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105 学院の幽霊

***




 翌日から始まった一年生の授業は、これまで生徒の立場で教えを受けたことのないクラウディアにとって、とても新鮮なものだった。


 午前中にあるのは一般授業であり、十歳に向けた内容だが、改めて習うのも十分に面白い。

 自国では家庭教師をすべて拒み、好き放題の我が儘王女として振る舞っているので、なかなか得られない機会なのだ。


 休み時間、中庭の噴水に腰掛けたクラウディアは、ノートの見開きを広げてノアに報告した。


「じゃあん、どうかしら。数学の先生が私のノートを見て、よく纏められていると褒めてくださったの」


 海の上は今日も晴れているようで、結界の中には美しい光が降り注いでいる。大きな亀が泳いでいる海の下で、ノアは真剣に頷いた。


「おめでとうございます。もっとも、姫殿下であればそのような評価も当然ですが」

「ふふ」


 ノアが口にした内容そのものより、大真面目な言いようがおかしくて笑う。


「ノアは平気? 休憩時間の度に私の教室にやってきて、授業開始に遅れたりしなかったかしら」

「俺は姫殿下の従僕ですので。そのようなことで主君の評価を落とすような真似は致しません」

「いい子のノアには百点をあげましょう。よしよし」


 頭を撫でても拒まれないのは、中庭に他の生徒の姿があまり無いからだ。ノアは大人しくされるがままになりながら、それでも少々気まずそうに口を開いた。


「……改めて、今朝はあまりお話出来なかった点の再確認をさせていただきます。ラウレッタは間違いなくフィオリーナの妹なのですね」

「ええ。どちらかが妹や姉のふりをした赤の他人、というわけでは無さそうだったわ」

「……」


 ノアはクラウディアを一瞥したあと、改めて続ける。


「あのとき聞こえた『呪いの歌』の主は、姉妹のうちどちらかであると。その上でフィオリーナは、自らが何処かの国の王族であることを仄めかした……」

「身分を隠して通学する生徒は、きっと沢山いるはずね。いくら外敵の来ない学院といえど、万が一の可能性があるもの」

「もう一点気掛かりなのは、ラウレッタが滅多に声を発さないという点です」


 クラウディアは今朝の食堂で、ノアにそのことを話していた。


「生存者たちはみな、船が消える前に歌を聴いたと証言していますから。呪いの媒介に歌が使われているのであれば、『声』は大きな鍵になるのでは?」

「それも珍しい話だけれど。呪いの魔法道具とは、大抵が銀細工のような形をしているもの。そこに魔力を流し込むにあたって、歌が使われたのを見るの初めてだわ」


 クラウディアはことんと首を傾げ、ゆらゆらと足を動かす。


「昨日ね、ラウレッタ先輩と一緒の寝台で眠ったの」

「は」


 目をみはったノアに対し、クラウディアは気にせず言葉を続けた。


「呪いを発動させるときは、呪いの魔法道具を身につけている必要があるでしょう? 一緒に眠ればひょっとして、それを見付けられないかしらと考えて」

「……」

「けれども駄目ね。不審がられないように『くすぐりっこ』と称して遊んだりもしたけれど、さすがに不躾に触れるのは憚られたわ。服の中に隠しているかもしれないし、常時身に付けているとは限らないもの」

「…………」


 クラウディアが話すのを、ノアは複雑そうな顔で聞いている。


「それよりも効率が良いのは、一緒にお風呂に入る方かしら……ノア?」

「…………」


 ノアの眉間に寄せられた皺を見て、クラウディアは微笑ましさにくすりと笑った。


「ひょっとして、やきもちを妬いているの?」

「………………」


 きっとこんな風に言ったところで、ノアはすぐさま否定するだろう。

 そう考えていたのに、ノアはぽつりと低い声で言う。


「姫殿下が眠いときに頼って下さるのは、俺だけなのだと思っていました」

「!」


 素直に明かされたその言葉に、クラウディアは胸がきゅうっとなった。


「ノアったら、とっても可愛いわ! いい子いい子、さみしくなっちゃったの?」

「っ、姫殿下……!」

「戦略的同衾だから安心して。ノアの姫さまが安心して眠れるのは、頼れる従僕に抱っこされているときだけよ」

「申し訳ありません、出過ぎた発言をお詫び致します。ですから何卒全力で撫で回すのはお辞めください……!」


 可愛いノアをたっぷり褒めていると、ノアはいよいよ耐えかねたように口を開く。


「そのようなことよりも、俺からご報告が」

「報告?」

「つい先ほど、四年の教室で耳にしました。――学院内に『幽霊』が現れるということで、生徒たちの噂になっています」


 学院にはありがちに思える噂話だ。子供は怖い話が大好きで、クラウディアの兄や姉などは、頭まで毛布を被りながらもその手の本を読んでいる。


「取るに足らない噂かもしれませんが、万が一ということもあるかもしれません」

「話してみて。それはどのような幽霊なの?」

「この学院に、誰も見たことのない生徒が居ると」


 クラウディアはそれを聞きながら、静かに考えた。


「最初に噂が立ったのは、見知らぬ男子生徒についてだったそうです。低学年の少年という目撃情報だったようですが、それはすぐさま『見知らぬ女子生徒』の噂に変わりました」


 この学院には大勢が通うが、自由に出入りできない全寮制だ。

 たとえ学年が違っても、生徒たちは互いのことをよく知っていて、クラウディアのような転入生にすぐさま反応してみせた。


 そんな中、新入生や転入生が来る時期でもないのに、誰も知らない生徒がいるということは考えにくいのだろう。


「噂が変化を重ねる度に、幽霊の特徴は具体的になっているようです。いまではその幽霊は、八年生……十八歳ほどの女子生徒であり、紫の髪であると」


 黒曜石の色をしたノアの瞳が、魔法で薄金色に偽装したクラウディアの瞳を見下ろした。


「五百年前の魔女、アーデルハイトさまと同様の特徴です」

「…………」


 アーデルハイトは紫の髪に、少しだけ青の混じった髪色をしていた。


 命を落としたときの年齢は、まさしく八年生と同じ十八歳だ。

 学院の創始者であるアーデルハイトのそういった情報を、生徒たちは把握しているということなのだろう。


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