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吾輩は蜘蛛の糸失格料理店  作者: ひなた
眉かくしの霊 泉鏡花
11/41

眉かくしの霊 1


「そういえば、今日はいつなんだ?」

「今はいつでもないわ。この部屋が移動しているのだもの」

「は?」

「決して扉を開けては駄目よ。時空の狭間に落ちてしまうから」

「何を言っているんだ」

「なんとなくで察しなさいよ。大丈夫、この旅が終わる頃には、あなたを立派な文豪にしてあげるから」


 俺の部屋が時空を超えていて、扉の向こうは時空の狭間。それなら俺の家はどこに行ってしまったのだろう。面倒でウザいじじいとばばあだけど、両親ともう会えないのだろうかと思うと不安にはなった。

「いきなりにしては試練が重かったわよね。怖かったでしょ? 疲れているでしょうから、一緒に温泉にでも行きましょうか」

 ナーシャの口から飛び出た温泉という言葉に心が弾んだけれど、それでも不安と恐怖は消えてはいなかった。理想の美少女が温泉旅行に誘ってくれている。こんな幸せなことはない。

「オシャレな場所だね」

「東京駅よ」

 帰りたいと言ったところでナーシャは元には戻してくれないのだろう。自分の部屋にいたはずなのにどこか知らない建物の中に立っていた。

「東京駅?」

 俺の記憶の中の東京駅に言われてみれば重ならないでもなかった。温泉といったら山の方にあるイメージはあるのだけれど、東京にある温泉なのだろうか。

「温泉までは距離があるのだけれど、それでは嫌かしら?」

 行きたい場所に行けるのならわざわざとは思うが、首を傾げるナーシャがあまりにも可愛らしいものだから、嫌だなんて言えるはずがなかった。嫌なはずもなかった。隣に美少女がいるのだから、移動時間も含めてそれはもうデートだ。

「ナーシャは一体何者なの? どこからやってきたの?」

 こんな質問をするのにはもう遅いというのは自分でも感じているが、ゆっくりと話せる時間なんてなかったし、これからだってあるかはわからない。そうなると、このタイミングを逃す気にはなれなかった。移動時間を設けてくれたのは、ナーシャとしても話す時間を作ってくれたのではないだろうか。

「何者って、あなたが私を生み出したのでしょ? あまり冷たいことを言わないでよ」

 何の答えにもなっていないのだけれど、彼女が切ない声を出すものだから、俺はこれ以上は言えなくなってしまった。単純だってわかっている。こんなものはナーシャの演技なのかもしれない。それでも、本当にナーシャを悲しませてしまっていたらと思うと、やはり俺は口を閉じてしまうのである。

「新幹線に乗るのっ?」

 沈黙が流れるのが気まずくて、興味もないのにそんな問いが口から飛び出していた。

「汽車よ」

 小さくナーシャが答えた。

「少し時間はかかるけれど、あなたに楽しんでもらえるように私も努力するわ。汽車も中々に風情があるものよ」


 また真面目な話題を持ち出して、ナーシャに悲しい顔をさせてしまうのが怖かった。それでも俺は聞き出したいと思うほどには、俺は危機感を持っていなかったのだ。だから乗り込んだ汽車の中では深い話はしなかった。外に見える景色についてあれやこれやと話していることは楽しいし、ナーシャが聞かせてくれる本の話も面白い。

 一度乗り換えて、どうやら目的地に到着したらしい。

「いいえ、目的地ではないわよ。今日はここに泊まるというだけ」

 頭の中を秒速で訂正されてしまった。

「ここはどこ?」

「松本よ」

「どこそれ」

「長野県にあるんだけど、知らない? 有名だと思うんだけどね」

 ナーシャはなんでも知っているのか、迷いなく歩き進んでいく。同じレベルの知識を求められても困るというものだ。長野県だってどこにあるかはっきりとはわからないのに、その中にある一つの市町村を知っているはずがない。日本中の市町村を全部知っている人なんていないだろう。

「全部を知っていろとは言わないけれど、有名なところよと私は言っているの。まあいいけどね、無知なのはわかっていたことだもの。それよりも、きっと癒されるだろう可愛い女の子のいる旅館があるのよ。楽しみでしょ?」

 俺にとって一番可愛い女の子はナーシャなのだけれど、これもナーシャが俺を喜ばせようと思ってやってくれたことだと思うと嬉しかった。ナーシャが一緒にいてくれているのだから俺としては十分だ、十分なんだけど、可愛い女の子がいるってやっぱりシンプルに嬉しいものである。



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