第4話 ストライキと、二度目の“契約魔法”
オークの将軍ボルガが、玉座の間に転がり込んでくる。
その巨躯は、普段の尊大さが嘘のように、焦りと狼狽に揺れていた。
「魔王様! 人間どもの武具納入が遅れたせいで、装備が行き渡らん! 我がオーク部隊の連中が、これでは戦えんと、全員ストライキに突入しやがりました!」
その報告に、玉座の間の空気が一変する。
魔王ザイレムが、閉じていた真紅の瞳をゆっくりと開いた。その視線は、報告者であるボルガではなく、なぜかまっすぐに俺――真壁 仁を射抜いていた。
(……俺のせいか)
背筋に、冷たい汗が流れるのを感じた。
俺が商人ガメルの悪質な契約を正したことで、結果的に武具の納入が遅延した。そのせいで、最前線を担うオーク部隊が、任務を放棄する事態にまで発展してしまった。
良かれと思ってやった仕事が、とんでもないトラブルを引き起こしてしまったのだ。
「…ボルガ。貴様の部隊の監督不行き届きではないのか?」
骸骨の魔術師が、冷ややかに指摘する。
「ぐっ…! しかし、奴らの言い分も分かるのだ! 丸腰で、あの“聖剣の勇者”と戦えなど、死にに行けと言うようなもの!」
ボルガが、悔しそうに拳を握りしめる。彼の粗暴な言動は、部下を想うが故のものらしかった。
玉座の魔王は、黙して語らない。だが、その沈黙は、明らかに「どうする?」と俺に問うていた。
試されている。法務部長としての、真価を。
俺は覚悟を決め、一歩前に出た。
「…ボルガ将軍。そのストライキ、私が解決しましょう」
「なにを!? 貴様のようなひょろひょろの人間に何ができる!」
「交渉です」
俺は、きっぱりと言い切った。
「力ではなく、法と言葉で、彼らを説得してみせます。その代わり、いくつかお力添えいただきたい」
俺は、ボルガに二つのことを要求した。
一つ、オーク部隊全員の「雇用契約書」の写し。
二つ、彼らの装備に関する「補給部」への要求書と、納入実績の記録。
怪訝な顔をするボルガを、魔王が「マカベに任せよ」と一言で制した。
こうして俺は、膨大な羊皮紙の束を抱え、魔王軍で最も血の気の多い連中が立てこもる、兵舎へと向かうことになった。
◇
オーク部隊の兵舎は、怒号と不満の熱気で満ちていた。
屈強なオークたちが、武器の代わりに酒瓶や肉の骨を手に、口々に不満を叫んでいる。
「やってられるか! 新しい鎧もなしに、人間の騎士団と戦えるかよ!」
「俺の斧なんか、もう刃こぼれだらけだぜ!」
俺がボルガ将軍に連れられて姿を現すと、その場の全ての視線が、憎悪と侮蔑の色を帯びて俺に突き刺さった。
「なんだ、あいつは?」
「新しい生贄か?」
「静まれ、お前ら!」
ボルガが一喝する。「こいつは、新しく法務部長になったマカベだ。お前らの話を聞きに来た」
その言葉に、オークたちの中から、一際体格のいい、古傷だらけのオークが進み出た。彼が、このストライキの首謀者らしい。
「法務部長だと? へっ、書類仕事の役人が、俺たちの気持ちが分かってたまるか!」
「ええ、分かりません」
俺は、即答した。
「戦場の過酷さも、武器一つで生死が分かれる恐怖も、俺には分からない。だが」
俺は、手にしていた羊皮紙の束を掲げて見せた。
「あなた方が、この魔王軍と、どのような“契約”を結んでいるかは、分かります」
俺は、彼らの雇用契約書の一文を読み上げた。
「『軍団員は、その職務遂行に適したる武具を、軍より貸与される権利を有する』。ここに、そう書かれています」
兵舎が、わずかにざわつく。
「あなた方の要求は、当然の“権利”です。そして、その権利が履行されていない以上、これは軍側の**“契約不履行”**に当たる可能性がある」
俺の言葉に、オークたちの目の色が変わった。憎悪と侮蔑が、驚きと興味へと。
「俺は、あなた方を罰しに来たのではない。あなた方の正当な権利を守るために来ました」
俺は、その場で羊皮紙を広げ、一枚の新しい書類を書きつけ始めた。
「これは、『労働環境改善要求書』です。あなた方の要求――適切な武具の即時支給、危険手当の増額、そして今後の補給体制の保証――を、正式な書面として、魔王様に提出します」
古傷のオークが、唾を飲み込む音が聞こえた。
「…そんな紙切れ一枚で、何が変わるってんだ」
「全てが変わります」
俺は、ペンを置き、その要求書に指を触れた。
「なぜなら、これはただの紙切れではない。あなた方と、魔王軍との、新しい“契約”になるのですから」
俺は、再び“契約言語”を紡いだ。今度は、罰するためではない。守るために。
「当事者は、互いの権利を尊重し、誠実に義務を履行せよ!」
シャリン…と、どこか清らかな鈴の音が響く。それと同時に、要求書に触れた俺の指先から放たれた金色の光が、まるで意志を持つかのように、文字そのものを編み上げ、強固な“約束”の結界を構築していく。
「この要求書に、あなた方の代表として署名してほしい。そうすれば、これは魔王軍全体を拘束する、絶対的な効力を持つ」
俺がそう告げると、古傷のオークは、仲間たちと顔を見合わせた。
そして、ゆっくりと俺の前に進み出ると、ごつごつした指で、震えながらペンを握った。
彼は、自分の名前を、力強く書き記した。
その瞬間、要求書が眩い光を放ち、その内容は、兵舎にいる全てのオークたちの脳裏に、確かな“約束”として刻み込まれた。
古傷のオークは、ふっと息を吐くと、自分のゴツゴツした手と、光り輝く要求書を見比べる。
「…へっ、そこらの盾より、よっぽど守られてる気分だぜ」
その呟きには、長年の不満が氷解したかのような、晴れやかな響きがあった。
◇
結局、ストライキは、一滴の血も流れずに終結した。
それどころか、オークたちの士気は、以前よりも遥かに高まっていた。
兵舎からの帰り道、ボルガが、どこか照れくさそうに口を開いた。
「…マカベよ。お前、すげぇな。俺の知る限り、あいつらが力以外のもので納得したのは、初めてだ」
「いえ、俺は当然のことをしたまでです。彼らの権利を守っただけですから」
その言葉に、ボルガは、初めて俺を対等な「戦友」として見るような、力強い笑みを浮かべた。
「がっはっは! 気に入ったぜ、法務部長! 今度、一杯おごってやる!」
彼と別れた後、俺は自分の机に戻った。
大きな疲労感と共に、前世では決して味わえなかった、確かな充足感が胸を満たしていた。
俺の仕事は、ただ契約書の穴を探すことじゃない。ルールを作り、組織を、そこにいる者たちを守ることだ。
俺は、書きかけの休戦協定案に視線を落とした。
人間側を出し抜くことだけを考えていた、数時間前の自分を恥じた。
(違うな…)
俺が作るべきは、魔王軍が一方的に有利になるだけの契約書じゃない。
戦争という、最も理不尽な状況に、公平で、誠実で、そして誰もが納得するような「法」をもたらすこと。
それが、この世界における、俺の本当の仕事なのかもしれない。
俺は、新しい羊皮紙を取り出した。
その顔には、もはや社畜の面影はなく、一人の法務家としての、静かな覚悟が宿っていた。
――これこそが、真壁 仁流・魔王軍法務の在り方だ。
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