100 かの国の王太子
食べ終わった食器をトレイに乗せ、隠れるように歩くラウレッタは、大勢に囲まれた姉のフィオリーナとは全く違う。
それでもその姿を目に留めて、ひそひそと囁き合う生徒は居た。
「フィオリーナ先輩の妹だ。相変わらずいつも黙りこくっていて、幽霊みたいだな」
「うちの弟が同じクラスなんだけど、あの子の声を聞いたことが無いらしい。授業で指されても何も答えず、教師たちも大層困ってるんだと」
「フィオリーナ先輩とは全然違うよな。同じ姉妹でも、こうまで差が出るもんか?」
「おい、これ以上はやめておけよ。万が一こんな話が聞こえて、魔力暴走でも起こされたら……」
「た、確かに。いくら先輩の妹といえど、怖いものは怖いからな……」
クラウディアはもぐもぐとオムライスを食べながらも、ラウレッタの横顔を観察する。姉妹は同じアメジスト色の瞳なので、魔力の性質も似ているはずだ。
(お姫さまのように守られて愛される姉と、ひとりぼっちで遠巻きにされている妹。妹の方は魔力暴走を一度だけ起こしたことが理由で、一年以上経っても腫れ物扱いされているのね)
先ほど水晶を砕いた際、教師たちが一様に狼狽えていたことを思い出す。
(大人が十分なケアをしておけば、彼女や生徒たちの状況は変わっていたかもしれない。五百年前にこの学院を作ったとき、生徒の教育方法だけではなく、教師をどう育てるかの筋道も作ったつもりだったけれど……)
小さな口を動かしながら、スプーンに映ったクラウディア自身の姿を見詰めた。
(どうやら、これでは欠けているわ)
「……姫殿下」
クラウディアが顔を上げると、ノアは真摯な表情でこちらを見据えていた。
「姫殿下が初級クラスへの所属をお選びになったのは、ラウレッタの調査の為だけではありませんよね」
「ふふ。どうしてそう思うの?」
「従僕ですから。――こんなとき、あなたが何に心を痛め、どのようなことに責任を感じられるのかは知っているつもりです」
ノアはそう言って目を伏せると、サラダのためのフォークを手にする。決して大袈裟にならないよう、わざと食事を続けながら話しているのだ。
「学院を変えるおつもりでしょう?」
「そんなに大それた話ではないわ。けれど」
クラウディアは小さく微笑んで、食堂を出ていくラウレッタにまなざしを向けた。
「欠けているものは、埋めなくてはね」
「――――……」
***
その夜、他には誰もいない男子寮の屋上で、十二歳のジークハルトは静かに目を閉じていた。
海の中にある学院では、海こそが空の役割を果たす。夜になって陽光を通さなくなった海水は、真っ暗な夜空と変わらない色をしているのだった。
夜をひとりきりで過ごすことに、ジークハルトは慣れている。
生まれてから今までの十二年間、大半をこうして生きて来たからだ。
寮の周囲に広がる森からは、食堂棟から帰ってくる級友たちの笑い声が聞こえてくる。
自分が実年齢より大人びている自負はあるが、ジークハルトが同級生と一緒に過ごすことが無いのは、周囲と精神年齢が合わないからというだけではない。
『ごめんなさい、兄上』
ジークハルトの耳に響くのは、幼い頃から耳にしてきた父の声だ。
『ごめんなさい兄上。ごめんなさい、ごめんなさい、どうか許して……!!』
『……ジークハルト殿下。お父上の傍にあまり、近付かれませんよう……』
遠ざけようとする侍従たちの陰から、ジークハルトは父を見詰めた。黒曜石の瞳を持つ父の目には、強い恐怖心が宿っている。
『ぶたないで。許して兄上、許して……!!』
かつてこの国の王だった伯父を、ジークハルトの父が殺したのだという。
父はそれから王になり、強力な魔術師として君臨した。ジークハルトは次期国王として、とても厳しい教育を受けてきたが、そんな日常は数年ほどで変化する。
城に美しい『魔女』がやってきて、父を壊したからだ。
城内で起きた出来事を、ジークハルトは目にしていない。危険だからと別棟に遠ざけられており、ようやく護衛から逃れて出たときには、すべてが終わった後だった。
けれどもあのとき、城の庭から見上げた光景を、ジークハルトはいまでも覚えている。
淡い茶の髪を持つその魔女は、傍らに黒髪の青年を従えて、城の屋上にある庭園に立っていた。
彼女が何かの魔法を使うと、あちこちに光り輝く花が咲く。それはふわりと舞い上がり、王都の空中を花で埋め尽くしたのだった。
あの日の光景を、ジークハルトは忘れない。
そして同じように父の中にも、彼女たちの記憶が焼き付いているようだ。
『兄上、許して。兄上、どうかお願いだ、兄上……!!』
『ジークハルト殿下、こちらへ。面会終了のお時間です』
『兄上が俺を迎えに来る……!! レオンハルトが、そしてあの魔女アーデルハイトが、地獄の兄上に俺の居場所を告げたんだ……!!』
ジークハルトは美しい魔女と、その傍らに従う男の名前を知っている。
「……」
過日を思い出すことをやめたのは、階下に続く階段の方から、生徒の話し声がしたからだ。
「ほら、さっき食堂に居ただろ? 淡い茶色の髪をした、あの女の子!」
その特徴は、記憶に焼きついた魔女と同じ髪色だ。
「転入生で、魔力鑑定用の水晶を砕いたらしい。初級クラスになったらしいけど、そんな危なっかしい子は退学にさせてほしいよ……」
屋上に先客がいることを、こちらに向かってくる生徒たちは気が付いていない。
「でも、従者が傍に居るんだろ? あの黒髪の。そいつが大人しくくっついてるなら、そんなに危ないことが起きたことはないって証明じゃないか?」
「その従者、従者のくせに特級クラスらしい。自分だけは何かあっても対処できるからって、危険なお姫さまの傍にいても涼しい顔出来るんだろ」
「…………」
淡い茶の髪を持つ少女と、その従者である黒髪の少年。
ジークハルトは目を伏せると、必然的に連想される名前を呟く。
「……アーデルハイトと、レオンハルト……」
***
追魔女100話目です! いつも読んでくださりありがとうございます。




