第19話 万人のための“組織の誓い”
「――これは、生者による、生者のための制度ではないのかね?」
骸骨の魔術師アーカーシャの、冷徹な問い。
それは、俺が提言した「退職金及び終身年金制度」の、根幹を揺るがす本質的な一撃だった。
先ほどまで、俺とゼグスの説得に傾きかけていた会議室の空気は、再び凍り付く。
ドワーフの長老ガルムが、「見ろ、法務部長。やはり、貴殿の案は穴だらけだ」と、勝ち誇ったように言った。
その通りだった。
俺は、俺自身の「人間」としての価値観で、魔王軍という多様性に満ちた組織を 재단しようとしていた。その傲慢さに、初めて気づかされた。
「…おっしゃる通りです、アーカーシャ殿」
俺は、素直に非を認めた。「私の提案は、不完全でした。この計画は、一度、白紙に戻させてください」
その言葉に、会議室がざわめく。
だが、俺は諦めたわけではなかった。
俺は、その場で、最も反対の立場にいたアーカーシャに向き直り、深く、頭を下げた。
「アーカーシャ殿。そして、この場におられる、全ての種族の代表の方々にお願いがあります。どうか、俺に教えてはいただけないでしょうか。あなた方にとっての“保障”とは、いったい何なのかを」
◇
その数日後。
俺は、アーカーシャを議長とし、これまで声が届きにくかった、少数種族の代表者たちを集めた、小さな分科会を招集した。
そこには、自らの体を構成する岩石を定期的に補充せねばならぬ、ゴーレム部隊の隊長や、分裂によって子孫を残す、スライム部隊の長老もいた。
最初は、誰もが訝しげだった。
だが、俺がただひたすらに、彼らの声に耳を傾けるうち、会議の空気は、少しずつ変わっていった。
そこから出てきたのは、金銭ではない、彼らの種族としての、切実な願いだった。
「我らアンデッドにとって、最大の喜びは、永遠の探求にある」
アーカーシャは言った。「我らが望むのは、前線を退いた後も、心置きなく魔法の研究を続けられる環境。すなわち、希少な魔術触媒の、生涯にわたる安定供給だ」
「我らゴーレムは、体が資本」と、ゴーレムの隊長が続く。「我らにとっての“老後”とは、戦いで砕けた体を修復し、魔力炉を維持するための、高品質な魔石と、専門の技師による、定期的なメンテナンスに他ならない」
スライムの長老もまた、小さな声で、しかし力強く語った。
「我らは、分裂することで、自らの知識と経験を、次世代に受け継ぐ。我らに必要なのは、残していく“子供たち”が、一人前に育つまでの、食料と安全が保障される“育児支援制度”です」
その時、俺の中で、全ての点が、一本の線として繋がった。
(そうか…)
(必要なのは、「万人に共通の価値」を、上から押し付けることじゃない)
(「個々の価値を、個々が選択できる仕組み」こそが、本当の“公平”なんだ)
俺は、分科会のメンバーたちと共に、全く新しい制度の設計に没頭した。
それは、魔王軍の歴史を、再び塗り替えることになる、画期的なアイデアだった。
◇
そして、最後の最高幹部会議が開かれた。
全ての将軍たちが、固唾を飲んで俺の登場を待っている。
だが、その日、プレゼンテーションに立ったのは、俺ではなかった。
骸骨の魔術師、アーカーシャその人だった。
「――以上が、我々が練り上げた、新制度の全貌である」
アーカーシャは、よどみない口調で、全く新しい福利厚生制度について説明した。
それは、兵士一人ひとりの、これまでの貢献度と戦果に応じて「貢献ポイント」を付与。兵士は、そのポイントを使い、用意されたリストの中から、自らの種族や価値観に合った福利厚生を、自由に選択できるというものだった。
リストには、これまでの「終身年金」に加え、「装備の生涯メンテナンス保証」「希少資材の優先購入権」「家族への生活保障」「故郷への帰還支援金」など、あらゆる種族のニーズに応える、多彩な選択肢が並んでいた。
誰もが、自分の未来を、自分で設計できる。
完璧な、「選択制福利厚生制度」だった。
アーカーシャ自身による、熱意のこもった推奨演説。
それに、反論できる者など、いるはずもなかった。
ドワーフの長老ガルムでさえ、その合理的で無駄のない制度設計に、深く頷いている。
制度は、全会一致で可決された。
最後に、俺は立ち上がり、全ての兵士たちの顔を見渡しながら、宣言した。
「誰一人として、この組織から見捨てられることはない。その信頼こそが、我々の力の源泉となる」
「これが、我々魔王軍が、互いに交わす“組織の誓い”です」
その言葉は、魔王軍という、ただの戦闘集団が、真の「共同体」へと生まれ変わった、産声のようだった。
その噂は、国境を越え、風のように人間たちの間にも広まっていった。
「魔王軍は、傷つき、老いた兵士の生涯を、最後まで保障するらしい」と。
そして、運命の日。
国境都市リベルタスにある、魔王軍駐屯地の、重い鉄の門が、か細い力で叩かれた。
門を開けた衛兵が見たのは、ボロボロに傷ついた、人間の一人の騎士だった。
その鎧は、手入れもされず、あちこちが錆びついている。
騎士は、その場に崩れ落ちると、すがるような目で、魔王軍の兵士に言った。
その手には、自らの剣が、恭しく差し出されていた。
「頼む…! 慈悲深いと噂の、魔王軍よ!」
「この、兵士を使い潰すだけの、ブラックな騎士団から、私を“亡命”させてはもらえないだろうか!」




