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吾輩は蜘蛛の糸失格料理店  作者: ひなた
勉強記  坂口安吾
34/41

勉強記 2

 電車が止まる。もう到着してしまったのだろうか。もうナーシャとゆっくりしていられる時間は、もう終わってしまうのだろうか。俺たちを連れてきてくれた人は、立ち上がって電車を降りようとしている。なんだかナーシャは立ち上がる様子もないけれど、着いて行くんじゃないのか。

「絶対に扉に近付いては駄目よ。時空の狭間に落ちてしまうから、しっかり座席に捕まって、外は見ないようにしておきなさい」

 何が何だかさっぱりではあったけれど、恐ろしくて、電車の手摺りを握って下を向いた。絶対に駄目だとナーシャが言っているのだから、本当に絶対に駄目なのに決まっている。

「部屋に戻るほどの余裕はない。強引な移動ばかりになってしまうと思うわ。でもあなたが危険になるようなことは、私、しないから」

 ドアが閉まり、電車がまた走り出す。電車に揺られている間にできることはないのだから、この時間だけでも旅行だと思って楽しもう。改めてそう思い直すのに、そう思おうそう思おうと思うほど不安ばかりが湧いてくる。

「学校に行くわ。あなたが学生ということもあって受け入れやすいのか、学園ものというのはすんなりと入っていけるようなの。次の行き先は、どんなにストーリーを逸らされたとしても死屍を食う男のようにはならないはずだから、そこのところは安心してくれて大丈夫よ。邪魔をされなければだけどね」

 死屍を食う男。それは俺が連れて行かれた小説のタイトルなのだろうか。タイトルからしてそんな怖いものだったのか。どれと言われなくても思い当たる、あれよりはましと言われても、恐怖心がなくなるはずがなかった。安心してくれて大丈夫というナーシャの言葉を疑いたくはないし、ナーシャに俺の心が読めているとなったら、あんまり不安がっているとナーシャのことも不安にさせてしまう。


 この考えだって繰り返しだ。全部が聞こえているナーシャはどう思っているんだろう。俺のこういう疑問もナーシャに聞こえてしまっているとなったら、どういう気持ちでナーシャはこちらを見ているのだろう。

「答えてほしい?」

 一言も言葉を発していないのに、俺の心の声とナーシャが会話をし出すのなんていつものことだ。それなのに、初めてのように俺は驚いてしまった。怖くて怖くて堪らないから疑問がたくさん出て来るけど、その質問に答えてほしいかというと、それは俺もよくわからなかった。

 ナーシャと温泉旅行に行ったとき、あのときには聞けなかったことも今なら聞けるかもしれない。本当に、今度こそ、今この電車で聞かなかったらチャンスはなくなってしまう。今改めて、そうして物語はクライマックスになる。と思うんだけど、こうやって時間を稼いでみたところで、あのときに何を聞こうとしていたかが全然思い出せない。なんだっけ。ナーシャにはぐらかされて、答えたくないなら答えさせたくないって思った覚えがある。でも何を聞こうとしていたのかが全っ然、思い出せない。


「描かれるのは汽車の外、窓枠の中に流れる自然。あの日と同じ。今日もまた二人は隣に座るのに、今日はなぜだか隣にいる君の顔を見ることができない。喉の奥に引っかかっていた質問は、今となっては吐き出すだけでも苦しくて、関係を壊しかねないそれは切り裂くような激痛でも足りない痛みだった。それでも僕は汽車の外などは無視して、同じ景色と言い聞かせて、覚悟を決めて目を逸らす」

 何かの朗読だろうか。次の物語のヒントかもしれないし、なんなら答えかもしれない。脳内に図書館があるようなロボットでもなければ、適当な小説の適当な部分を言われたところで、その作品を当てることなんてできないだろう。もちろん、俺にはわからない。自分で書いた名作の一部分だったとしても、最高に重要なシーンとかじゃなければわからないと思う。

「ごめんなさい。これは、そういうわけではないの。ただの思い付きのどうしようもないポエム。恥ずかしくなってきたから忘れて」

「え、ナーシャのポエムってこと?」

「そうだって言ってるでしょ。ちょっとくらい、自分でも何か作れたり思い付いたりなんかしないかなとか思って、それでそこまで考えず口に出しちゃってたってわけ。だからほんと、ほんとに忘れて、今になって恥ずかしくて仕方ないから」

 恥ずかしがっているナーシャは信じられないくらい可愛い。いつだってナーシャは可愛いけれど、この可愛さと言ったらない。俺からしたら何か世に出ていないすごい人の作品かなと思うくらいナーシャの詩はすごいと思ったけど、俺に散々文句を言っているわりにナーシャも自分で作るのは苦手らしい。


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