眉かくしの霊 2
「あ、あの人か」
旅館に着くと、なるほど後ろ姿だけでもナーシャが言っている人物だとわかるような美女がいた。その女性が部屋まで案内してくれるスタッフなわけでもなければ、部屋にいるときにだれかが来てくれるようなわけでもない。当然と言えば当然なのだけれど、ナーシャが可愛い女の子がいるっていうからそういう、そういうところなのかと思うじゃん。日本風の建物だから、舞妓さんとかが出てきてくれるような高級な旅館なのかと思うじゃん。でもそれだけではなくて、普通の旅館としてもサービスが悪い。
「寒くない?」
「そうね。こんなに大きな火鉢なのに、火がついていないのでは意味がないわね」
「お腹空いたよね」
「本当にね。夕食、朝食ありの旅館なのでしょうけれど、この渋茶を一杯だけかしら」
これだけ立派な部屋なんだから高級旅館だと思うのに、サービスがひどすぎてネットでの評価とか★1になってそう。というか、普段そういうのやらないけど、ここまでとなると俺だってクレーム書き込みたくなる。
「何か温かいスープでももらえますかね?」
「板前で火を引いてしまいました、なんにも出来ません」
女将さんというのだろうか。スタッフらしい女性が部屋に来てくれたので注文したのだけれど、なんとも素っ気ない返事をされてしまった。随分と外は静かになっているけれど、時計を見ればまだ十一時前のようだ。寝るような時間ではないが、電波も入らないからゲームも出来ないし、とにかく寒さと空腹をどうにかしたい。
「買って来てくれたりしないんですか?」
「もう遅うござりますで、飲食店は寝ましたでな」
「じゃあ今日の夕飯は」
「それが間に合いませんので……」
思わず声を荒げてしまいそうになった。近所のコンビニでよくおっさんが店員さんに絡んでるの見ると、絶対ああはなりたくないから怒鳴らないようにするけど、でもこれはさすがに旅館のスタッフさんの対応に問題があると思う。おっさんだったら本当に怒鳴っているところだ。
怒りたいのはこっちだというのに女性はなんとも苛々しているようである。しかしここまでの態度の悪さとなると、腹立たしさを通り越して奇妙まであるな。せっかくナーシャが連れて来てくれた場所だから楽しみたいし、こういう店でこういう人なんだと諦めるしかないのかな。喧嘩したいわけじゃないんだから。
「蕎麦か饂飩かでもお願い出来ないかしら」
「饂飩なら聞いてみましょう」
いかにも不機嫌な顔をして女性は出て行く。ただ、饂飩は用意してくれるということでまだ空腹はなんとかなりそうだ。
「ナーシャはこういう宿だってわかっていたの? それとも偶然こんな宿だったということ?」
「さあ、どうかしらね」
「なんでちっとも教えてくれないの。何を聞いても答えてくれないで!」
「どうしてなんでもかんでも教えてもらえると思うの? 少しは自分で考えられないの? 少しくらい自分で考える気はないの?」
自分で考えてわかるようなことなら俺だって考えているというのに、ナーシャはどうしてこういうことばかり言うのか。本当に、美少女じゃなかったら不満の一つでも言ってやるところだ。
「だって俺、何も教えてもらってないんだよ? それなのにこんな状況だぜ? 状況を呑み込めている方だと思う」
「へくしゅん」
ちょっと強く出たところでナーシャはくしゃみなんてするものだからずるい。可愛いロリがくしゃみをしているのに会話を続けられるほど俺はクズじゃない。
「そんな恰好じゃやっぱり寒いよね。俺も制服の上着でも持っていればよかったんだろうけど、ちょうど夏服で……ごめん。寒いよね、寒いね、暖房壊れてんのかな」
「暖房が壊れてるとか、そういう問題じゃないと思うわよ。何にしても寒いわね。寒い部屋とは聞いていたけれど、ここまで寒いとは思っていなかったわ」
「ナーシャ部屋が寒いって知ってたの? じゃあもっと着込んできたらいいじゃん!」
こんなに可愛い子に絶対に言っちゃいけないし俺はそんなこと言えないはずだけど、思わず口から言葉が飛び出してしまっていた。長袖ではあるけれどかなり薄手のシャツにワンピース、可愛くて仕方がない服装だけれどナーシャなら厚着をしていても可愛いに決まっているし、予めわかっていたのならいくらでも着替えてくることが出来たんじゃないだろうか。序でに俺にも教えておいてほしかった。
「そうね、それは私も後悔しているわ。だって本当にここまで寒いなんて考えなかったんだもん」
ただでさえ見た目と声が幼いのだから、だもんなんて言うのはズルいんだもん可愛いんだもんどうしようもないんだもん。
「寒いというのは文字の情報で知っていたってこと? だとしたら、その文章を書いた人は才能がなかったね。その寒さがナーシャにはちっとも伝わってないんだからさ」
可愛らしい笑い声をあげてナーシャは俺のことを見た。何がそんなに面白かったのかさっぱりわからないけれど、とにかくナーシャが楽しそうでいてくれてよかった。わざとじゃないとはいえ強く言ってしまったから、傷付けてしまっていたり落ち込んでしまったり凹んでしまったりというようなことになってしまっていたら辛い。だからとりあえず笑ってくれたことはよかった。
「そうねそうね、文章を書いた人の才能がなかったのかもしれないわ。あははっ、ははっ、面白いこと言うのね、本当に。読者に正確に度合いを伝えられていないのだもの、そうよね才能がないわよね」
ナーシャが大爆笑しているのがおかしくて俺も寒さのせいもあるのか笑えて来た。なんで笑ってるのかはよくわからないけど二人して爆笑していたところで、丼が一杯置いてあることに気付いた。何も声もかけずにいつの間にかやってきて、いつの間にか置いて行ったということなのか。その上どう見ても二人いるのに一人前だけ持ってきたのか。
「きちんと二人分頼まなかった私が悪かったわね」
せめて箸くらいは二本持ってきてくれてもよかっただろうに、これじゃあナーシャと間接キスになってしまう。なんて気の利かないことをしてくれているんだ、どぅふふふ。
「ほら二本はあるわよ、箸を一本だけ渡して来たらさすがにクレームものだわ。箸なんだから膳でしょ?」
「屁理屈じゃん」
「どこがよ。私のはただの訂正」
「伝わるんだからいいだろ」
「ええそうね、言葉というのは伝わるのなら十分よ。だから会話なら文句は言わないわ。でもあなた、文章でもそうするでしょ? 言いやすいように言ったのではなくて知識がなかったでしょ?」
どこがそんなに気に障ったのか、さっきまで笑っていたナーシャがかなり厳しく言ってくる。
「あ、あと、どぅふふふって何」
追い討ちをかけるようにナーシャは付け足して更に俺を責めてくる。ちょっと心がにやけただけなのに、わざわざ言葉で詰めてくることないじゃないか。下心を持っていたとしても全部ナーシャにはわかってしまうんだと思ったら、そんな辛いことがあるだろうか。目の前にこんなに可愛い子がいるのに、頭の中の自由も保たれないなんてなんと残酷な。
「心がにやけるってどういう意味よ。……そういう表現は別に嫌いじゃないけどね。だからね、どういうつもりでどぅふふふと笑ったかによっては屁理屈発言も許してあげる」
「口から漏れたんじゃなくて思わず心で漏れたものを説明させるって、そんな恥ずかしいことある?」
「国語的な読解力を付けてもらいたいだけよ。あなたは文章から他人の気持ちを察する段階には至っていないから、自分で言い表したものがどういう意図で発せられているのかを説明してもらおうと思ったの。恥ずかしいとはいってもあなたが書いている小説ほどではないから、堂々としてもらって構わないわよ」
とんでもなく悪口を言われたような気がするのだけれど、それはもう今更だからこの際どうでもいい。それよりも気になったのは、ナーシャが屁理屈という発言に引っかかっているというところだ。そして何よりも気になったのは、ナーシャが引っかかったのがどぅふふふだというところだ。小説で言ったら台詞じゃないところに入るようなものだし、その中でも間接キッスじゃなくてノリの笑いの方を気にするなんて。
それは反対に言わせてもらったら間接キッスはOKっていうことだよね。どぅふふ笑いで気が利かないでいてくれてありがとうという下心だったつもりなんだけど、それならあえて下心っぽくする必要もなかったわけじゃん。……これもナーシャに聞かれているの本当に辛いな。
「台詞じゃないところ、地の文って言い方もあるから覚えておいてね。それにしても、うん、小学五年生までなら丸をあげちゃうレベルだわ。あなたなら余裕で合格。じゃあ食事としましょうか」
笑顔でナーシャが合格を出してくれて、大逆転大勝利だ。麺で汁が見えなくなっている。ぱさぱさで美味しくない饂飩だけど、ナーシャに褒められた後に食べるから美味しかった。
ナーシャは「私はいいのよ」と俺を見るばかりだけれど、お腹は空いていないのだろうか。女の子だからダイエットとかしているのだろうか。全てにおいて理想的な外見を持っているナーシャでも太るとかあるのだろうか。
「ちょっと荷が重いから止めてもらえる? 実際、今の私は太るのを気にしていて食べないわけではないけれど、たぶん太るようなことをしたら太るんじゃないかしらね。そういうのじゃなくて、本当に私はあなたに食べてもらいたいから、それだけよ。楽しい旅行をお届けするはずだったのが、こんなことになってしまっているのは私のミスなのだし」
「そんなの気にしないから、お腹が空いているのなら」
「ありがと。それじゃあ、あなたがお腹いっぱいになったら残りをもらうわ」
口が悪くて俺が想像していた甘えん坊の妹キャラではなかったナーシャだけれど、こういう優しいところだけ思い描いていたナーシャなの本当によく出来ている。
「よく出来ているって何よ」
一瞬で俺の思考にツッコミを入れてくるところはよろしくない。
「今日はもう寝ましょうか」
空腹の力だけで饂飩を食べきると、ナーシャは普通にそんなことを言う。寝る、寝るって、どういう意味だよ。俺はナーシャのことは大好きだけど、でもだからってそんな。
「何を想像しているのよロリコン童貞。ほら、さっさと寝るわよ。明日こそ、素敵な温泉旅行にしてあげるわ」
ツンデレなナーシャは近くで寝てくれようとはしないけど、俺を喜ばせてくれようという気持ちは伝わってくる。それだけで嬉しいから、こんな部屋でも俺は我慢して眠れた。




