第30話 開戦前夜と“心の戦争”
「聖法神王国、魔王軍に対し『浄化戦争』を宣言! 先遣隊、すでに国境を侵犯!」
伝令兵の絶叫は、法廷闘争の勝利に沸いていた魔王城と人間特区を、一瞬にして恐怖と混乱の渦に叩き込んだ。
特に、特区の人間たちの動揺は激しかった。故国から、魔に魂を売り渡した「裏切り者」として、命を狙われる。安住の地だと思っていたこの場所が、今や地上で最も危険な最前線と化したのだ。パニックに陥った人々が、住居から飛び出し、広場は泣き叫ぶ子供と、怒号を上げる大人たちで溢れかえった。
魔王城の最高幹部会議は、これまでとは質の違う、本物の殺気に満ちていた。
「望むところだ!」
ボルガが、その巨大な戦斧を振り上げ、咆哮する。「ちまちました法廷ごっこより、よほど性に合っている! 全軍に出撃命令を! 敵が誰であろうと、正面から叩き潰すのみ!」
しかし、その血気にはやる主張を、ゼグスの冷静な声が制した。
「お待ちください、ボルガ将軍。斥候からの報告によれば、敵の兵力は推定でこちらの三倍。装備も、聖教会が後ろ盾となっている最新のものです。正面からの激突は、我らの消耗を招くだけです」
「では、指をくわえて見ていろと言うのか!」
「いえ、防衛に徹し、敵の兵站が伸びきるのを待つべきです」
激しく対立する将軍たち。その緊迫した空気の中、俺は静かに立ち上がった。
皆が、俺に戦闘計画の立案を期待している。だが、俺が提示したのは、全く別のものだった。
「皆様。これから始まるのは、戦争です」
俺の声に、会議室が静まり返る。
「だからこそ、我々には、かつてないほど厳格な“法”が必要となります」
俺は、その場で「戦時特別法」の制定を提案した。
「これより、『魔王軍軍法会議設置法案』を提出します。戦時下における兵士の略奪、命令違反、そして――捕虜への不当な扱い。これら全てを、司令官の独断ではなく、定められた法手続きに則って裁くためのシステムです」
さらに、俺は続けた。
「同時に、全将兵に対し、この『交戦規定』の通達を義務付けます」
俺が差し出した羊皮紙には、こう記されていた。
「第一条:非戦闘員(民間人)への攻撃を、これを厳に禁ずる」
「第二条:明確な降伏の意思を示した敵兵の生命は、これを保障するものとする」
◇
その通達は、最前線に展開する兵士たちの間に、激しい動揺となって広がった。
特に、歴戦のオーク部隊が集う野営地では、それは怒りの炎となって燃え上がった。
「ふざけるな!」
兄を前の大戦で人間に惨殺された、若いオーク兵士が、配られた羊皮紙を地面に叩きつける。
「なぜ! 仲間を殺した憎い敵を、助けねばならんのだ! これは戦だ、情けをかける場所じゃねえ!」
彼の叫びは、多くの兵士たちの心の声を代弁していた。燻っていた人間への憎悪が、一気に噴き出す。
その不穏な空気を、巡察に訪れたボルガの、雷鳴のような一喝が引き締めた。
「――黙れッ!」
ボルガは、若いオークの胸ぐらを掴み上げると、その目を真っ直ぐに見据えた。
彼もまた、同じ葛藤を抱えていた。その瞳の奥には、部下と同じ、深い苦悩の色が浮かんでいた。
「…貴様の兄者の無念は、この俺が一番分かっているつもりだ」
その声は、震えていた。
「だがな、法務部長のやり方は、ただの甘っちょろい情けじゃねえ! これは、敵の心を、その兵士たちの魂を、内側からへし折る、俺たちの新しい“牙”なんだ!」
ボルガは、叫んだ。
「魔王様が認め、法務部長が定めたこの“規律”に従えん奴は、このボルガの部隊にはいらん! 今すぐ荷物をまとめて、故郷の母親の乳でも吸ってろ!」
それは、古い価値観に生きてきた一人の猛将が、苦悩の末に、新しい時代の法を受け入れ、軍を統率しようとする、魂の咆哮だった。
◇
その夜、斥候から緊急の報告が届いた。
敵の先遣部隊が、人間特区まで、あと数日の距離にまで迫っている、と。
野営地は、出撃準備の慌ただしさと、死を覚悟した静けさが入り混じった、異様な空気に包まれていた。
その中で、あの若いオーク兵士は、一人、静かに地面に落ちた羊皮紙を拾い上げていた。その唇を、悔しそうに噛み締めながら。
魔王軍は、外なる敵との戦いの前に、まず、自らの内なる“心の戦争”に、直面していた。
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