第2話 法務部、爆誕。そして最初の“相談相手”
地響きのような魔王の声が、玉座の間に響き渡る。
「説明してみよ、人間」
その声に含まれた純粋な興味の色を、俺は聞き逃さなかった。これは、処刑前の気まぐれな猶予ではない。意味のある回答を求める、いわば「諮問」だ。
恐怖で凍り付いていた脳が、強制的に再起動する。
これは面接だ。世界で最も物騒な、採用面接だ。しくじれば、死ぬ。
「は、はい…! まず、第8条、賠償条項についてですが…」
俺は床に這いつくばったまま、必死に声を絞り出した。
「『全ての損害を賠償する』とありますが、これには賠償額の上限が定められておりません。これでは、例えば人間側が『貴様らのせいで、この一ヶ月、雨が降らず凶作となった。よって、我が国の農業における全損害、100万ゴールドを支払え』と一方的に主張した場合、それを拒絶する論理的根拠がありません」
「馬鹿な!」
オークの将軍ボルガが、斧の柄で床を叩きつける。「天候と我らの戦いに何の関係がある!」
「おっしゃる通りです。ですが、その『関係がない』ということを、どう証明しますか? この条文では、因果関係の立証責任がどちらにあるかすら明記されていない。つまり、言った者勝ちの、極めて危険な“一方的請求権”を相手に与えることになります」
俺の言葉に、ボルガはぐうの音も出ず、リザードマンの将軍は、その冷徹な瞳をわずかに細めた。
「さらに問題なのは、第9条です」
俺は続ける。一度回り始めた口は、もう止まらない。
「『共同して防衛にあたる義務』。これは一見、相互防衛の美しい誓いに見えます。ですが、これも罠です。例えば、人間側の王国が、隣接する別の人間国家と戦争を始めたとします。彼らはそれを『第三国からの侵略』だと主張するでしょう。その瞬間、魔王軍は、人間の、人間のための戦争に、無償で、命の危険を冒して参戦する“義務”を負うことになるのです!」
「…つまり、我らは人間の“盾”として、使い潰されるだけ、ということか」
低い声でそう言ったのは、魔王だった。その真紅の瞳は、もはや俺を「生贄」としてではなく、「未知の道具」を検分するように見ていた。
「お、おっしゃる通りです。これは休戦協定の名を借りた、合法的な“奴隷契約”に他なりません」
言い切った瞬間、骸骨の魔術師が悔しげに杖を鳴らした。
「おのれ、人間どもめ…欺瞞の魔力を使わず、条文の“解釈”だけで我らを陥れようとは…」
玉座の間に、重い沈黙が落ちる。
全ての視線が、再び魔王に集まった。俺の「面接」の合否が、今、決まる。
魔王は、ゆっくりと立ち上がった。その巨躯が動くだけで、空気が震える。
そして、目の前に浮かんでいた魔法の羊皮紙を――休戦協定を、こともなげに鷲掴みにした。
ゴウッ、と音を立てて、契約書が魔王の手の中で黒い炎に包まれ、一瞬で灰と化した。
「見事だ、人間」
魔王の口元に、初めて笑みのようなものが浮かんでいた。
「貴様のその“知恵”、気に入った。この魔王、ザイレムの名において、貴様に新たな地位と役割を与えよう」
魔王ザイレムは、高らかに宣言した。
「本日ただ今、我が魔王軍に、新設部署『法務部』の設立を宣言する! そして、人間・マカベよ。貴様を、その初代法務部長に任命する!」
「……へ?」
法務部長。
その、あまりにも聞き慣れた響きに、俺は間抜けな声を漏らした。
魔王が指を鳴らすと、音もなく現れた骸骨の従者が、血のように赤い液体で満たされたゴブレットを俺の前に差し出す。
「飲め。我が軍団に加わる者への、歓迎の一杯だ」
魔王の言葉に逆らえるはずもなく、俺は覚悟を決めてそれを飲み干した。見た目に反して、芳醇な葡萄酒のような味がした。
それを見て、オークの将軍ボルガが巨大な角杯を掲げる。
「がっはっは! いい飲みっぷりだ、法務部長! すぐに死ぬなよ!」
ボルガの挑戦的な祝辞に続き、リザードマン将軍が無言で自身の杯を静かに捧げ、骸骨魔術師もまた、カツンと杖を床に打ち鳴らして敬意を示した。彼らなりの、不器用だが率直な歓迎の意思表示だった。
「マカベよ。貴様の最初の仕事だ。人間どもに叩きつける、完璧な、我らが一方的に有利となる休戦協定案を、三日以内に作成せよ」
そう言うと、魔王は玉座にどかりと腰を下ろし、もう俺に興味はないとばかりに目を閉じた。
こうして、俺の魔王軍でのキャリアは始まった。
与えられたのは、玉座の間の片隅に埃をかぶっていた古い机と、大量の羊皮紙。そして、なぜか手にしっくりと馴染む、グリフォンらしき羽根で作られたペンだった。
(さて、どうしたものか…)
俺が机の上で腕を組み、思考の海に沈み始めた、その時だった。
「……おい、法務部長」
背後から、静かだが、どこか爬虫類を思わせる冷たい声がした。
振り返ると、そこに立っていたのは、あのリザードマンの将軍だった。
「何か、御用でしょうか…?」
リザードマンは、無言で一枚の羊皮紙を俺の机に置いた。
手渡された羊皮紙は、火竜の皮をなめしたものだろうか。しなやかで、不思議な温かみを帯び、それ自体が強力な魔力耐性を持っている。文字を綴るインクも、ミスリルの粉末を混ぜ込んだ特殊なもので、魔法による改竄を拒絶する清冽な匂いがした。前世で扱ったどんな高級紙とも違う、異質で、そして信頼に足る手触りだった。
「この契約書、本来は“補給部”の担当だが、奴らは中身も見ずに判を押すだけだ。だが、この人間の商人は、やけに口が回る。何か裏がある気がしてならん」
そう言って、リザードマンは俺に契約書を押し付ける。
俺は、休戦協定案という巨大なタスクと、目の前の、やけに具体的な契約書を交互に見やった。
(…マジかよ。この世界の運命を左右するかもしれない休戦協定案の締め切りは三日後だぞ? なのに俺の最初のタスクは、購買部の契約書レビューなのか…! 異世界に来ても、結局やってることは何も変わらないじゃないか…!)
このどうしようもない既視感に、天を仰ぎたくなる。
…いや、本当にそうか?
ふと、我に返る。
前世では、俺は何も守れなかった。会社も、同僚も、そして、自分自身の尊厳さえも。
(だが、ここでは…? 俺は、何を守りたいんだ?)
その問いの答えは、まだ見つからない。
だが、目の前には、俺を必要とする(かもしれない)「同僚」がいる。
「…まずは、目の前の仕事からだ」
俺は、自嘲気味な笑みを、決意の笑みへと変えながら、その契約書を手に取った。
「拝見します」
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