96 愛される姫君
男子生徒たちの中心を歩くその少女は、波を描くようにふわふわとした紫色の髪を靡かせている。
背丈は小柄で可愛らしく、女性らしくも華奢な体付きだ。
アメジスト色の瞳はやさしげで、小さなくちびるは薔薇色に染まっている。周囲の男子生徒に微笑みかけるその表情は、儚い雰囲気を帯びていた。
彼女が胸の前で抱き締めているのは、一冊の本だ。
「それにしても、遠慮なんかしないでくれよフィオリーナ」
その呼び掛けを聞く限り、美しい少女はフィオリーナという名前らしい。彼女の隣を歩いていた男子生徒は、歩きながらフィオリーナに手を伸べた。
「君に荷物を持たせては、俺に紳士教育を施してくれた執事に叱られてしまう。ほら、その本を俺に渡して」
「抜け駆けだぞフィリップ。フィオリーナさん、僕が教室までお持ちしましょう!」
「お前たち何も分かっていないな。こんなに慎ましやかなフィオリーナさまが、他人に荷物を持たせるような真似をする訳がないだろう? そんなことより先に行き、校舎の扉を開けて待っている方がよほど良い」
男子たちが言い争っている様子を、フィオリーナは控えめに苦笑しながら見守っている。そんなフィオリーナの視線が、不意にクラウディアたちの方へ向けられた。
「……あら?」
「あ! 何処に行くんだいフィオリーナ!」
フィオリーナは男子生徒の輪から離れると、クラウディアの所に歩いて来て屈み込む。ふわりと漂ってくるのは、花のように甘い香水の香りだ。
「一年生さん、こんにちは。初めましてのお顔ですが、ひょっとしてアビアノイア国からのお姫さまでしょうか?」
「はい! クラウディア・ナターリエ・ブライトクロイツ、十歳です!」
クラウディアは明るい笑顔を作り、元気いっぱいの演技をする。本当のクラウディアを知るはずもないフィオリーナが、くすくすと微笑みながら目を細めた。
「まあ、なんて可愛らしいのでしょう……! クラウディアちゃん、と呼んでもよろしいでしょうか?」
「えへへ。ノア、『クラウディアちゃん』だって!」
「……」
新鮮な呼び方をされたので、心から楽しくなってしまった。ノアは何とも言えない顔をしていたが、クラウディアの方は気にしない。
「嬉しいです! んと、お姉さんは……」
「ふふ、私はフィオリーナ・エルマ・シェルヴィーノといいます。そちらの素敵な男の子は?」
「私のお世話をしてくれる、従者のノアです!」
ノアが黙って頭を下げると、フィオリーナは「まあ」と笑った。
「ノア君。とっても格好良いし気品があるので、あなたも王子さまなのかと思ってしまいました」
「滅相もございません」
「はい、ノアはすっごく格好良いんです! 私の自慢のノアですから!」
「…………滅相もございません」
クラウディアがにこにこ笑っていると、不意にフィオリーナがぎゅっとクラウディアを抱き締めた。
彼女のくちびるが、クラウディアの耳元に寄せられる。
「本当はね?」
フィオリーナの声は、クラウディアへと甘く囁き掛けた。
「私もクラウディアちゃんと同じ、お姫さまなのです」
「…………」
そっと立ち上がったフィオリーナは、その人差し指をくちびるの前に翳して笑った。
「内緒ですよ?」
「……」
クラウディアは同じように人差し指をくちびるに当て、フィオリーナに返した。
「はい、フィオリーナ先輩!」
「ふふ。ところでクラウディアちゃんは、これから何処へ? 私でよろしければ、行きたい場所まで案内いたしますが……」
すると、後ろの方で見守っていた男子生徒たちが声を上げる。
「フィオリーナが行くのなら、俺たちも当然同行しよう!」
「待て、大人数でついて回ってはクラウディア姫殿下が怖がるだろう。ここはひとつ私がその役目を……」
「僕がフィオリーナの手助けをする!」
「まあ皆さま。どうか喧嘩をなさらず、仲良く……」
フィオリーナが止めに入ろうとしたそのとき、男性の声が聞こえてきた。
「――フィオリーナ」
「!」
その瞬間、フィオリーナの表情が、これまでよりも一層明るく華やいだものになった。
「ルーカス……!」
周囲に居た男子生徒たちが、一様にぎくりと顔を顰める。こちらに歩いて来たのは、フィオリーナたちと同じ八年生の青色をネクタイにした青年だ。
ルーカスと呼ばれたその青年は、黒にほど近い紺色の髪に、サファイアの色をした瞳を持っている。人の目を惹く長身で、やや細身だが均等の取れた体格だった。
フィオリーナを取り巻く青年たちも眉目秀麗だが、このルーカスの容姿に関しては、群を抜いて整っている。
「こんな所に居たのか。お前のクラスの担任が呼んでるぞ」
「私を探しに来てくれたのですか?」
ルーカスと話すフィオリーナが、本をぎゅっと抱き締めながら頬を染める。近くを通り掛かった女子生徒が、そんなふたりを見て声を上げた。
「見て見て、ルーカス先輩だわ! なんて格好良いのかしら……!」
「フィオリーナ先輩と並んでいると、お似合い過ぎて絵画のよう」
彼女たちだけではない。放課後の学院内を思い思いに過ごしていた女子生徒たちが、あちこちから見惚れているのが窺える。
クラウディアは小さな声で、傍らのノアに話し掛けた。
「ふたりとも綺麗で、本当に絵画みたい。ねえノア」
「最もお美しいのは姫殿下ですので、お言葉には同意しかねます」
ノアがきっぱりと断言したそのとき、女子生徒のひとりがクラウディアを見付け、驚いたように声を上げた。
「見て。あそこにいる一年生、すっごく可愛い!」
「まあ、本当だわ!」
「!」
その途端クラウディアの周りには、瞬く間にたくさんの女子生徒が集まってきた。
「きゃあ、近くで見るとますますお人形さんのよう!! 初めまして、あなた転入生!?」
「わわ?」
「お目々ぱっちり、睫毛ふわふわ、ほっぺもすべすべ……! 一年生とはいえ小さいわ、なんて可愛らしいのかしら……!」
「髪の毛もさらさらよ! 大人になったら絶対に絶世の美女だわ。それどころか今も、可愛さと綺麗さが相俟っていて美少女すぎるわね」
「こんな可愛い妹欲しかったあ! ねえねえ、お菓子食べる?」
「見れば見るほど美人さんだわ。色んな可愛いドレスを着せてあげたい……」
クラウディアがぱちぱち瞬きをしている間にも、上級生の数はどんどん増えていく。クラウディアのほっぺをつんつんと突つく女子が現れると、ノアが耐えかねたように手を伸ばしてきた。
「姫殿下!」
ノアに対しては日頃から、『見縊られている方が都合が良いの。私が子供扱いされているときは、なるべく手を出さずに静観してね』と命じていた。
けれども流石に看過できなくなったのか、ノアはクラウディアを抱き上げる。
近頃のノアは、成人女性の平均身長よりも背が伸びていて、抱っこされたクラウディアは上級生たちを見下ろす形になった。
けれど、それで助かった訳ではない。
これまでクラウディアに注目していた女子たちが、ここで初めてノアの顔を見たらしく、一様に釘付けになったのだ。
「っ、君もすっごく格好良い……!」
「!?」
その瞬間、ノアは心底苦い表情を浮かべてみせた。けれども女子たちはそれに構わず、クラウディアを抱き上げたノアを取り囲む。
「そのネクタイは四年生? つまりは十三歳か十四歳!? 既にこんなに格好良いのに、まだ成長の余地があるということ!?」
「一年生ちゃんを守る騎士さまなの? 可愛い……!」
(まあ。ノアがお姉さんたちに大人気だわ)
「姫殿下、転移魔法の許可を……!」
ノアが小さく懇願した瞬間、人垣の向こうから声がする。
「こーら。下級生いじめるのも、それくらいにしておけよ?」
「!」
女子たちが振り返ったその先には、先ほど現れた青年ルーカスが立っていた。




