第37話 法務部の"ストライキ"
清潔な薬草の匂いで、真壁の意識が浮上した。
重い瞼を開くと、そこは埃っぽいオフィスの天井ではなく、見慣れた魔王城の医務室だった。
「……ここは」
「目が覚めたか! この大馬鹿野郎が!」
怒声と共に、寝台の傍らにいたボルガがその巨体を乗り出してきた。その声は怒りに満ちていたが、それ以上に、深い疲労と焦燥が滲んでいた。
「お前がぶっ倒れて、法務部の連中がどんな顔してたか、分かってんのか!」
医務室には、ボルガだけではなかった。
ゼグス、アーカーシャ、クラウス。そして、リアナ。
彼らは真壁を囲んでいた。医務室の空気は、重苦しく張り詰めている。
「ボルガ将軍、抑えてください」
リザードマンのゼグスが、ボルガの肩を制した。その爬虫類の目に、いつもの冷徹さはなく、組織の危機を前にした険しさがあった。
「……法務部長。まずは、意識が戻られて何よりだ。だが、事態は深刻だ」
ゼグスは、あくまで事実を述べる口調で続けた。
「貴殿の不在と、それ以前の過重労働の蓄積により、法務部は現在、機能不全寸前にある。これは、貴殿自身が制定した『労働安全衛生規則』第12条に、組織の長自らが違反した結果だ」
「それは……プロジェクトが……」
「真壁殿」
真壁の言い訳を、アーカーシャの静かな声が遮った。
骸骨魔術師の眼窩の奥で、青い魂の火が悲しげに揺れている。
「我らは、貴殿が築いた『法』を信奉した。だが、その法を、制定者自らが踏みにじった。……我らは、貴殿の"道具"ではないはずだ。貴殿がそう、教えてくれたのではないか」
最後に、ドワーフのクラウスが一歩進み出た。彼は、医務室の床を睨みつけ、ごつごつした拳を握りしめている。
「法務部長……いや、真壁さん」
彼は、あえて役職ではなく、名前で呼んだ。
「あんたは俺に、"立ち止まる勇気"をくれたじゃねえか。不当な労働には『ノー』って言っていいんだと……」
クラウスは顔を上げ、真壁をまっすぐに見た。その目は潤んでいた。
「……なのによぉ、なんであんたが、あの時の……ボルガ将軍の部下たちみてえな、死んだ目をしてんだよ! 俺は……俺たちは、そんなあんたを見たくねえ……!」
仲間たちの言葉が、鈍器のように真壁の胸を打つ。
(違う、俺は、皆のために……成果を出さなければ、俺の価値が……)
前世の強迫観念が、必死に反論しようとする。
「だが、仕事が……聖法神王国の再建は、待ってくれないんだ。俺がやらなければ……!」
「――やめてください、部長」
その言葉を遮ったのは、リアナだった。
彼女の手は、震えていた。その手には、一枚の羊皮紙が握られている。
「もう、それ以上、ご自分を貶めないでください」
彼女は、泣きそうな顔を必死にこらえ、真壁の目の前に、その羊皮紙を突きつけた。
かつて、ある部下を上司の不当な扱いから守るために制定した、『職場におけるハラスメント防止規定』。
「『権威的地位を利用した、精神的・肉体的苦痛を与える過重な業務の強制は、これを"パワー・ハラスメント"と定義し、厳にこれを禁ずる』……」
リアナは、震える声で、しかしはっきりと告げた。
「私たちが、あなたを止めます。あなた自身の、"法"の名において」
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