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吾輩は蜘蛛の糸失格料理店  作者: ひなた
勉強記  坂口安吾
36/41

勉強記 4


「ねえ」

 ナーシャはひどく寂しそうな声を出した。浮かれていた心が一気に鎮まり、切なさが激しく流れ込んでくるような気持ちになった。

「あなた、外国語はわかる?」

 どうしてそんなことを聞くのだろう。ふざけているわけではない、これだけ心が動かされるんだからナーシャのこの寂し気な声が演技なわけがない。ナーシャには何か考えがあるということなのだろう。

「ごめん。英語はあんま得意じゃないんだ」

「そりゃそうよね」

「え悪口!?」

 真面目に聞かれていそうだったから真面目に返したのに、ひどい言われようだった。普段のナーシャだったらそういう悪口はよく言ってくるけど、でもそういう場合じゃないと思ってたところだったから、ちょっとびっくりしてしまった。

「大きい声を出さないでちょうだいよ。失礼なことを言ってしまったことは謝罪するわ。それでいい?」

 ナーシャのこれは謝罪と呼んでいいのだろうかというレベルである。むしろこの謝罪まで含めて失礼まである。ナーシャが失礼なことを言うのは今に始まったことじゃないし、そういうところは俺がイメージしていたナーシャと全然違うけれど、それでもナーシャは可愛いからいいと思う。てか慣れた。

「あいつが私たちを連れ込んだ小説は、海外のものが翻訳された作品だったのよ。完全に私の専門外。でも日本語であってくれたから、まだ救いだってあったでしょ? だけどもしあいつに与えられた力が海外作品に適用されるものだとしたら、私たちは本当に全く情報を得ることができなくなるのよ。私も外国語はさっぱりだから」

 海外っぽい街並みでも本当に外国語を使われたら困るなんてものじゃないし、異世界転生で異世界語を勉強しなくちゃ言葉も通じないとかだったら、チートステータスだったとしてもちょっと怠い。言葉がすぐにわかるとかそういうチートの作品じゃないとできないし、でもそんな言葉が通じるなんて当たり前のことを能力にするとか、小説として才能がない。そういう現実感の出し方は、センスがない。


 俺だったらもっと主人公は強く書く。主人公は特別に書く。そっちの方が面白い。主人公が努力して一生懸命になって最後の最後、ぎりぎりになって勝利するっていうようなストーリーはありきたりだし古いから、チートステータスの主人公という斬新な設定の方が今時だ。それに異世界転生で、現実的な要素を残すとか、そんなのもう異世界転生じゃない。

「小説なんてどれも作者の妄想を書くだけの痛々しいものよ。そして読者もその妄想を共有することで楽しむことができる。現実世界ではゴミみたいな人間でも、異世界に行ったら特別な能力を持っていてハーレム状態。元々能力を持っているものだから、努力をしなくて済むというのもあなたの惨めさが反映されるわね。今のままでは異世界に行っても人々に必要とされる人間にはなれないという、自信のなさも」

 作品の主人公が俺であるというわけではない。こうしてナーシャが現れてくれたせいで、最高の新作の主人公は俺をモデルとしていることになってしまうけれど、何も俺がやりたいことを主人公がやっているというわけではない。小説なんだから妄想になっちゃうのは仕方ないにしても、俺はそこまで痛々しいことはしていない。


 それにしてもナーシャはかなりの毒舌だったような気がするのだが、声質と声色のせいでそうは聞こえない。真面目な話とか、前しようとしていた怪談みたいなのは向いていないにしても、基本的に怒られなさそうで得しそうだ。同じことを言っていても相手を怒らせないような人、そういう系だと思う。そもそも可愛すぎるものだから、こんな可愛い子を相手にしたら何を言われても苛々もしなそうなものではあるけど。

「隠さなくても結構よ。わざわざ最後に付け足しているところをみると、少なからず私の言葉に苛々しているんじゃないの。あなたが私の全てを許してしまったら、私が質の悪い暴力ヒロインの悪化版として終わるところだったわ。ギャップとかではなく、頼られたという欲望だけがあなたのヒロイン設定には強く出ているのよね。そういえば、一昔前はライトノベルのメインヒロインといえばツンデレ暴力ツインテールだったのに、最近ではあまり見ないわね。そうは思わない?」

 いつもよりもナーシャは早口だった。何のことを言っているのかはわからないけれど、いつもの昔の人の知らない小説ではなくて、ラノベの話をしているのも珍しい。俺はナーシャを傷付けないようにとしていたつもりだったのに、それがいけなかったのだろうか。


 ナーシャは俺が創り出したキャラクターなのだし、俺とナーシャの平凡な日常だなんてものは最初から存在しなかった。どこかからナーシャが現れてくれた時点で、もうこうなることは決まっていたのかもしれない。物語が始まったからには、困難に襲われるのは当然のことだ。主人公がチートで特別でモテるとしても、一瞬で困難を解決する力を持っているとしても、それでも主人公の前に壁は立ちはだかる。いくら俺の小説が斬新だからといって、そこまで覆すことはできなかった。

「事の大小はあれども、書かれるからには書かれるだけのことはあるのだものね。でも物語でなくても、ずっとだれもに何かは起こっているものよ。あなたの日常だって、そのまま書き出してみれば案外面白いものになるかもしれない。あなたにはセンスがないものだから、あなたにとって退屈なそれは、多くの人が面白いと思うようなものかもしれない」

 リア充のしょうもない日常に比べたら、俺の天才小説家としての生活の方が物語になるものかもしれない。でも小説としてはつまらなすぎるし、何よりナーシャの他に美少女が出てこない。それならナーシャが来てくれなかったままの俺の日常を、小説家を目指す人以外のだれが読みたがるというんだろう。

「いや、なんで小説家を目指す人は読みたがる想定なのよ」


 作者の日常を書くものは、もう小説でもなんでもなく日記じゃないか。性格が悪い人なら他人の日記を読むのも面白いのかもしれないけど、そうじゃなかったら書いた側が恥ずかしいだけど読んだ側は何も面白くはないだろう。まして知り合いならともかく知らない人の日記を読みたがるような噂大好きおばちゃんが大量発生しているとは思えない。いやもう噂大好きおばちゃんだって、わざわざ本でまで読みたがるとも思えない。じゃあだれが読むというのか。

「作家の日常をそのまま描いたものだとしても、必ずしも全てが実話である必要はないわ。それにもし作者にとっては現実だったとしても、小説である以上は読者にとっては現実ではない。作者の経験は読者の経験ではないのだから、物語として楽しむことができる。でも噂に関しては、内容の面白さが噂の面白さというわけではないんじゃないかしら。特定の人物の、本人が明かしていないことをあることないこと隠れて話している。噂の内容が過激で、本人のイメージとギャップがあればあるほど好まれる。悪事を共有することで結束が高まるように、あれは話すこと自体が楽しまれるのよ」

 結局どういうことなのかはわからなかったが、とりあえずナーシャが噂は好きじゃないということはわかった。女子はみんな噂が好きだし、だからおばちゃんも噂が大好きだけど、そういうところはやっぱりさすがナーシャである。

「相変わらずの偏見ね」

「何が面白いんだか、ドラマとかは会社やら警察やらの話が結構あるもんな。そういうあれか。だからドラマはアニメに比べて全然ちっとも面白くならないんだよ。ただでさえ美少女も出ないのに、ストーリーもつまんなくてどうするんだって感じだよな」

 三次元の美少女には限界があるけど、しっかり三次元でありながらナーシャは俺が想像していた姿をそのまま再現している。アニメイラストらしい美少女を想像していたのに、それでも目の前にいるナーシャは完全に想像通りだと言える。


「本当なら力を溜めて、あなたを元の世界に帰らせてあげるべきなのでしょう。最初からそれは私の一存でできることではなかったけれど、今はもう、その力さえもない。あなたが全てを決めてくれても、私にはあなたの希望を叶えてあげることができない。馬鹿みたいに、自分のヒロインの座を守るためにあいつから逃げているけれど、本当に勝負の内容がそれで合っているのかもわからないし、まさかこれであなたのためになるとも思えない。最低よね。これであなたが悪夢に捕らわれて目覚められなくなったら私のせいなのに、ああ、これもよくないわね。まるで私のせいにしないためにあなたを守ろうとしているみたい。責任転嫁をしたがっているのと同じだわ。ごめんなさい。違うの、あなたにこんなことを言おうと思っていたわけではないの、私は何をしているのかしら。えへへ、……えへへへ」


 ナーシャはいつでも冷静だと思っていたけれど、作り笑いをしながらナーシャは下を向いてしまった。必死の笑い声が震えているのは、彼女が泣いているからなのだろう。

 どうしてナーシャが泣いてしまったのか、俺にはわからない。どうして泣いてしまっているのかがわからないのだから、どうしたら元気を出してもらえるのかもわからないし、泣かないでとかそういうことを言ってしまうことも怖かった。ナーシャに泣かないでほしいのは俺であって、涙の理由がわからない俺にナーシャの行動を止めることなどできるはずはなかった。俺に言えるのは一つだった。

「ナーシャ、笑わないで」


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