第35話 空白の玉座と、“法の輸出”
「――聖法神王国、内乱により崩壊ッ!!」
ゴブリンの伝令がもたらした報告は、静まり返った教室に、あまりに重く響き渡った。
詳細な報告によれば、特区での惨敗と、「魔王軍は人道的な軍隊である」という敗残兵たちが持ち帰った噂が、王国の求心力を、内側から完全に破壊したらしかった。
狂信的な王と教会への不満が各地で爆発。反乱は瞬く間に全土に広がり、王は殺害され、かつての強国は、今や無数の領主たちが領地を奪い合う、無法地帯へと成り果てたという。
フレデリクをはじめ、教室にいた元・騎士たちは、ただ、絶句していた。
自分たちが命を懸けて守ろうとした祖国。忠誠を誓った王。その全てが、もう、どこにもない。
彼らが信じた「正義」は、あまりに脆く、自らの熱で燃え尽きてしまったのだ。
戦う理由も、帰る場所も、全てを失った彼らの間に、深い、深い沈黙が落ちた。
その沈黙の中、俺は、先ほどのフレデリクの問いに、静かに答えることにした。
「――貴殿らが信じる“中心”とは、一体何なのだ、でしたか」
俺は、教壇を降り、教室の窓を、ゆっくりと開けた。
窓の外には、人間特区の、活気ある日常が広がっていた。
破壊された城壁の修復現場では、ドワーフの工匠がオークの兵士に指示を出し、その資材を、人間の住民たちが協力して運んでいる。出自も、種族も違う者たちが、同じ目的のために、共に汗を流していた。
俺は、その光景を指し示した。
「我々が信じる“中心”とは、神や、特定の王ではありません」
「あの光景、そのものです」
フレデリクが、はっとしたように、窓の外に目を向ける。
「出自や種族に関係なく、公正な法の下で、誰もが尊厳をもって生きられる社会。そして、その社会を守るために、誰もが協力し合えるという、信頼」
「我々が信じるのは、その“システム”自体なのです」
その言葉は、拠り所を失い、空っぽになったフレデリクたちの心に、深く、そして静かに、染み渡っていった。
やがて、フレデリクは、静かに立ち上がった。
彼は、仲間たちと共に、俺の前に進み出ると、騎士が王に忠誠を誓う、最も丁重な礼をもって、その場に膝をついた。
「法務部長殿…いや、真壁殿」
彼は、顔を上げ、澄み切った瞳で、俺に言った。
「我らが剣と、この命、貴殿が信じるその“システム”のために、捧げることをお許し願いたい。我らを、この街の、真の住民として、迎えてはいただけないだろうか」
◇
捕虜たちの集団転向。
それは、魔王軍が、一つのイデオロギーに勝利した瞬間だった。
だが、一つの問題の解決は、常に、より大きな問題の始まりでもあった。
数日後。リアナが、深刻な顔で俺の執務室を訪ねてきた。
「真壁さん。大変なことになりました」
彼女が広げた地図には、崩壊した聖法神王国の周辺諸国に、無数の矢印が引かれていた。
「聖法神王国の崩壊は、大陸のパワーバランスを完全に崩しました。空白となった玉座と、その豊かな領土を巡り、周辺諸国がいつ全面戦争に突入してもおかしくない。そうなれば、我々魔王軍も、無関係ではいられません」
大陸全土を巻き込む、大戦乱の危機。
そのあまりに大きな問題に、俺が言葉を失っていると、リアナは、一通の封蝋された密書を、そっと俺の前に差し出した。
「そして、これが…おそらく、その最初の火種です」
それは、聖法神王国から逃れた、穏健派の貴族や市民たちの連合が、俺個人に宛てて送ってきたものだった。
その文面は、こう締めくくられていた。
「――我らの祖国は、法と共に死にました」
「どうか、貴殿のその知識で、我らが国を再建する、その道を示してはいただけないでしょうか」
それは、一介の法務部長に、破綻国家の“再建コンサルティング”を依頼するという、前代未聞の、そして、あまりに無謀な要請書だった。
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