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6死んでます? いいえ、生きてます!

「ぐ……はあ」


 男は苦悶の声を漏らした。

 あの後、緋雨に誘惑され路地裏に誘われた郷田は、緋雨から手ひどい拷問を受けていた。その様子は凄惨で、怪我してない箇所はないほど。今どこが痛いのか。どこから血が流れているのか。そもそも自分は生きているのか。それすらも分からなくなるほどだった。


 壁には落書き、床にはゴミだらけと、汚れた路地裏を選んだのは緋雨の戦略勝ちと言えるだろう。午前中ではあるが、人の姿は全く見えなかった。


 郷田はゴミで汚れた地面に倒れながら、血ヘドを吐いていた。

 このまま息の根を止めようか。緋雨は考えていた。こんなクズが1匹いなくなった所で、誰も騒がない。しかし、下手に処理を間違えて警察に捕まることだけは避けたかった。かといって、このまま放置したところでこの男は自分を訴えるだろう。それならば、いっそ……。


 緋雨が冷酷な視線を男に向けたときだった。

 郷田は苦しげに唇を動かした。

 ぜい、ぜい、と息をするのもせいぜいといった体で、


「たす……けて」


「断る」


 緋雨は必死の懇願を無視して、郷田の腹を蹴り上げた。サッカーボールのように、男の体が持ち上げられ、背中から地面に叩きつけられる。

 

 男は何やら声を発した。よく聞こえないが、いたい、と言ってるようだ。しかし緋雨は助けない。ただ無表情に、郷田を見下ろしているだけだ。


「これ以上……死んじまう……。止めて」


 ようやく理解できる音量で郷田は言った。

 しかしその顔は無残を極めていた。元はそこそこ整っていたのだろうが、腫れ上がってもはや性別すらもハッキリしない。耳はちぎれかけているし、歯は何本か折れていた。その他にも体中に大怪我を負っている。


 緋雨は、ゆっくりと男に答えた。


「死の定義について、知っておられまするかな?」


「え……? い、いや」


 郷田は返事に窮していた。

 代わりに緋雨が答える。


「医学的には脳、心臓、肺、すべての機能が停止した場合と定義づけられておりまする。つまり、この3つが動いている以上は、どんなに酷い状態でも『生きている』のですよ」


「へ……? それって……ぐぁっ!」


 郷田の声は途中で途切れた。

 次の瞬間、男の体は壁に激突していた。まるで拳銃で撃たれでもしたように。

 緋雨はゆっくりと足を下ろした。彼女にとっては威嚇同然の前蹴りだった。それが、大の男を壁際まで叩き付けたのだった。


 男は嗚咽した。その声は、もはや人か動物かの判断も出来ない。

 緋雨は郷田にゆっくりと近寄った。男はもう逃げることもしない。

 緋雨は男の髪を掴み、ぐいっと持ち上げると、


「……助かりたいか?」


「は……はい!」


 郷田は何度も頷いた。


「それならば、3つ約束を守ってみせよ。1つ、今後わたくしめの命令には絶対服従。よろしいか?」


「わ……分かりました」


「約定を破った場合、おぬしのみならず親族一同に至るまで危害が及ぶ。ゆめゆめお忘れなきよう」


「ひゃい!」


 郷田は歯の抜けた口で、大声で答えた。


「もう、逆らわないっす。あ……あんたには、とてもかないそうもねえ。だから、命だけは……」


 男の言葉に、緋雨は微笑んだ。


「それともう1つ。今日この場所で起こったことは、他言無用。守れまするかな?」


「は……はい! はい!」


 郷田はブンブンと首を振った。


「誰にも言わねえ。言えるわけねえ」


「そうですか。それは重畳でございまするな。ところで、1つ尋ね申すが……」


 緋雨は冷徹な目を男に向け、


「その怪我、どうなされた? 一体何があった?」


「……」


 男は答えない。本当なら「お前がやったんだろ!」と立てつく所だが、凍てつくような緋雨の視線によって阻まれた。

 おそらく、試されているのだろう。直感的に悟った郷田は――


「これは……その。階段で、転んで……げふうっ!?」


 緋雨は郷田のみぞおちに向かって拳を突き出した。嘔吐物を撒き散らしながらうずくまる男に、緋雨は冷酷に声を投げかける。


「おぬしは幼稚園児か。それが階段から落ちて出来た傷か? そのような虚言で誰が騙せると申す。少しは頭を使うがよい」


「で……でも。どう言えば……」


 緋雨は、一瞬ではあるが、考えるそぶりを見せ、


「ではこうしよう。おぬしは、対抗する不良グループとの抗争に巻き込まれた」


「へ? おれが?」


「そうだ。しかしおぬしは抵抗せず、一方的に殴られるだけで相手を攻撃しなかった。これならば、特に疑いが掛かることもなかろう」


「そ……そんなんで、誤魔化せますかね?」


「何か文句でもあるか?」


「い……いえ! ありませんありません!」


 郷田は慌てて頭を下げた。


「全て姉御の言うとおりにしやす! ですから、命だけは!」


 不良であることのプライドも捨てて。まるで泣き虫な子供のように、郷田は何度も謝り許しを乞うた。

 緋雨は郷田の前まで歩み、


「おぬし次第だな」


 と声をかけた。


「最後の約束。なに。いとたやすいことだ」


「な……なんでしょうか?」


 郷田は尋ねた。もはや断るという選択肢はないようだった。


「わたくしめは昨日、日本に帰ってきたばかりで、今の情勢はとんと知りませぬ。よってわたくしめの隣を歩いておられた御仁――については、知っておられるか?」


「ああ、井川の……いや! 井川君のことですね……?」


 郷田は緋雨に睨まれ、慌てて俊介への呼び方を君付けに変えた。恐らくではあるが、少しでも俊介を侮辱するようなことを言えば、殺される。男は本能で理解していた。


「そう、俊介兄君のことです。特に女性関係について、何か知りませぬか?」


「えっと、女性関係……?」


「言っておくが、少しでも(たばか)れば命はないものと思え」


「……!」


 郷田は首を猛烈な勢いで振った。恐怖のあまり言葉も出ないらしい。

 緋雨は、感情の消えた目で男の顔をじっと見つめた。その視線からは、どんな嘘でもたちどころに見破ってやるぞという意思が感じられた。


「今一度聞く。俊介兄君に、決まった相手はおられるのか?」


 緋雨が尋ねると、


「そ、そういえば、井川君彼女が出来たらしいっスよ?」


「彼女? 俊介兄君に?」


「はい。ここ最近なん、スけどね――!?」


 郷田が続きを説明しようとすると、


「……何をしておる? さっさと続きを話さぬか」


 緋雨の表情は変わっていた。眉を吊り上げ、目を血走らせ、唇の端をギュッと噛んでいる。先ほどまで冷静に拷問を下していた彼女が、感情をむき出しにした唯一の瞬間だった。


「兄君の恋人とはどこぞの誰ぞ? 名は何と申す?」


 緋雨は矢継ぎ早に質問を繰り出した。男も負けず早口で、


「瀬戸内恋華って女です。学園のアイドルでさあ」


「瀬戸内……れんか(・・・)?」


「あ、あの……何か?」


「……いや。それよりも答えよ。その瀬戸内恋華が、何ゆえ兄君と付き合うことになったのか」


「えっと、それが……」


 郷田は全てを説明した。

 それは正に、終わりの始まりだった。

 緋雨は男の話を咀嚼し、そして解釈した。

 昨日の妹会議で、ましろが言っていた「れんかおねーちゃん」とはこの女のことだったのだ。

 

 ならば妹や姉達は、自分に知られないようその存在を隠している。自分が乱暴を働かないようにと。それ自体は理解できる。問題なのは。あの和姫らも瀬戸内恋華なる人物のことを認め匿っている点だ。


 姉達にさえ認められる、瀬戸内恋華とは一体――?


「……排除せねばなるまいな……」

 

 緋雨はゆっくりと呟いた。

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