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102 小さな戯れ



「えい」

「!」


 クラウディアが短い呪文を詠唱すると、ピンク色をした魚たちがたくさん生まれる。


 クラウディアの作り出した魚を見て、ラウレッタの魔法の魚がびたりと止まった。それから慌てて引き返そうとするが、クラウディアの魚たちはそれを追い掛ける。


「えへへ! お魚さんたち、鬼ごっこしてるみたい」

「…………!?」


 あんぐりと口を開けたラウレッタを、クラウディアはにこにこと見遣る。


「私のお魚さん、ラウレッタ先輩のお魚さんと仲良しになっちゃいました。一緒に遊べて嬉しそうです!」


 実際のところ、ラウレッタの魚たちは迷惑そうに逃げ回っているだけなのだが、分かっていて素知らぬふりをした。


『どうして』


 ラウレッタはぎゅっと顔を顰めたまま、くちびるの動きだけで言う。


『どうして魚たちを止められたの。どうしてあなたも同じ魔法が使えるの。どうして』


 ラウレッタは自らの膝を抱え、ぎゅうっと抱き締めるようにしながらクラウディアを見た。


『私のことが、怖くないの』


 声にされないその言葉に、クラウディアは微笑みを浮かべた。


「ラウレッタ先輩」

「!」


 クラウディアはととっと彼女に駆け寄ると、その手を取ってきゅうっと握る。


「先輩の魔法、すーっごく綺麗!」

「……!」


 姉と同じ色をしたラウレッタの目が、きょとんと丸く見開かれた。


「こんなに綺麗な魔法なのに、怖くなんてないです! きらきらして、わくわくして、大好き!」

「…………っ!?」


 ラウレッタはぱっと手を引いて、信じられないものを見るまなざしを向ける。クラウディアはそれでも彼女の手を取り直し、もう片方の手で天井の方を指差した。


「ね、ラウレッタ先輩!」

「!」


 クラウディアが小さな手で示したものを、ラウレッタも見付けてくれたようだ。


 二段ベッドの上段付近では、先ほどまでクラウディアの魚から逃げていたラウレッタの魚が、いつの間にかお互いに仲良く泳ぎ始めている。


「私のお魚さんも、ラウレッタ先輩のお魚さんが大好きだって!」

「……うあ……」


 かすかな声を零したラウレッタは、はっとして自分の口元を手で押さえる。

 それからクラウディアの方を窺ったあと、俯いた。クラウディアはにこにこしながらも、内面で冷静に分析する。


(先ほど、魚たちが私の方に襲い掛かってこようとしたのは、この子が敢えて命じた訳ではないのだわ)


 恐らくは、クラウディアに出て行ってほしいという感情に呼応して、魔力が突発的に働いてしまっただけなのだろう。


(膨大な魔力を持っていて、柔軟な発想を持つ天才肌。けれど彼女は、感情と魔法の制御がとても苦手なのね)

「……っ」


 ラウレッタはクラウディアを必死に睨みながら、はくはくと口を開閉させた。

 喉元に手をやり、想いを絞り出すかのように、微かな声でこう紡ぐ。


「早く出て、行って」

「わあ」


 ようやく彼女の声を聞くことが出来て、クラウディアは瞳を輝かせた。


「ラウレッタ先輩の声、可愛い!」

「〜〜〜〜……っ!?」


 ラウレッタの顔が赤く染まる。彼女は愕然としているが、クラウディアは構わずに無邪気なふりをして続けた。


「お部屋を海みたいにしちゃうのも素敵。お魚さんたちをいっぱい泳がせてるのも素敵! どうしてそんなことを思い付いたの? 私、ラウレッタ先輩ともっともっとお喋りしたいです!」

「う、あ」

「先輩は怖くなんかない。だって、こんなに素敵だから! それに、私」


 クラウディアは真っ直ぐに彼女の瞳を見詰めた。

 そして、ラウレッタが最も欲しているであろう言葉を告げる。


「怖い魔法が襲ってきても、お守りの魔法があるから大丈夫なの!」

「……!」


 ラウレッタは明らかな興味を示し、クラウディアをじっと見た。


「私の従僕、ノアっていいます。ノアはとっても魔法が上手で、クラウディアを魔法で守ってくれているの」

「……」

「ノアは男の子だから、女子寮には来られないけれど……離れたところにいても、ノアの魔法が守ってくれるから、大丈夫!」


 本当はノアの魔法でなくとも、クラウディア自身が対処できる。しかし、初級クラスとして振る舞っているクラウディアよりも、ノアの名前を出しておいた方が良いはずだ。


「クラウディアの手、もう一回触ってみて!」

「…………」


 畏まった言葉遣いをここで止めて、幼い口調に切り替える。

 クラウディアの変化を感じ取ったかは不明だが、ラウレッタはおずおずと手を伸ばし、きゅっと手を握ってきた。


「……?」

「ね! クラウディアの手、あったかいでしょ。ノアの魔法が守ってくれてる証拠なの」

「……!」


 これも嘘だ。誰かの魔法に守られていたとしても、体温に変化は生じない。

 けれども十一歳のラウレッタは、しげしげとクラウディアの手を眺めていた。クラウディアは微笑みつつ、ラウレッタを諭す。


「ラウレッタ先輩のこと怖くないから、一緒のお部屋にいられると嬉しい。ラウレッタ先輩も、クラウディアが魔法で怪我をしなければ、一緒のお部屋に居るのは怖くない?」

「う……」


 視線を彷徨わせたラウレッタは、くちびるの動きだけでこう言った。


『少し、だけ』

「よかったあ!」


 クラウディアがぎゅうっと抱き着くと、慌てたように身じろいだ。とはいえ、クラウディアを引き剥がそうとしない上に、魔法の魚たちは安定している。


「ラウレッタ先輩! 一ヶ月、よろしくお願いします!」

「………………」


 ラウレッタはしばらく俯いたあと、こくりと頷いてくれたのだった。




***

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