42気づいてない? いいえ、気づいてました!
それは、今から10年前の出来事である。
「俊くん! おっきくなったら、私とけっこんして!」
「はい。いいですよ、レンちゃん!」
俊介が預けられていた孤児院には、同じような年頃の子供達が何人もいて、レンちゃんもその中の1人だった。
最初のうちは心を開くことはなかった俊介だったが、積極的に声を掛け続けるレンちゃんに根負けし、徐々にではあるが打ち解けるようになっていった。
1年も経つ頃には、2人は親友といっていい仲にまでなった。そして交わした結婚の誓い。といっても公的なものでもなんでもなく、子供同士のたわいない約束である。
この時の2人は固く決心していたのだ。いつの日か、互いに結ばれることを。
しかし現実はそう甘くはなく、俊介は里親、つまり井川家によって引き取られることが決まったのだ。別れの日、レンちゃんは「いつか絶対会いにいくから! そうしたら、ちゃんと付き合おうね!」と泣きながらすがってきた。俊介も勿論、「わかりました」とレンちゃんを強く抱きしめながら頷いた。
だが、別々の家庭に引き取られた孤児が再会できる可能性は、限りなく低い。
次第に俊介も、この時の約束を忘れ始めていた。
否――忘れるようにしていたのかもしれない。
井川家の長男として、優しい家族に触れ、新しい人生をスタートするつもりだった。
そのはずだった。
――私だよ。俊くんの幼なじみの『レンちゃん』だよ。
10年の月日を経て、約束のあの子と再会することになろうとは、思いもよらなかった。
「思い出してくれたみたいだね」
俊介の沈黙を思い出の回想と判断した、恋華がつぶやく。
「まあ、無理もないかな。外見も全然ちがうもん。あの頃は髪も今よりずっと短くて、男の子みたいだったから。でも、俊介君は全然変わってないんだもんね。すぐ分かっちゃった」
懐かしそうに目を細めながら、恋華は過去を振り返った。
その様子を、妹達は固唾を呑んで見守っている。誰も口を開くことはなく、ただ2人の会話を、耳を澄まして聞いていた。
「あの、恋華さ……「待って、俊介君」」
俊介が喋ろうとするのを、恋華は遮った。
その顔は妙に涼やかだった。怒っているわけでも悲しんでるわけでもなく、かといって無感情というわけでもない。あくまで昨日見たテレビの内容を友達と談笑するような、そんな自然体のように見えた。
「こんなことを言ったからといって、今さらどうにもならないんだよ。私と俊介君は偽装恋人。そして今をもって契約は解除。さっき言ったとおりだね」
しかしその自然体すらもが、俊介には演技に見えた。
「言いたいのは、その件に関してではありません」
俊介は首を横に振ると、
「僕はね。実は気づいていたんですよ。――あなたが『レンちゃん』であることに」
そう言うと恋華は意外そうな顔で俊介を見た。
「私のこと……気づいててくれたの?」
「はい」
俊介は頷くと、
「でも、言いませんでした。いえ、言えなかったんです。僕はあの時、井川家の人間として生きていくことを誓ったんです。その時、『高宮』であった自分と過去を捨てました。似てはいますが、あなたは『レンちゃんではない』そう思い込むことにしたんです」
恋華は黙ったまましばらく俊介の話を聞いていたが、
「そう……だったんだ」
ため息まじりに、そうつぶやいた。
「気づいててくれてたんだ。それならそうと早く……。そしたら、こっちもやりようが……」
そして、ボソボソと独り言を漏らした。
それは誰に聞かせるでもない、恋華の本心のようであった。
皮肉にも、その言葉は俊介には聞こえていなかったが。
「それは本心からのお言葉、なのでしょうか?」
和姫はハッキリとした口調で恋華を問いただした。
「何度も申し訳ありません。しかし、あなたのいう『偽装』は、わたくしにはフェイクに思えないのです。わたくしが料理対決を申し込んだ時も、あなたは一歩も引かなかった。それどころか、闘志を燃え滾らせてわたくしを倒そうとした。損得勘定で動くような人間には、到底できないことです」
厳しく詰問する和姫だったが、俊介にはどこか寂しげに見えた。
かつては料理対決で本気で恋華を打ち負かそうとした和姫だったが、心境はかなり変化しているらしい。
「私はそういう人間だよ。演技力もあるしね。和姫ちゃん達は上手く騙されてたんだよ」
俊介は思い出していた。いつか、恋華を初めて家に上げた時のことを。
敵意丸出しの妹軍団が勝負を持ちかけ、「望むところ!」と恋華が受けて立ったことを。
妹軍団の私生活を観察するよう命じた恋華が、そのあまりのブラコンぶりに嫉妬し、やたら去勢するよう俊介を脅してきたことを。
それらのことが全て嘘であったなどと、到底信じられない。
「私は根っからの嘘つきなんだよ。だから、俊介君との関係も全部嘘」
恋華はキッパリと言い切った。その様子からは、微塵も動揺は感じられない。
「ひとつ、いいでしょうか?」
俊介がそう言うと、恋華は視線を彼に向けた。
「僕と別れたあとはどうするんです? 元々、あなたは男子生徒からの告白に悩んでいて、その対策として僕と偽装恋人にしたんですよね? でも僕と別れたら、元の木阿弥ですよ。いや、今まで以上に男子が群がるかもしれない」
「ああ、そのこと……?」
なぜか恋華は落胆したような、残念そうな顔を見せた。
しかしそれも一瞬のことで、すぐに表情を引き締めると、
「そのことには関しては色々と考えたんだけどね、しばらくは大丈夫だと思う。失恋した女子に告白ラッシュするほど、男子も野暮じゃないと思うし。あっ、安心して。別れた理由はお互いの時間を尊重するためってことにするから。芸能人がよくつく嘘だね。俊介君には勉強があるし、私も何か適当な理由をでっち上げる。喧嘩別れじゃないって公言すれば、お互いに角は立たない。偽装恋人だったってことは、内緒にしようか。周りのみんなを騙してたってことを公開すれば、私だけじゃなくて、俊介君にも迷惑がかかるし」
「そうですか」
俊介は短く返事をすると、
「僕も、考えていました。自分は間違っていたんじゃないかと。妹達に兄離れしてほしいと願う気持ちは本物です。でも、それは家族の問題です。自分自身で解決するべきでした。他人に協力してもらって、ましてや嘘をつくなどと、」
俊介はそこで言葉を切った。
「俊介君……じゃあ」
恋華が続きを促した。
「ええ」
俊介は恋華をじっと見つめながら、
「僕達――別れましょう」




