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109 勇気ある声援


 セドリックが詠唱すると、辺りに突風が吹き荒れる。上空に現れた炎の塊は、鳥のような姿を取った。

 炎の両翼を広げ、長い尾を翻して、まるで咆哮を上げるようにうねる。離れた場所に居ても伝わってくる熱に、ラウレッタは思わず身を竦めた。


 他の生徒たちもどよめいて、お互いに身を寄せ合っている。セドリックの生み出した炎の鳥に、みんなが畏怖のまなざしを向けた。


 炎の鳥は中庭の上空を、縦横無尽に飛び回り始める。


「はははっ、見たかい!?」

「きゃあ!!」


 ごおっと風を切る音に怯え、生徒たちが頭を押さえて身を屈める。頭上を滑空する凄まじい炎は、どう見たって逃げる側ではなく追う側だ。


「ほらほらどうした? 勝負なんだろう。捕まえてごらんよ!」

(あ……)


 ラウレッタの心臓が、どくりと音を立てる。


(……っ、怖い……!!)


 攻撃魔法を久し振りに間近で感じて、反射的にそんな恐怖を抱いた。

 かつての自分が暴走したことによって、周囲が悲鳴の渦に飲み込まれたことを思い出す。無意識に自分の体を抱き締めながらも、ラウレッタはクラウディアの背中を見遣った。


 炎の鳥を見上げる後ろ姿は、とても小さくて頼りない。


(クラウディアも、怖がってる?)


 魔法が恐ろしいのは当たり前だ。

 きっと幼いクラウディアは、あの魔法が怖くて怯えているのだろう。昨日の夜、ラウレッタの魔法を熱心に見詰めてくれた女の子が、助けを求めている。


(私の、お気に入りの、魔法。クラウディアは、怖がらず、すごいって言ってくれた)


 本当は部屋から追い出したくて、意地悪な気持ちで使った魔法だ。

 魔力を暴走させたラウレッタが、自室であんな風に魔法を使っているのだと知ったら、普通の生徒なら逃げ出すはずだと思っていた。


 ひとりの部屋がよかった理由のひとつは、ラウレッタに怯える誰かとふたりで生活する自信が無かったからだ。

 けれども昨晩、ラウレッタの魔法を喜んでくれたクラウディアと一緒に眠るのは、暖かな海で微睡むかのように心地よかった。


(クラウディアを助け、なきゃ。でも)


 どうしても体が動かない。

 震えるくちびるを開こうとしても、声を出せなかった。


「う……」


 その不甲斐なさに泣きそうになって、顔を顰める。こうしている間にも時間は過ぎ、炎の鳥はクラウディアを挑発するように飛び回った。


「ほらどうしたの、一年生! あと一分で制限時間、僕の勝ちだ!!」

(助けなきゃ。助けなきゃ、でもどうやって? 私、何も出来ない、何も……)


 ぎゅっとくちびるを結んだラウレッタの脳裏に、先ほどのクラウディアの言葉がよぎる。


『ラウレッタ先輩が頑張れーって思ってくれてるだけで、元気いっぱいになるんだから!』

(……!)


 ラウレッタは弾かれたように顔を上げると、勇気を持ってくちびるを開く。


「……っ」


 その瞬間に炎の鳥が眼前を掠め、反射的にしゃがみ込んで頭を守った。


「あと四十秒!」


 恐怖と焦りで混乱し、告げるべきことが分からなくなる。


「三十秒!」


 瞼を僅かに開いた視界で、クラウディアの後ろ姿がぼやけて見えた。


「二十五秒。二十四、二十三……」

「……っ!!」


 ラウレッタには、クラウディアが何かを待っているように感じられた。

 だから再びくちびるを開き、息を吸って、ひとつだけ言葉を絞り出す。


「――――――『クラウディア』!!」

「!」


 声に出したのは、クラウディアの名前だ。

 望まれた『頑張れ』の言葉でもなければ、彼女を元気付ける言葉でもない。助けることが出来ない叫びなんて、なんの意味も持たなかった。


(だめ。こんなのじゃ……!!)


 言葉を継がなくてはと思うのに、大声を出したことへの緊張と怖さで震える。

 けれども次の瞬間、こちらを振り返ったクラウディアを見て、ラウレッタは思わず目をみはった。


「……ラウレッタ先輩」


 クラウディアが表情に宿すのは、恐怖などの感情ではない。


「ありがとう。とってもうれしい!」

「……!」


 ラウレッタの魔法を見つめるときのような、きらきらとした笑顔だった。


「んんと……」


 クラウディアはすうっと息を吸い込むと、拙い呪文を口にし始める。


「『来たれ、来たれ、お魚さん。強くて格好良い、お魚さん』」

「はははっ。なんだいその、子供っぽい詠唱は!」


 セドリックが嘲笑を上げていても、クラウディアは気にする様子がない。


「『可愛いお目々、大きなお口。素早く泳げる、立派な尻尾』!」

「残り十秒! 九、八、七――……」


 数字を刻んでいたセドリックの声が、ぴたりと止まる。

 セドリック以外の生徒たち、教師や勿論ラウレッタも、ぽかんとして頭上を見上げていた。


(嘘……)


 恐らくラウレッタでなくたって、誰も言葉を発することなど出来なかっただろう。

 中庭の上空には、大量の水で形取られた、大きな魚が浮かび上がっていたからだ。


 クラウディアはにこっと笑うと、セドリックを守るようにして翼を広げた炎の鳥を指差しながら、詠唱の最後の部分を唱える。


「――『食べちゃえ』」

「!!」


 魚の口に取り込まれた炎の鳥が、じゅわあっと音を立てて消滅する。


 蒸発するときのその音は、まるで断末魔の悲鳴だった。水で作られたその魚は、蜃気楼のようにゆらりと消える。


「な……っ」


 わなわなと震えるセドリックを前に、クラウディアはこちらと振り返ると、両手を上げてぴょんと跳ねた。


「ラウレッタ先輩に応援してもらえた、クラウディア選手の勝ちー!」

「…………」


 たっぷり数秒以上の沈黙を置いたあと、ようやく状況を飲み込んだこの場の面々は、途端にざわめき始めたのだった。




***





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