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11 復讐の形

 詠唱の呪文は、短いものほど高度だとされている。

 能力のない魔術師ほど、詠唱は長くしないと扱えない。短い詠唱で高火力の魔法が出せるのは、世界でも限られた天才たちだけだ。そして、叔父もそのひとりのはずだった。


(クラウディアが、たった一言で強力な魔法を発生させるのは知っていた。だけど、まさか詠唱すら必要としないとは……)


 けれど、その分負担も大きいはずだ。

 それを一切感じさせないままに、クラウディアがノアを振り返る。


「ノア、どうしたい? この男を殺すなら、手伝うわよ?」

「……」


 脳裏に過るのは、何度も思い出した母の声だ。


『この子はあなたの弟妹になるのよ。生まれてきたら守ってあげてね、お兄ちゃん?』


 続いて襲いかかるのは、両親が殺された日の記憶である。

 父は事切れ、寝台の母は泣き叫んで、ノアは叔父の手にねじ伏せられていた。


『やめて、息子を離して!! どうか子供たちだけは許して、お願い……!!』


 妹の産声と、両親の血の臭い。忘れられない光景の中で、妹を抱えた叔父が言う。


『妹を守りたいのなら、この場で私に服従を誓え。――父親の代わり、未来永劫私に詫びると宣言するのだ』


 それから五年間の日々を、なんでもないことだと耐えてきた。

 そうすれば妹を守ることが出来る。母と交わした約束も、叔父に向けた願いも叶えられると思ったからだ。


 数日前、ノアの元に残飯を運んできた魔術師から、『妹のアンナが病で死んだ』と聞かされるまでは。


「……殺す気はない」


 ノアはゆっくりと口にする。


「妹の亡骸を返してくれ。……せめて、弔いをしてやりたい」

「……」


 クラウディアは目を細めると、叔父に巻き付けていた蔦の拘束を、僅かに緩める。


「ぐ、かはっ、ごほ……っ!!」

「ライナルトの子孫、一度だけ発言を許すわ。ノアの妹はどこ?」

「……く、ふ、ははははは!!」


 歪な笑みを浮かべた叔父が、ノアと同じ色の瞳でこちらを見た。


「そんなもの、すぐさま処分したに決まっているだろう!!」

「……」


 心臓の奥が、冷静な冷たさを帯びていく。


「本当なら、私が燃やしてもよかったんだ。骨さえ残さずに燃やし尽くし、醜い灰に変え、王都のドブ川に捨ててもな! だが残念、アンナの顔は義姉上に瓜二つだ。さすがの私にも憚られたのでな、魔術師に命じて王都に捨てたよ」

「……」

「孤児の死体として運ばれて、どこぞに埋葬されただろうさ。こうなってはもう探すことは出来ない、永遠に!!」


 ノアは、大きく深呼吸をした。


「良い顔だなレオンハルト。そうだ、その顔が見たかったんだ!! 五年もかけ、ようやくいまになって、お前の絶望を見ることが出来た……!!」

「……アーデルハイト。あと一度だけ、あんたの魔力を貸してくれ」


 懇願に、彼女は軽やかな笑みを浮かべる。


「従僕の必要とするものは、主人が賄って当然でしょう?」

「……ありがとう」


 クラウディアに深く頭を下げ、ノアは叔父へと向き直る。

 蔦に全身を拘束され、その屈辱に血管を浮かせた叔父は、ノアを煽るように大きく叫んだ。


「やはり私を殺すのか。お前も所詮はあの兄と……いいや、この私と血が繋がった人間だなあ、レオンハルト!!」


 ノアは、氷の剣を静かに握り直す。


「……叔父上、あなたを殺す気はない。だが」

「……?」


 そして、小さな呪文をひとつ唱えた。


「『――……』」


 昨日、クラウディアを背負って行った村で、クラウディアが唱えてみせた呪文だ。


 攻撃魔法とは違うためか、扱いが少々難しい。

 それでも、体の中に循環するクラウディアの魔力によって、ノアの体に変化が起こる。


「な……」


 叔父が、その目を大きく見開いた。

 それはきっと、叔父の前に立ったいまのノアが、十九歳くらいの青年姿をしていたからだろう。


「貴様は……!!」


 背丈が伸び、肩幅がついて、手足にはしっかりとした筋肉がついている。魔法によって作り出した衣服は、この国の王族が纏う正装だ。


 魔法によって作り出した大人の姿は、ノアにとって特別な感慨があるわけでもない。

 だが、この叔父にとっては別物のはずだ。


「あ、兄上……!! 兄上、どうして、あなたがここに!」


 恐怖に染まった漆黒の瞳が、成長したノアを見上げている。


 父の瞳は赤茶色で、ノアとは違った色のはずだ。

 それでも、成長して面差しが似たのであろうノアの姿は、叔父にとっては父にしか見えないらしい。


 当然、ノアが意図した通りだ。


『お前は義姉上にも似ているが、やはり何よりも兄上にそっくりだ。お前を見ていると、兄上のことを思い出す……!!』

(俺に父のことを話すとき、あなたの声は決まって震えていた)


 その震えを、暴力的な衝動によるものだと思っていたことがある。

 だが、何年も掛けて観察しているうちに、そうではないのだと気が付いたのだ。


「――ぶたないでくれ!!」


 ノアが一歩を踏み出すと、叔父が震えながらそう叫んだ。

 ノアが纏った王族の正装は、生前の父とまったく同じものだった。歩く度、勲章のじゃらじゃらとぶつかる音がして、叔父はその音に身を竦める。


「だ……だって兄上が悪いんだ!! 兄上を前にすると、怖くて震えが止まらなくなる。もう少し手加減して、ゆっくりといたぶるつもりだったのに、兄上が僕に怒鳴るから……!!」

「……」

「あれぐらいで死ぬとは思わなかった。本当は生かして苦しめたかったのに、いざ兄上を前にすると怖くて、それで仕方なくレオンハルトに……謝るから、お願いだからどうか、これ以上ぶたないでくれ……!!」


 ノアはぐっと目を細める。

 その後ろで、身長の伸びたノアからは見下ろす形になったクラウディアが囁き掛けてきた。


「殺すなら、良い魔法の使い方を教えてあげるわよ」

「……言っただろう。殺す気はないって」


 その代わりに。

 ノアはぐっと拳を握り込む。それを見た叔父が、蒼白になって震えながら首を振った。


「ぶたないで!! 兄上、お願いだ、おねが……っ!!」


 その懇願を聞き入れず、ノアは渾身の力を振るい、叔父の頰を強く殴り飛ばした。


「……っ!!」


 叔父の体が後ろに飛び、拳にひどい痛みが走る。

 床を転がり、無様に伏せた叔父は、白目を剥いたままうわ言を繰り返した。


「ごめんなさ…………兄上、許して、許し……」


 その声にまるで覇気はない。


「復讐は、死に逃げられたんじゃ意味がない」


 ノアは小さく呟いて、叔父を見下ろす。


「あなたはこの先、死ぬまで兄の影に怯えていろ」

「……もう、こちらの声は聞こえていないわよ」


 クラウディアに告げられて、ノアは彼女を振り返った。

 そのあとで、改めて叔父の姿を見る。呆然と天井を見上げ、ここにいない相手に何度も何度も謝罪を告げる叔父の姿は、大人の姿で見下ろせば小さかった。


「――こっちだ、応援を頼む!! レオンハルト王子が、陛下の元に……!!」


 魔術師たちの声がして、同時にクラウディアがノアの手を取る。


「『転移』」

「!」


 次の瞬間、ぱっと景色が切り替わり、レミルシアの王都を見下ろす場所に移動していた。


「ここは……」

「とりあえず上に逃げてみたの。見晴らしが良さそうだったから」


 クラウディアの言う通り、ここは王城の屋上庭園だ。

 ノアと向かい合い、互いの両手を繋ぎ合わせた彼女は、じっと下から見上げてくる。


「……あの男から、王位を取り戻したい?」

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