第32話 “捕虜”という名の未来
城門内での精鋭部隊の壊滅。それは、聖法神王国軍の、完全な敗北を意味した。
指揮系統を失った軍勢は、統率を失った烏合の衆と化し、我先にと敗走を始める。
「追撃だ! 一人残らず根絶やしにしてくれる!」
オークの将軍ボルガが、勝利の雄叫びを上げ、戦斧を振り上げた。兵士たちもまた、長年の憎悪を晴らすべく、その目に血の色を浮かべている。
だが、その獰猛な勢いを、俺の声が制した。
城壁の上から、魔法で増幅された俺の声が、戦場全体に響き渡る。
「待ってください、ボルガ将軍! 我々の戦いは、まだ終わっていません!」
俺は、全軍に通達した。
「これより、交戦規定第3条を発動! 敵軍に対し、降伏を勧告せよ!」
「…ちっ、分かってるよ!」
ボルガは、一瞬、悔しそうに顔を歪めたが、すぐに指揮官の顔に戻り、腹の底から咆哮した。
「聞けぇ、てめぇら! 法務部長の命令だ! 武器を捨て、投降する者は、命までは取らん! 繰り返す! 武器を捨てろ!」
その言葉は、魔王軍の兵士たちにとって、苦渋の決断だった。
目の前には、仲間を殺した憎い敵がいる。それを、見逃せというのだ。
だが、彼らは、先日の“心の戦争”を乗り越えていた。
若いオーク兵士が、最初に動いた。彼は、憎しみを押し殺し、震える声で、だがはっきりと叫んだ。
「武器を捨てろ! 投降すれば、命の保証をする!」
その声は、一人、また一人と、魔王軍全体に伝染していった。
それは、もはや単なる降伏勧告ではなかった。自らの憎悪を、法と規律の下にねじ伏せるという、彼らの崇高な勝利宣言だった。
その光景は、敗走する敵兵たちの心を、より深く、そして静かに蝕んでいった。
彼らが予期していたのは、悪魔たちによる、無慈悲な虐殺だったはずだ。
しかし、今、自分たちに向けられているのは、憎しみよりも、むしろ厳格な“規律”だった。
やがて、一人、また一人と、武器を捨てる者が出始める。
その数は瞬く間に膨れ上がり、最終的に、魔王軍は数千人規模の捕虜を獲得するという、創設以来、前代未聞の戦果を挙げることになった。
◇
捕虜となった聖法神王国の兵士たちは、自分たちの目を疑っていた。
彼らは、戦場で制定された「戦時捕虜待遇規定」に基づき、極めて人道的な扱いを受けたのだ。
傷ついた者は、手厚い治療を施され、飢えた者には、温かい食事が与えられた。
拷問も、虐待も、一切ない。そこにあったのは、ただ鉄のような規律だけだった。
そして彼らは、自分たちが「不浄の地」と教えられてきた、人間特区の本当の姿を目の当たりにする。
清潔な住居。整備された上下水道。活気ある市場。
そして何より、かつての同胞である人間たちが、魔族たちと、当たり前のように笑い合い、共に暮らしている光景。
彼らが信じてきた「正義」が、ガラガラと音を立てて崩れていく。
自分たちが戦ってきた相手は、本当に「悪魔」だったのか?
自分たちが捧げてきた忠誠は、本当に「神の御心」だったのか?
その価値観は、根底から揺さぶられていた。
聖法神王国に、命からがら逃げ帰った敗残兵がもたらしたのは、単なる敗戦の報せだけではなかった。
「魔王軍は、野蛮な悪魔などではない。彼らには、我々人間よりも、遥かに厳格な“法”と“規律”があった」
その衝撃的な噂は、人間諸国連合全体に、静かに、しかし、確実に広がっていくことになる。
◇
勝利に沸く魔王城。
その喧騒の中、俺の元に、一つの報告がもたらされた。
捕虜となった敵国の騎士団長、フレデリクが、俺との個人的な面会を、強く要求しているというのだ。
俺が面会室に入ると、そこにいたのは、かつての狂信的な騎士の姿ではなかった。
鎧は脱がされ、ただの粗末な服をまとった彼は、まるで抜け殻のように、静かに椅子に座っていた。
その瞳から、狂信の光は消え失せ、深い苦悩と、そして、答えを求める真摯な問いの色が浮かんでいた。
フレデリクは、ゆっくりと顔を上げると、絞り出すような声で、俺に告げた。
「…私は、貴殿の言う“法”というものを、知りたい」
「そして、もし、それが…」
彼の声が、震える。
「もし、それが、我が神の教えよりも、尊いものであるならば…」
「我々も、この街の住民になることは、可能だろうか?」
敵将の、そしてその背後にいる数千の部下たちの、大量“転職希望”。
その、あまりに重く、そして前代未聞の問いが、魔王軍の未来を、再び大きく揺り動かそうとしていた。
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