室の中を歩く石 1
「あなたね、物語の展開を少しは考えてくれないと困るわ。文豪作品が並ぶ中で、ここであなたの書いた小説の世界が登場したのよ。どう考えたってクライマックスじゃない。ねえ、それくらいあなたでもわかるでしょう? 徐々に違和感が違和感が。そうしてあなたの身に危険が迫ったときにやっとあなたは私との旅を思い出して、光が差し込み私がぎりぎりで助け出す。そういうものよ。それなのにあなたったら、偽ナーシャとの旅が始まる前に私のことを思い出してしまうんだもの。馬鹿」
俺の手を取って走りながら、ナーシャは長々と話し続ける。何を言われているのかはあまりわからないけれど、どうやら喜んでいるだろうことはわかった。
「ごめんなさい。私ね、あなたの心を読むことができなくなってしまったの。ある意味でやっと対等になったのかしら。私もちゃんとあなたに話すようにするから、あなたもこれからはちゃんと話して。私が勝手に心を読むことはなくなるから、話さなければならないということがありそうなら、ちゃんとあなたの意志で、あなたの言葉で聞かせてね」
走って走って、逃げ込んだのはだれかの家だった。ここはどこなのだろう。前までだったらここでナーシャは俺の疑問にすぐ答えてくれるところだろうが、これからはちゃんと俺が質問をして、ナーシャとちゃんと会話をしなければならない。
「ここがだれの家なのか、私にもわからないわ。世界を選んだのは、私ではないのだもの。きっと私がこの家を選んだことにより、この家がどこかの小説の中に登場する家になる。あるいは、最初から決められていた家を、無意識のうちに私は選ばされてしまったか。わからないの」
「え、心の中読めてるじゃん」
「あなたがわかりやすすぎるのよ。こんなの読めなくたってわかるわ」
言葉は冷たいけれど、ナーシャはにっこりと微笑んでいる。その微笑みの温もりに気が抜けてしまいそうだ。そんな場合じゃないことはいくら俺でもわかる。
「人がいるわ。隠れて」
いきなりそんなことを言われてもという話なのだが、何が何だかわからないうちにナーシャに引っ張られてバランスを崩した。隠れなくてはいけないはずなのに、盛大に転んでしまい俺たちはその家の庭にあった池に落下してしまった。やばい。やばい。泳げない。やばい。息ができない。
「そう深い池ではないわよ」
俺はもう駄目かもしれないと変に冷静になって諦めかけていたところで、俺の顔は水から出ていた。少し呼吸ができるようになったから不思議に思ったが、まさかもう水の中じゃないとは。
「大丈夫? 勢いよく飛び込むものだから驚いてしまったわ。ほら、風邪を引くわよ」
俺たちだと思っていたが、どうやら池に落ちたのは俺だけだったらしい。俺が落ちた池は、体感よりもかなり狭いものだったらしい。逆に冷静になるくらい動揺してしまったわけだが、普通に冷静になれば余裕で泳げなくても大丈夫だと気付くと、さすがに恥ずかしくなってくる。
「人が来るかと思ったのだけれど、あれだけ大きな音を立てたものだから逃げていったようね。仕方がないわ。この隙に私たちも逃げるとしましょう」
立ち上がると、水の中で金魚がたくさん死んでいることに気が付いた。気持ち悪い。早く池から出ようと足を上げかけたとき、赤みがかった石が目に入った。池の周りに置かれている石。他は全て白いのに、なぜか一つだけほんのりと赤い。別に珍しいほどのことでもないだろうに、何匹も浮かぶ金魚の気味の悪さのせいか、ただ少し赤いだけの石まで気になってしまうのだから悔しい。
絶対にナーシャに揶揄われるから悔しい。そう思ったが、勝手に俺の心を読んで、意地の悪い揶揄い方をしてくるようなことは、もうないのか。
「どうしたの? いつまで遊んでるの。そこはプールじゃないのよ?」
「え、ああ、そうだね」
これは確かにナーシャは俺の心が読めていないのだろう。試したというわけではないけれど、これはさすがにそう思った。




