に何か、ご用件が?」
「……っ」
セドリックは僅かにたじろいだ後、ノアを見据えた。
「黒髪に黒い瞳。君が特級クラスに編成されたという、ノアという名の従僕か」
「どうぞご用向きをお話し下さい。私がお預かりした上で、姫殿下にお伝えいたしますので」
セドリックが離れた場所に立っているのは、ノアが牽制しているからだ。
ノアは正しい姿勢でセドリックに向き直り、礼を欠く態度は取っていない。にもかかわらずノアが纏っている雰囲気は、セドリックを威圧するのには十分だった。
(セドリック先輩は、三年生。ノアより一歳歳下の、十二歳から十三歳にあたる学年だわ)
クラウディアが思い浮かべるのは、この学院でのもうひとりの探し人だった。
(先輩のお友達いわく、何処かの王族の血を引いているのよね。それに先輩は、魔法の才能もしっかり持ち合わせている)
セドリックは魔法の授業において、上級クラスに所属しているらしい。
最上位のクラスである特級クラスは、最年少が四年生のノアなのだそうだ。つまり三年生で一番の実力者は、上級クラスに所属している生徒ということになる。
(セドリック先輩とノアの顔立ちは、似ている訳ではないけれど。セドリック先輩が、名前を偽っている可能性もあることを踏まえると……)
セドリックは、ノアへの警戒心をまったく隠さないまま口を開く。
「――ノア、というのは本当の名前か?」
「……」
これはまた、随分と妙な質問が出てきたものだった。
(ノアの素性を疑っている。……さあ、一体どんな理由があってのことかしら?)
「この『ノア』という名前以外に、本当と呼べる名前などありません」
ノアの言葉には迷いが無い。その揺るぎなさは、何かを疑ったらしきセドリックを引き退らせるには、十分な力を持っていたようだ。
「……不躾な質問ですまなかったよ。それと、本題だが……」
セドリックの赤い瞳がこちらを見たので、クラウディアはにこっと元気に笑い掛けた。
「見て見て、セドリック先輩! このサンドイッチ、ノアが作ってくれたの!」
何か言いたげな様子を敢えて無視しつつ、無邪気なふりをして自慢する。
「クラウディア、お腹ぺこぺこだったもの。医務室でいっぱい寝て、元気になったから」
「……寝たら元気になったのかい?」
「うん! クラウディア、昨日はどきどきしてあんまり眠れなかったの。だからセドリック先輩との勝負が終わったら、嬉しくて眠くなっちゃった」
そう言い終え、王女らしくない大きな口でサンドイッチを頬張った。セドリックは気まずそうな素振りを見せながら、改めて問い掛けてくる。
「つまりあのとき倒れたのは、ただ前日寝不足だったのが原因だってこと?」
「倒れたんじゃないよ、寝ちゃったの!」
「――――……」
クラウディアがきっぱり言い切ると、セドリックは何処か力の抜けた様子で息を吐き出した。
「っ、なんだよ……。僕はてっきり『勝負』の所為で魔力に影響が出て、体調不良を引き起こしたんじゃないかと……」
(そう外れてはいないわね。魔力の反応についてよく見極め、判断する力を持っているのだわ)
その上で恐らくは責任を感じ、クラウディアの様子を見にきたのだろう。
「……その。何か他に、必要な物があるなら……」
気まずそうに続けるセドリックに対し、ノアが淡々と返事をする。
「姫殿下のご用命を承る役割は、私が担います。セドリックさまのお手を煩わせることはございません」
「っ、だが君ひとりでは大変だろう。彼女が眠っている間に身の回りの世話をした上、各所に伝達をしたり、礼を言って回ったりしていたそうじゃないか」
「その程度は当然の役割ですので。第一」
ノアは静かに目を眇めると、容赦のない声音で告げた。
「何らかの罪悪感をお持ちなのであれば、そのように遠回しな行動だけでなく、まずはお言葉で示されるのがよろしいかと」
「う……」
有無を言わさない雰囲気に、セドリックが言葉に詰まった様子を見せる。
気にせずサンドイッチを食べ進めていたクラウディアは、セドリックと目が合った瞬間ににっこりと笑った。セドリックはそれを見て、ゆっくりと口を開く。
「……すまなかった」
そう言って、クラウディアに深く頭を下げた。
「僕はいまでも、君に告げた考えを変えた訳じゃない。……それでも、言い方を選ぶべきだったと思う」
「セドリック先輩……」
クラウディアは小さな人差し指を口元に当て、にこりと笑う。
「えへ」
そして、無邪気な声で言い放った。
「――謝っても、許してあげない!」
「!!」
ばっと顔を上げたセドリックの前で、クラウディアはわざとそっぽを向く。
「だってセドリック先輩、意地悪なのはクラウディアにだけじゃないもん。ラウレッタ先輩にもだって、そう言ってたもん」
「そ、それは……!」
「ラウレッタ先輩にごめんなさいしないと、クラウディアもいいよって言ってあげない」
クラウディアこそ意地悪で大人気ないのだが、ノアは当然だという顔をしている。セドリックは明らかに狼狽えて、どうしたらいいか分からない様子だ。
「ラウレッタに……? だが、それは」
「セドリック先輩は、クラウディアやラウレッタ先輩が嫌い?」
「っ、そういう問題じゃない……! 君は、ラウレッタが起こした魔力暴走の状況を知らないから!!」
セドリックから聞き出したいことを察しているノアが、クラウディアの代わりに彼へと尋ねる。
「セドリックさま。ラウレッタさまは一体、どのようなことを……?」
「……っ」
セドリックは小さく咳払いをすると、少し嫌そうに答えた。
「まだ知らないのなら仕方が無い。話してあげるよ」
(……ノアに対して話すときは、私に対してとは違う棘があるわ)
内心で考えていることを表に出さないまま、クラウディアはセドリックを見上げた。
「一学年の入学式で、ラウレッタは学院にやってきた。だけど入学当初から、みんな彼女のことを警戒していたんだ。ラウレッタは幼い頃にも一度、魔力暴走を起こしているという噂だったから」
「んん……?」
不思議に思い、ことんと首を傾げて尋ねる。
「そのときはみんな、ラウレッタ先輩と初めましてのはずなのに。どうしてそんなことが噂になっちゃったの?」
「それは勿論、知り得ていたからさ」
セドリックは溜め息のあと、こんな風に口にした。
「彼女の姉であるフィオリーナ先輩が、妹の過去の魔力暴走について、語っていたんだ」
「…………」




