第28話 証人尋問と“心の天秤”
国境都市リベルタスに、臨時の法廷として設えられた大天幕の中は、異様な熱気に包まれていた。
裁定を下す委員会の席には、魔王軍と人間諸国連合の代表が向かい合い、その両脇には、中立の立場であるエルフの長老や、ドワーフの鉱山王といった、大陸の重鎮たちが固唾を飲んで成り行きを見守っている。
これが、世界の未来を決める法廷。その重圧が、肌を刺すように痛い。
先攻を取ったのは、人間側の代理人、“神の鞭”ヴァレリウスだった。
彼は、その場にいる全ての者の心を掴む天才だった。
「皆様! ご覧ください!」
ヴァレリウスは、涙ながらに我が子の名を叫ぶ、見るからに悲壮な母親を証言台に立たせた。彼女が、漆黒の天秤に雇われた役者であることを見抜ける者は、この場にはいない。
「この哀れな母親から、最愛の子を奪い、労働力として搾取する! これが、魔王軍の言う“共存”の正体なのです! 彼らは悪魔! 人の心を持たぬ、唾棄すべき存在なのです!」
立て板に水の弁舌。計算され尽くした悲劇の演出。
傍聴席に座る人間たちは、誰もが母親に同情し、魔王軍側に憎悪の目を向けている。
そのあまりに芝居がかった弁論に、傍聴席のエルフ代表が「…人間の感情とは、かくも安っぽく扇動されるものか。品のない茶番だ」と小さく眉をひそめたが、その声は熱狂の中にかき消された。
その熱狂に対し、俺は、ただ静かに、冷徹な事実を積み上げることで対抗した。
「ここに、人間特区への移住を希望した、全住民の申請書類を提出します」
俺の合図で、ゴブリンの部下たちが、うずたかい羊皮紙の山を法廷に運び込む。
「全ての書類に、本人の自筆の署名があります。次に、移住者全員の健康診断記録。そして、彼らが労働の対価として受け取った『臨時通貨』の、一日単位での全出納台帳です」
完璧な記録管理。一分の隙もない、論理の壁。
その膨大な証拠の山に、ドワーフ代表が「…恐ろしいまでの記録主義だ。これは、単なる蛮族の集まりではないぞ」と隣席の者に囁き、警戒と関心を隠さない。
だが、俺の正しさは、ヴァレリウスが作り出した感情的な熱狂の前では、退屈な事務処理にしか見えなかった。場の空気は、依然として我々に不利なままだった。
そして、ついに、証人台にクラウスが立った。
ヴァレリウスの目が、蛇のように、ねっとりと彼を捉える。
「さて、元・銀獅子騎士団、クラウス殿」
その声は、先ほどの熱弁が嘘のように、甘く、そして残酷な響きを帯びていた。
「あなたも、故郷にご両親を残してこられたとか。ご高齢で、病気がちだと伺っておりますが…聖教会が、手厚く“保護”しているそうですよ」
クラウスの肩が、微かに震えた。
「答えなさい、騎士クラウス。貴方のその“自由意志”とやらは…」
ヴァレリウスは、一言一句、区切るように、法廷全体に響き渡る声で問うた。
「貴方の老いた両親の、“命”よりも、重いのですか?」
それは、もはや尋問ではなかった。
魂そのものを天秤にかける、悪魔の問いだ。
クラウスは、唇を固く結び、うつむいてしまった。誰もが、彼の心が折れるのを、固唾を飲んで見守っていた。
その、瞬間だった。
「――外交顧問として、正式に異議を申し立てます!」
凛とした、しかし決してヒステリックではない、澄み切った声が、法廷の空気を切り裂いた。
声の主は、俺の隣に座っていた、リアナ・フォルセだった。
彼女は、静かに立ち上がり、委員会の全員を見据えていた。
「現行の休戦協定、および、百五十年前に締結された“百年の大停戦条約”に定められた国際公法儀礼によれば、証人の血縁者を政治的圧力下に置き、証言の自由に影響を与える行為は、証人に対する不当な干渉と見なされます!」
リアナは、よどみなく続ける。
「この尋問は、この神聖なる法廷そのものの公正さを、著しく汚すものです! 委員会の賢明なる判断を要求します!」
確かな法的根拠に基づいた、毅然たる態度。
それは、感情論でも、 修辞的でもない、俺と同じ「法」の力だった。
ヴァレリウスの、自信に満ちていた顔が、初めて動揺に揺らぐ。
法廷の熱狂は急速に冷め、空気は一変した。
リアナの、見事な援護射撃。
それによって得られた、わずかな、しかし決定的な時間。
クラウスの脳裏には、故郷で待つ家族の顔と、特区で初めて得た「同僚」たちの顔が、激しく交錯していた。
彼は、唇を強く噛み締め、ゆっくりと顔を上げた。
その目には、もはや迷いはなかった。
彼は、覚悟を決めた目で、ヴァレリウスを真っ直ぐに見据えた。
「…お答えします」
「私は――」
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