38払う? いいえ、払えません!
「よお姉ちゃん」
と、奏に男はそう声をかけた。たっぷりと時間をかけて、奏は男を上目遣いに見つめる。肩は震え瞳は涙で潤んで、悲壮感が漂っている。
「な、なんでしょうか……?」
消え入りそうな声で、奏は尋ねた。
「何でしょうか? じゃねえよ。彼氏は慰謝料払えねえって言ってんだよ。それじゃ、彼女であるアンタに払ってもらうしかねえよな?」
男はずいっと奏に向かって顔を突き出す。
怯える奏の代わりに、俊介が相手をする。
「それ、どういう理屈ですか? 奏さんは何も関係ないんですけど?」
「肩代わりだよ、肩代わり。クズな親が借金したら子供が払わされるとか、そういうのあんだろ?」
「子供に親の借金を肩代わりする義務はありませんよ。借金は基本的に債権者と債務者間、そして保証人のみが関係してくる問題ですから。子どもが保証人になっていないのであれば、家族が支払い義務を負うことはありません」
「……う、うるせえな! ガキのくせに蘊蓄並べやがってよ!」
男はイライラしたように怒鳴った。
どうやら、難癖をつけて奏にちょっかいをかけようとしてるらしい。
立派に犯罪が成立するので、警察を呼ぶなど、対応策はいくらでもあるが……町中で騒ぎなど起こせば、こちらまで巻き添えを食らう可能性がある。
「俺が話してんのは兄ちゃんにじゃねえよ、この姉ちゃんにだよ」
「わ……私ですか!?」
急に話を振られ、びくっと肩を震わせながら、奏は答えた。
すると男はにやつきながら、
「アンタの彼氏によ。俺肩をぶつけられて、ケガしてんだよ。マジいってえし。どうしてくれんだよ?」
「す……すみませんです。謝りますです!」
「いや、謝るのは当然だろ。そんなんで許されたら警察はいらねえんだよ。だから、払うもん払えって言ってんだよ」
「全然元気じゃないですか……」
と、奏はボソッと呟いた。案の定、男は奏を睨みつけると、
「あん? 今なんか言ったか?」
「い、いいえ! 何も言ってないです!」
と、ツインテールの髪をヌンチャクのように振り回しながら、
「で、でも! そんな大金、私持ってないですよう!」
「うんうん。そうだよな♪ だからよ。姉ちゃんには体で払ってもらいてえのさ」
「ッ!?」
反応したのは俊介だ。
やはり金ではなく、最初から奏が目的だったのか。
「お姉ちゃん、マジで信じられねえくらい可愛いもんなぁ……」
野獣のような目で、男は奏を品定めする。
「なあ姉ちゃん。俺と今夜、付き合えよ。ふたりベッドの上で燃え上がろうぜ? 最高の気分になれるから」
「い……いや」
「もし断るってんなら、アンタの彼氏は俺の慰謝料払うために、臓器を売ってでも金作らなくちゃならなくなるかもな?」
「そ……そんな……」
「奏さん、大丈夫ですよ。お金なんて払う必要ありませんから」
すっかり怯えきってる奏に、俊介は優しく声をかけた。
こんなことで慰謝料を払わされるなら、世の中の男子は慰謝料まみれだ。
しかし、男のしつこさは想定外だ。
こうなったら騒ぎになるのは嫌だが、警察を呼んで逮捕してもらうしかないのか。
俊介がそう考えていた、その時だった。
「許して、頂けませんか?」
「!!」
俊介が考えを巡らせてる間に、奏は男の前に歩み寄っていた。
男は唇を歪めて笑う。
「だったら、俺と付き合えって。なあに、別に妊娠させようってんじゃねえんだ。ゴムもつけるし。1晩かぎりの関係よ。気楽だろ?」
「それは……できないです」
「だったら、セックスは無しにして俺とただ遊ぶ? 別に、それだけでもいいけど?」
「それも……お断りするです」
奏がおそるおそる答えると、男は肩をすくめて、
「意味わかんね。こんなダサい彼氏の方がいいの? 手繋ぐくらいしか出来なさそうな気弱男じゃん。こんなヤツと付き合ってて、アンタはそれで満足なわけ?」
「あなたに言われたくありませんよ……」
俊介は呆れたように呟いた。
町中で高校生に堂々と絡んでくるような、痛々しい男に向かって。
しかし、男は鬱陶しげな視線を俊介に投げつけると、
「うるせえな。俺が聞いてんのは、このカワイイ子ちゃんにだよ。それで? どうなのよ彼女?」
尋ねられた奏は、すぐには答えようとしなかった。
俯き、ぶつぶつと何かを呟いていた。
しばらくすると、意を決したように顔を上げて。
男を、キッと睨みつけると、こう言った。
「…………ちがいますっ」
「? 何がちがうって?」
「――私、この人とは恋人同士じゃありません!」




