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吾輩は蜘蛛の糸失格料理店  作者: ひなた
月かげ 豊島与志雄
18/41

月かげ 1


 汽車から降りると、高層ビルがあるわけではないけど都会風のオシャレな街だった。昨日の場所がどこだったか覚えていないけど、東北とかみたいに田舎の方だと寒いようなイメージはある。それにしたってこんなに違うのか、ここはもうすっかり春が来ているようだった。雪なんてないどころか、木々には葉っぱがあって風もとても温かい。ちょうど気持ちいいくらいの暖かさだ。

「表現力を引き出すためには、過激な経験をさせてあげないと駄目よね。そうは思うのだけれど、過保護になってしまっていけないわ。ちょっと計画を立て直してくるから、そこのカフェで待っていてちょうだい」

 ナーシャが指差していたのは雰囲気のいいカフェだった。古典もナーシャと一緒だからそこまできつくなかったし、水は不気味で幽霊が出る旅館だと思うと怖いところもあるけど、あの旅館自体はとってもいいところだった。ナーシャとの最高に楽しい旅行が終わって、ナーシャは覚悟していなさいとかいう怖いことを言っていたけど、こうしてオシャレなカフェに連れてきてくれて、なんだかんだナーシャが俺のことが大好きなのだとわかる。

 一人でカフェの端の席に座りながら、ついにやにやしてしまっていた。計画を立て直してくるとナーシャは言っていたが、次はどんな旅行に連れて行ってくれるのかな。俺が思い描いていた主人公とナーシャの旅とは違うけど、本当に俺が巡るんだったらこんな楽しい旅がいい。


 帰りたくないな。状況はわからないし、家族や学校がどうなっているのかもわからない。覚えはないが、もしかしたらトラックに轢かれたのかもしれない、なんて。学校にナーシャが現れて俺を不思議な世界へと連れて来たわけだが、リア充たちは死んだのだろうか。わからないことばかりだけれど、ナーシャとずっと一緒にいられる夢の旅、帰りたいと思えるはずがなかった。

 できればもう深谷さんみたいな人と一緒になるのは嫌だ。というか、俺が俺としてナーシャと旅行する楽園ではなく、俺を他の人間にするようなことはやめてほしい。考えてみたらそれだけでゾッとする。それに途中からナーシャと一緒にいられなくなったのも辛かった。どんなに怖い世界でもナーシャがいてくれさえすればどうにかできるような気がする。だけど、一人はあまりに心細い。

 もしかして、こんな素敵な場所も、何か怖いところに変わるのだろうか。わざわざナーシャはこのカフェに行くように言ったのだから、また俺のことを怖がらせようとしているのかもしれない。安心させきって、俺を一人にしてナーシャはどこかに行ってしまった。それはそういう企みなのかもしれない。


 他の客を見ていても、楽しそうに話しているばかりで怪しい人は見当たらない。店員さんも笑顔の明るい女性たちで、何も恐れるところなんてなさそうだ。普段ならカフェに来ているリア充たちなんか死ねとしか思わないけれど、このカフェにいる人たちのことは見ている分にも楽しかった。カップルとかも吐き気がしない感じの、なんといったらいいのか、馬鹿っぽくない、上品な感じのオシャレなカフェだ。

 待っていてもナーシャは全然戻ってくる気配がない。ここに着いたのが何時だったのか俺は知らないけれど、穏やかな風を感じながら人間観察をしているうちにすっかり夜になってしまっていた。でも人間観察って何が楽しいのかさっぱりわからなかったのに、こういう場所でなら楽しめるものなんだな。

「まあ、嫌ね。何していらっしゃるの」

 店員さんの声で、うとうとしてしまっていたことに気付く。絶世の美女とかそういうわけではないけれど、笑顔の可愛い女の人だった。砂糖たっぷりのカフェオレを一口飲んで、すっかり夜になってしまっていた景色を見渡す。ナーシャはまだ来ていないようである。

 大きく欠伸をして、さっきまでいた人たちがもうみんな帰ってしまっていることに気付く。時間はわからないけれど、これだけ夜なんだから当然だ。もう俺一人になってしまっていて、何時間も居座ってすっかり迷惑をかけてしまっていることだろう。あえて店員さんが起こしてきたということは、もしかしたらもう閉店の時間なのかもしれない。

 まだナーシャは来ていないようだけれどどうしたら、そう不安になって周りを見ていたところで、俺の他にももう一人客がいるのを見つけた。大学生くらいの男性が隅っこにいた。まだ客がいるということは、とりあえずまだ閉店というわけではないらしい。一安心だ。


 え? いるよね。あの人が実は幽霊で、俺にしか見えていなくて、やっぱり俺一人だっていうことではないよね。それだったら店に迷惑をかけることにもなるし、不気味すぎる。ナーシャがいないっていうのはやはりそういうことなのかもしれない。俺をまた怖がらせようとしているに違いない。

 考えてみたら、あの人のことをどこかで見たことがあるような気がしないでもない。そんなはずはないのだけれど、変な感じがする。ロン毛のイケメンなんだけど、どこかが変、どことは言いがたいわからないんだけどどこかが変。他に人もいないし店員さんたちはもう仕事も忙しくないからか集まってこそこそとお喋りしているようである。他に人もいないものだから気になってイケメンのことを見ていたら、なんだかにやにやと笑っているようである。

 俺がジッと見てしまっていることを知ってか知らずか、彼は一人で笑っている。一人でにやにやしているのも彼も、それをずっと見ている俺も完全に不審者だろう。完全な不審者、そうは思うのだけれど、空を見上げて笑う彼の横顔はとても綺麗だった。イケメンはイケメンでも中性的なイケメンで、腹立つというよりは美人だと思ってしまうような姿だった。それがまた不気味さを思い出させて、彼は幽霊なんじゃないかという疑いがまた浮かんでくる。


 ぼんやりと、なんだか吸い寄せられるように彼のことを見て、いつしか俺もちょっと笑ってしまっていた。そんな俺のところに店員さんが来たものだから、何か注文があるわけでもないし、困ってしまって真正面から彼女に笑いかけた。彼女も愛想笑いを返してくれたが、すぐに厳しい顔になって俺を見る。

「何だか変でしょう」

「……何がですか」

 いかにも深刻な事態というような店員さんの声に、緊張しながらも俺は首を傾げる。尋ねると、彼女は彼に見えないように青年のことを指差した。

「どうかしたんですか?」

「ええ。……そして、あんなに一人でにやにやしてて、どうもおかしいのよ」

「そんなことですか。よくにこにこしている人はたくさんいるじゃありませんか」

 彼のことをなんで俺が庇ったのかはわからないけれど、それくらいのことで店員さんが他の客である俺に悪口、陰口のようなことを言うのは店員さんとしては違うと思ったから、つい言ってしまっていた。一人でにやにやしているのが不審者っていうのはその通りだと思うんだけど。もしかしたら、店員さんたちが集まって何かを話していたのは彼のことを言っていたのだろうか。

「いいえ、ほんとに変なんですよ。さっきね、一人で酒を飲んでるうちに、ふいに大きい声で泣き出してしまったのよ。他にも七八人お客さんがいたのに、その人前も構わずに、随分長い間泣いてたのよ。はたから何と言っても、まるで聾のように返辞一つしないで、ただしくしく泣いてるんでしょう。弱っちゃったわ。それから、こんどはあんなに、にやにや独り笑いをし出して、その笑い方がまた変なんでしょう。気がどうかしたんじゃないでしょうか」

「この店の客なんでしょう?」

「ええ、何度かいらしたわ。それに今から考えると、いつもにやにやしてて、何だか普通と違ってたようなんですよ。困るわ、気味が悪くて……」

 店員さんがこんなことを言うと思うと怖くて仕方がない。彼女はすたすたと歩いて行ってしまって、また他の店員さんと会話しているようである。そっちで悪口を言っているのだろうか。そうなると彼のことが気の毒だったし、俺の悪口も言っているのかもしれないと思って嫌な気分だった。青年のことを見ていると、友人のように彼は笑顔を向けてくれて、どうしたものかと俺も笑顔を返すしかなかった。それから少しして、どうにも見合ってしまって気まずくなっていたところで、ぽーんとどこかから音が聞こえて来た。かかっていた時計の音らしい。時間を見れば針は一を指している、俺が考えていた以上に深夜だ。

 気まずい時間を抜け出すタイミングを見失っていたから、時計の方を向いたのは助かったと言えるかもしれない。さて、それにしてもナーシャが来ない。ナーシャが来てくれないとなったら、俺としては店員さんと話すかカフェオレを飲むか彼のことを見ているかしかやることがないのだけれど。待ちくたびれていたのだけれど、そこで彼が立ち上がって、よろよろと俺の方へと歩いてきた。

「暫くでした」

「暫くでした」

 よくわからない挨拶だったが、機械的にそのまま繰り返すように返事をした。

「その後いかがです」

「え?」

「球は……」

 何を言われているのか俺にはさっぱりわからなかった。

「これから二三ゲームやりに行きましょうか」

 ゲームに誘われた? ゲーム、ゲームってなんだ。ゲーセンとかに行くってことか? 変な空気にはなっていたけど、初対面でゲーセンに誘うか? ごりごりに運動をするような人には見えないし、ゲームとかやりそうなタイプに見えはする。でも誘われるとは思わなかった。着いて行ったらいけないよな。ナーシャにはここにいろって言われているわけだし、なんと言っても怖い。

「でも、もう一時ですからね」

 どう断ったらいいかわからなくて、こんな時間にカフェにいる時点で同じかもしれないけれど、時間を理由にするくらいしかできなかった。でもそもそも深夜一時となったらゲーセンは立ち入り禁止とかじゃないだろうか。ゲーセンは他に居場所がなさそうな暗い人間が行くような場所だから、俺とはあんまり縁がない場所ではあるけど、それでも誘われたら行くしそれにしても困った。どういうのが正解なのか。

「そうですね」

 なんでもないように彼は答えて、さっきまで座っていた自分の席から飲み物を持ってきた。


 にこにこと黙って彼は酒を飲み始める。俺はカフェオレがなくなってしまって、また新しいものを注文しようかというところで、彼は不意に唄を歌おうと言い出した。

 カフェで歌い出すのはどうかしていると思ったのだけれど、歌おうというのを止めるというのも難しい。というよりも、怖いんだよ。とりあえず幽霊じゃないというのはわかった。わかったにしても、怖い。幽霊じゃない方がむしろ不審者というか、知らない人がこうして同席するのは怖すぎる。どういうつもりなのかと怯えていたところで、本当に彼は歌い出した。聞いたことのない変わった歌ではあったが、びっくりするくらいにいい声だった。いきなり歌い出したからか、それともその声があまりに綺麗だったからか、四人の店員さんも机の近くに並んでいた。

「君たち四人でジャンケンをしてごらん」

 歌い終わってまたにこにことしていた彼が、いきなり真面目な顔でそんなことを言い出した。本当に意味がわからない。本当にさっきから何がしたいのかわからない。

「そしてどうするの」

「勝った者に歌を歌わせようと言うのよ、きっと」

「嫌なことだわ」

「いや、なんでもないんだから」

 店員さんたちが不安で話し合っていたところに落ち着いた様子で彼は言う。

「とにかくジャンケンをしてごらん」

「なんでもないんなら、したってしなくたって同じじゃありませんか」

「だからしてごらんよ。頼むから……一度だけでいい」

 どうして彼がそこまでジャンケンをさせたいのかわからないが、店員さんたちとしてもそこまでジャンケンを拒む理由はないということなのだろう。彼女たちはくすくす笑いながらジャンケンをした。乗り気じゃないからか三人が手を握ったままグーを出したところで、一人だけがパーを出していた。

「あら」

 勝ってしまったら何をされるものかということだろう。なんでもないんだからとは言われても不安なのだろう。彼女はしまったという様子で青年のことを見ていた。


「今度は私とあなたとしましょう」

 彼女は不安そうにしていたが、そんな彼女のことを見もせずに、彼は今度は俺にそんなことを言ってきた。ナーシャも来なくて暇なところだからジャンケンをするのはいいんだけど、彼があまりにも真剣にこちらを見ているからその迫力に気圧されてしまう。俺も同じように真剣バトルだと思いはしたけど、やっぱりジャンケンにそこまで真剣になれななかった。

 圧倒されてしまったせいか力が入りすぎてしまったというわけか、手を振り上げたときにはもうパーにしていて、そのままパーを出してしまった。これだけ真剣になっている彼がそれを見逃すわけもなく、当然チョキを出していて、俺は負けてしまった。何も懸けていないただのこのジャンケンで負けたからと言って何というわけでもない。運のせいじゃなく自分が負けたようなのが、少し悔しかっただけだ。

「駄目よ、今のは八百長だから」

 店員さんの一人がそんなことを言った。どういう意味だかはわからなかったけれど、なんだか俺を庇って勝負をなしにしてくれようとしているみたいで、そうなると俺としては悔しさが増す。こんなジャンケンの勝敗はどうでもいい。悔しがるようなことじゃない。それに、この感じ、この店員さんは俺のことが好きなのだろう。俺にはナーシャという大切な人がいるけれど、俺のことを好きでいてくれている女の人の前だから、この悔しさは少しでもいいところを見せたいというような気持ちなのかもしれない。

「駄目だって言われていますし、じゃあもう一回やり直してみませんか」

「やりましょう」

 快く彼は受け入れてくれた。最初にゲーセンに誘ってきたのもそうだけど、ジャンケンっていうシンプルなゲームにしたって、彼は普通のゲームが好きな人なのかもしれない。ゲームというものが好きなだけで、それで俺に話しかけていたんだとしたら、あまり疑ってしまって悪いことをしただろうか。しかし彼が怖いという気持ちがなくなったわけではない。


 ジャンケンをし直した。また負けた。それが悔しくてもう一度挑んだ。今度は勝った。そうなるとどっちが勝ちかわからなくなって、何度も何度もやり直した。何回勝負とか何点先取とか決めていないものだから、終わりは見えない。当然、勝ったり負けたりした。深夜の妙なテンションのせいか、なんだかはっきり勝負をつけないと終われなかった。つまり終わりは見えないのだ。

「もうお止しなさいよ、馬鹿馬鹿しい」

 俺も彼もハイテンションになっていたところで、一番年上そうな店員さんがそう俺たちを止めようとしてくる。それに従って止めるというのはなんだか嫌な気がした。

「一体何のためのジャンケンなの」

 そう言われてしまうと返事に困って、黙って彼の方を見ると、彼も黙って俺の顔を見返してきた。沈黙が続く。

「え、だって先にジャンケンをしようって言ったわけじゃありませんか」

「ええ」

 なんでもない顔で彼は答える。

「実はちょっと占ってみたんです」

「占い? なんのです?」

 ジャンケンで占いというのはよくわからなかったが、彼は占いとかそういうのが好きそうな顔だったし、完全に納得した。どんな占いなのか興味があって質問してみたんだけど、彼から返ってきた答えは予想外だった。

「この人たちの中で、ひょっとしたことから、私と結婚でもするようになる人があるとしたら、どの人がそれかと思って、ジャンケンで占ってみたいんですよ」

 にこにことしながら答えてくれたわけだが、意味がわからない。もっとなんか怪しいような世間離れしているような、特殊なことを言い出すと思っていたのだが、意外にも恋愛ネタとは。それにジャンケンで結婚相手を占うなんて、ましてこの中にだなんて占いでもなんでもないような気さえする。

 いくら彼がイケメンだからって、こんな頭のおかしいプロポーズが通用するわけがない。というか、ここの店員さんたちには変な人として陰口を叩かれていたくらいだし、この中に結婚相手を見つけようとするのはいくらなんでもだ。冗談でも言っているのではないかと彼を見るけれど、にこにことしているだけでわからない。どう返したらいいかわからないでいたところで、彼は独りでにべらべらと話し出した。

「世の中には、運命とか天の配剤とか、そういったものが確かにありますよ。私はそれが始終気にかかって、何かで占ってみなければいられないんです。例えば、友人を訪問するときなんか、向こうから来る電車の番号をみて、奇数だったら家にいるとか、偶数だったらいないとか、そういう占いをしてみますが、それが不思議によくあたるんです。球を撞いてるときだってそうです。初棒に取る数が偶数か奇数かで、そのゲームの勝負がわかるんです。朝起きて時計の針を見ると、その針のある場所で、一日の運勢がわかるんです。そんな風にいつでも、何をするにも、前もって何かで占わずにはいられないんです。電車の番号、電信柱の数、どこそこまでの足数、時計の針、出っくわす男女の別、何でだって占えるんです」

「本当に当たるんですか」

「奇体に当たりますよ」

 占いなんてものを信じているわけではないけれど、こんなよくわからない場所にいる、こんなよくわからない人なのだ。もしかしたらこの人の占いは本当に力を持っているのではないかと思って、俺は占いの依頼をしようなんて考えてしまっていた。占いの道具なんてものがなくてもこの人の占いはできるようだから、それだったら今ここでお願いしてもできるというわけじゃないか。これだけよくわからないことに協力していて、まさか金を取るなんてこともないだろう。いや、最初からそれが目的だったというようなこともあるか。悪徳商売のような、怪しいのは怪しいんだよな。怖いし。

「占いは最初の一番だけだから、結婚することになるのは光ちゃんね」

「あら嫌だ、そんなこと」

 揶揄われた彼女は怒ったようにくるりとそっぽを向いてしまったが、吹き出してしまった。彼女が笑い出して、それでみんなも笑い出した。青年もただにやにやと笑っている。


 笑いが落ち着いて、静かになったときに、不思議なことが起こった。閉め切ったこの広い部屋の窓の一つががたんと開いて、冷たい空気がすーっと流れ込んできた。ここに集まっている以外に人はいないはずだ。ナーシャが来たのかもしれないとも思ったが、窓を開ける意味がわからないからそういうわけでもないのだろう。

「実は、今日は私が心中をしそこなった日なんです。ちょうど二月前の今日なんです。女は死んでしまいましたが、私だけ汽車に跳ね飛ばされて、不思議に助かったんです。それから少し頭が変になりましてね、月の同じ日になると、無性に悲しくなったり嬉しくなったりして、自分でもわけがわからないんです。何だかがーんとして、しいーんとなって、それきり気が遠くなったときのことが、いつまでも頭の底に残ってるんですから、時々どうも……実際変ですよ」

 彼は今にも泣き出しそうな顔になって、窓から流れ込んでくる冷たい風を浴びているようだった。暫くは窓を見ていた。それから両手で頭を抱えて、机に突っ伏してしまった。泣いているのか酔っ払って寝てしまったのか、何にしても、仕方がないので俺は窓を閉めに行った。勝手に開いたわけだから怖い気持ちはあったけれど、そんなところが開けっ放しになっている方が俺としては怖かった。

 怖がりな方ではないと思っていたのに、ナーシャが変なことばかりするものだからすっかり怖がりになってしまっている。幽霊なんて存在しないと思っていたら幽霊なんて怖いわけはないけど、だってこんな不思議なことがたくさん起こっているのに、幽霊なんてありえないからとじっとしていられるはずがない。それに、今回はナーシャがいないんだから、本当に不審者かもしれないじゃん。たぶん本当に危ないようなところにナーシャは連れて来ないと思うけど、それでも何をされるかわかったものじゃない。

「もう朝か」

 窓を閉めようとしてふと窓の外を見ると、空に浮かぶ雲に明るい光が射していた。もうすぐ朝焼けが見られるだろうというような空の様子に、思わず口にしてしまっていた。俺ももう朝だということには驚いたし、みんなもびっくりしたのか立ち上がって外を眺めた。

「だって、まだ二時半じゃありませんか」

 時計を見ると、本当にまだ二時半だった。感覚としてはそれくらいだろうというところなのだけれど、それだったら外の方は不思議なものである。実際に日が昇る時間に外を見ていたことはないにしても、この空は夜明けの色だと思った。

「それじゃ、月が出るのかもしれないわ」

 満月にしても明るい月だと俺も月を見に行きたくなったところだが、彼がいきなり大きな声を出すものだからそれどころじゃなくなった。お札を放り出してあれだけ話してたのに挨拶もせずに彼は外へと駆け出して行った。驚いて彼の後を追って外に出たが、彼の姿はもうどこにも見えなかった。


「遅くなってしまってごめんなさい」

 彼が消えてしまったように感じられて、それでもなぜか最初に彼を見たときのような恐怖感はなくて、爽やかな夜の空気を大きく吸って深呼吸した。そこに現れたのはナーシャであった。

「それじゃ、行きましょう」

 店の外に追って来た店員さんに金を渡して、すたすたとナーシャは歩き出してしまった。こんな深夜に外を歩くことはないからか気持ちがよくて、ナーシャが隣にいてくれるからというのもあるけれど、最高に夢気分だった。次にナーシャが何をしてくるつもりなのかわからない。それは怖い。ナーシャがいてくれなかった今日の時間も怖かった。

「ナーシャ、ここはただの休憩? それとも、今回もまた幽霊がどうのというのがあったの?」

「さあ、どうかしら。幽霊がどうのという話は聞いていないわよ。というか、そんなに幽霊が怖くなっちゃった? 悪いことをしちゃったわね」

 にっこりと笑って髪を靡かせて、どこを目指しているのかナーシャは歩く。計画を立て直してくると言っていたのはどういうわけだったのだろうか。何時間もかけて彼女は何をしていたのだろうか。それに対しても恐怖心はあるんだけど、今は月が綺麗だからそれでいい。


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