第18話 リザードマンの“最後の砦”
ゼグスが語った、名もなき老兵の物語。
それは、俺の心を、鉛のように重く締め付けていた。
50年もの長きにわたり、忠誠を尽くしてきた戦士が、傷つき、剣を握れなくなった瞬間、何の保障もなく、ただ静かに組織から消えていく。
その現実は、俺が前世で見てきた、使い捨てにされる社員たちの姿と、痛々しいほどに重なって見えた。
(強い組織とは、なんだ?)
(それは、兵士の数か? 武器の質か? 違う…)
(戦う者たちが、心から「この組織のために命を懸けられる」と信じられること。その信頼こそが、何よりも強固な“最後の砦”になるはずだ)
翌日の最高幹部会議。
俺は、魔王軍の歴史を、そして常識を、根底から覆す提案を突きつけた。
「――ここに、『退職金及び終身年金制度』の創設を、謹んで提言いたします」
その一言で、会議室は水を打ったように静まり返り、次の瞬間、嵐のような反発が巻き起こった。
「年金だと!? 人間の真似事か!」
「我らは戦士だ! 動けなくなるまで戦い、死ぬ! それだけだ!」
そして、最も重い反対意見を述べたのは、魔王軍の財政を預かる、ドワーフ族の長老、ガルムだった。彼は、その石のように硬い顔で、俺を睨みつけた。
「法務部長殿。理念は結構だが、現実が見えておいでか。その財源は、どこから捻出するおつもりだ?」
俺は、よどみなく答えた。
「各部隊の軍事予算から、一定の比率を天引きし、中央で一括管理する『魔王軍共済組合』を設立します。兵士全員で、仲間たちの未来を支え合うのです」
その言葉が、虎の尾を踏んだ。
「ふざけるな!」
鉱山を領地に持ち、最も潤沢な予算を誇る、ある将軍が叫んだ。「なぜ、我々の予算を、他の、甲斐性のない部隊の老人のために割かねばならんのだ!」
その声に、他の裕福な部隊の長たちも、次々に同調する。彼らにとって、自部隊の予算は、自らの権力の源泉そのもの。それを差し出すことなど、到底受け入れられないのだ。
長老ガルムも、冷たく言い放つ。
「現在の財政で、新たな固定支出は無謀。装備の更新を滞らせ、軍全体の弱体化を招くおつもりか」
論理による正攻法だけでは、この分厚い既得権益の壁は、崩せない。
俺は、一度、議論を打ち切った。そして、その足でゼグスの元へ向かった。
「ゼグス将軍。力を貸してください」
俺の意図を察したゼグスは、ただ静かに頷いた。
◇
数日後。再び、会議の席が設けられた。
俺は、年金制度が、長期的には兵士の士気向上や離反率低下に繋がり、結果として「コスト削減」になるという、冷徹なデータを提示した。だが、将軍たちの反応は、芳しくない。
その時だった。
ゼグスが、静かに立ち上がった。
その手には、一冊の、分厚い報告書が握られていた。
「…皆様には、これをご覧いただきたい」
ゼグスの声が、静かに響く。
「これは、この数日、私が各部隊を回り、引退を間近に控えた老兵たちから、直接聞き取った“声”だ」
彼は、報告書をゆっくりと読み上げ始めた。
「“若い頃に、背中に受けた傷が、今でも雨の日に疼く。もう、重い鎧は着られない”」
「“故郷の沼には、もう家族もいない。帰っても、一人で静かに死ぬだけだ”」
「“俺たちのようには、なるな。若いお前たちには、未来がある”。そう言って、若い兵士たちに、なけなしの金貨を握らせている者もいた」
それは、データではない。数字では決して表せない、戦士たちの生々しい痛み、そして、未来への絶望だった。
会議室は、水を打ったように静まり返っていた。
自分たちが目を背けてきた、組織の暗部。それを、真正面から突きつけられ、誰もが言葉を失っていたのだ。
論理(俺)と、感情。
そして、声なき老兵たちの声という、三本の矢。
分厚い既得権益の壁に、確かに、亀裂が入るのが見えた。
魔王ザイレムが、ついに裁定を下そうと、口を開きかけた、その時だった。
これまで黙って議論を聞いていた、骸骨の魔術師アーカーシャが、冷ややかに、しかし本質を突く一言を放った。
「――実に興味深い。だが、その制度、我らアンデッドには、何の意味もないのだが?」
彼の、魂のない眼窩が、まっすぐに俺を射抜く。
「我々に“老後”はない。死という名の“退職”もない。これは、生者による、生者のための制度ではないのかね?」
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