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吾輩は蜘蛛の糸失格料理店  作者: ひなた
室の中を歩く石 田中貢太郎
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室の中を歩く石 2

 そういえば、謎の美少女は偽ナーシャということでよかったのだろうか。それとも謎美少女がナーシャのふりをしていたというだけで、やっぱり正体はまだわかっていないままなのだろうか。そもそも本当に同一人物だったのだろうか。

「ここがどの小説の世界なのか、たぶんわかったわ。私の予想が正しければ危険ではないと思うのだけれど、存在しないはずの私たちがこうも目立ってしまっているのだから、物語の流れが私の知っているものと全く違う方向へと進んでしまうこともありえる。もう少しばかりここで言い合いをしたい気持ちもあるんだけど、残念、ほら行きましょう」

 ナーシャに手を掴まれて俺は歩く。びしょびしょすぎて体が重い。

「どこに行くの。何から、どうして逃げるの」

 ここがだれかの家なのは間違いないから、住人に見付かったら驚かせちゃうだろうし警察に通報されるだろうと思って、ナーシャに引っ張られるまま家の陰に隠れた。それでもまだナーシャはどこかに歩いて行こうとしているから、今となっては俺も自分で話さなくちゃいけないと言われているから、勇気を出してコミュ障なりに聞いてみた。

「目的地はあなたの部屋。それまでの間、全てから逃げるのよ。そして最後に、あなたが私から逃げきってくれたら終わり。解決していなくても、全てが終わりになるでしょう? 物語としてはあるまじき、強制終了って奴よ」

 俺がナーシャから逃げきったら。それは偽物のナーシャを振り切るということだろうか。それとも、まさか俺が自分の部屋に戻って、そこからこの可愛いナーシャを拒むということなのだろうか。俺にはそんなことはできない。

「残念だけど、私がいる限りはあなたは目覚めることができない。私と一緒にいる限り、あなたが救われることはない。それくらいのことあなたももうわかっているはずよ」

 寂しそうに笑って、再び俺の手を取ったナーシャはこそこそと歩き出す。人がいなくなった隙を見て、この家を脱出しようとしているらしい。でもそれならどうしてナーシャはここに来たのだろう。どうしてこの家に隠れなければならなかったのだろう。どういう意味があるのか。

 ナーシャはこの小説が何かもうわかったと言っていたけれど、この家に入って来た時点ではまだわからなかったはずだ。だったらこの小説がどんな物語なのか知らないが、何かこの後に必要になるような要素がここにあるというわけではないのだろう。本当に偽ナーシャから隠れるためだけにここに来たんだとしたら、どうしてもうここを出るんだろう。

「何を生意気に考え込んでいるのよ。早くいらっしゃい」

 ナーシャに手を引かれて俺もこっそりこそこそと歩いて行く。


「早く逃げるわよ」


 家を出るとなぜだか人が集まってきているようだった。その人たちの流れに逆らってナーシャは走って行く。何が起こっているのかさっぱり理解できない。ナーシャはもっと話してくれると言っていたはずなのに、全然説明をしてくれない。

「あの家はあいつの罠だったのよ。公園、公園を探しましょう」

 早歩きのナーシャはかなり焦っているようだった。彼女がちらちらと気にしているようだった後ろを俺もちらっと見てみれば、そこには石があった。いくつかの白い石と、たった一つだけほんのりと赤い石。

「元々の物語では石が家の外にまで付き纏うようなことにはならないわ。それは家の外にまで逃げるようなことではなかったから。クソ、失敗したわね」

 かなり苛々しているように見えるが、どれだけ不味い状況なのかナーシャは話してくれない。天才のナーシャだからこれだけの手がかりで物語がどれか特定して、その物語がどう進むのかも知っているのかもしれないけど、俺にはそんなことできない。天才は凡才の……、天才は他の天才の気持ちをわからないというけれど、いくらナーシャだってナーシャくらいの天才ならそのことはもう知っているはずである。

「心霊現象もグロも苦手そうだから、あなたならもっと怯えるかと思ったのだけれど。その石が動いているの、見えたでしょ」

 石の動きが止まった間に赤みがかったその石を拾い、少し意地悪にナーシャは笑う。その石がどういうものなのかナーシャは知っているのだろうし、それで拾っているのだから安全なのだろうとは思うけれど、やはりあんな奇妙なのを素手で掴んでしまうというのが心配でならない。予想外の事態も発生しているそうだから、いくらナーシャだって危ないことがあるかもしれないんでしょ。ナーシャの身に何かあったら。

「見たよ。見たから、今びっくりしてるよ」

「びっくりって、そうは見えないけども。それに、いつ石に気付いたのか知らないけれど、驚いていたにしてはあんまりに長い時間驚きすぎなんじゃない?」


 俺とナーシャは今までがおかしかっただけで、これが普通なのか。普通にしていたらやはり俺はコミュ力が低くて、こんなにも何も伝わらないものなのか。冷静に考えればそりゃ確かに俺の言葉は足りていないかもしれないけれど、全てを読み尽くしたようなナーシャの返しに慣れてしまっていたせいで、戸惑いをなくすことはできそうもなかった。読み尽くしたようというか、読み尽くしていたんだが。

「いや不気味な石をナーシャがなんでもない石みたいに持つから、それでびっくりして。いやでもびっくりってほどびっくりでもないから、わざわざ言うほどじゃないかと思ったんだけど……」

 そうだ。そういえば俺ってコミュ障なんだった。女の子と自然な会話なんてできるわけないんだった。俺が何も言わなくてもナーシャが全てわかってくれて、ある程度合わせてくれていたから楽しくお話しできている気分でいたけど、普通に普通の俺には無理だ。

「……そ。こんな石、なんてことないわ。投げ捨ててやるわよ」

 ちょっとナーシャも気まずそうにしているように見えた。俺は最初からナーシャの心なんて読めないし、ナーシャが何を考えているのかなんてわかったことないけれど、こうなって初めてナーシャがスムーズな会話を作ってくれていたことを思い知るし本当に何もわかっていないのだと強く思い知る。こういうとき、なんて言ったらいいのか何も言葉が出てこない。ナーシャなら、心の中にだってツッコミを入れてくれていたのに。

「この世界は、私たちの物語にとってどのような意味を持つのかしら。今の私にはあなたが何を考えているのかわからないけれど、今のあなたなら自分でそれを突き止めることができると信じているわ。あなたの力を、私の教育を、私は信じているから。それじゃあ、もう少しだけ現実逃避の旅を続けましょうか」

 まるで俺とナーシャはバディのようで、彼女が言っていたようにやっと対等になれたんだと思う。落ち着いた様子で語ってくれるのが嬉しくて、信じてくれているのだとわかるけれど、それ以外は何もわからないまま。ナーシャが思ってくれているほど俺は成長できていないのだろうか。それもまた悔しくて、もう俺は天才ではないことを認めなくちゃいけないような気がした。俺は、天才小説家なのに。


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